虹の彼方に

 

 新宿二丁目は繁華街であるだけでなく、まさに「多様性」や「包摂」という昨今の時代的なキーワードを街ごと体現しているのである。もちろんそれは他と比べたら、という相対的な評価にすぎないのではあるが、ここに一つ誇るべき文化があることは間違いない。……

 そのような街がどのようにして形成されてきたのか、という問いが本書を貫くテーマだ。江戸時代以降の伝統的な風俗街から、なぜ男性同性愛者の欲望を中心としたゲイバー街が立ち現れたのか。それもたった10年足らずの間に。これは実に興味深い現象である。

 

 1948年、一冊のテキストが全米を震撼させる。

『人間に於ける男性の性行為Sexual Behavior in the Human Male』、報告者の名を取って後に専らキンゼイ・リポートと呼ばれるその研究においてもとりわけ衝撃を走らせたのは、調査対象者の約3分の1が過去に一度以上の同性との性交渉経験を証言したことだった。

 もっとも、その事実が露わになってなお、アメリカ社会はひとまずの黙殺を選択した。

 転機はベトナム戦争とカウンター・カルチャーの台頭だった。「“体制”からの、既存の社会や秩序からの『解放』という思潮のなかで、同性愛や性別越境もまた主張されたのである」。

 こうしたムーブメントが本邦の新聞やテレビによっては伝えられぬままスルーされる傍らで、いち早くトレンドを拾い上げたのが『平凡パンチ』だった。もっとも筆者が指摘する通り、「マーケットからの反応が薄ければ(売れなければ)、こうした企画を続けることは難しかったはずなので、そこに読者(時代)との相互作用があったことは間違いなく、特定の編集長やライターの趣味嗜好が反映したとするだけではすまないのだ」。

 反応するだけの下地はあった、それはおそらくはそもそもの生物学的見地から言っても。

「現在のように人権問題として自身の同性愛を肯定できたのではないにしても、性をめぐる旧来の規範が緩んだことで、それまで抑圧していた欲望のストッパーが外れた者は少なからずいたと推察される。性愛という欲求は大方、他者を求めずにはいられない。一度、禁忌の心持ちに小さな穴が開けば、自己肯定はできないまでも、本当に欲しいものへと手足は勝手に動きはじめる。そしてその欲望の増大が、新宿二丁目に“ホモ系ゲイバー”を急増させるのに足るエコノミーを可能にした」。

 

 それにしても、なぜに他のどの街でもなく、二丁目であらねばならなかったのか。

 この街を流れる「淫風」が関係する、と筆者はにらむ。そもそもが江戸の昔から売春宿として発達したその伝統は遊郭、赤線へと引き継がれる。「いってみれば、二丁目は街自体が被差別経験を共有してきたのである」。団結でもなく、排斥でもなく、しかし男女の如何を問わずある種の薄暗さをまとわずにいない性衝動をそういうものとして緩やかに抱き込んで「共有」するだけの風土はその地に涵養されていた。

 

 あるいはまた、落語の世界の吉原大門が聴衆を「明烏」の異界へと誘うように、道幅40メートルの御苑大通りが作る断絶の動線が期せずして「結界」をもたらした、とも筆者は言う。「近年にいたるまでたいていのゲイは自らのセクシュアリティを隠しながら、しかし同じ性向の相手と出会いたいという矛盾した欲求を抱えていたわけで、駅からの繁華な街並みが寸断されることで得られる心理的な効果は、彼らの“身元がバレる”恐れを軽減したはずだ」。

 

 地勢、風俗、社会……一見いたずらにばらまかれているに過ぎぬはずの要素がふと気づくと、もはや必然としか思えぬほどの連なりをなしてモザイクを映し出す。風雨と時が流砂に模様を与えるかのように、カラフルという以上でも以下でもなかったタイルが、脳内で不意に一点、そのピントを持つ瞬間が訪れる。

 このテキスト、美しい。