その夏、私はまだ会ったことのない人物をめぐって旅をしていた。清原和博――野球界のスターであり、この国でほとんど知らぬ者のいないホームランバッターはこの年の2月、覚醒剤取締法違反の容疑て逮捕されていた。(中略)
あれはどういうめぐり合わせだったのか。所属することになった雑誌の編集長と初めて酒を飲みにいった日のこと、編集長は私にこう言った。
「清原さんは罪を犯したそれは間違いないよ。でも、今までやってきたことまでなしになるのは、おかしいだろう」(中略)
その場で清原の特集を組むことが決まった。逮捕されたばかりの人物を雑誌の表紙にする。私は清原が甲子園で放ったホームランについてのルポを書くことになった。闇の中にいる清原ではなく、打たれた投手一人ひとりを訪ねて、彼らの記憶の中に生きている清原和博を描くというものだった。(中略)
携帯電話のディスプレイに見覚えのない11桁の数字が並んでいた。腕時計を見ると、午後10時に差しかかっていた。妙な気がした。(中略)
誰だろうか……。
私は空席の目立つ車輛内を見渡すと、シートに座ったまま通話ボタンを押した。どうせすぐ切ることになる電話だと思っていた。
「もしもし」
声を抑えて応じると、通話口からは不明瞭な低い音が聞こえた。
「……です」
唸るような声はほとんど聞き取ることができなかった。私はいささかうんざりした気持ちになった。誰かが誤ってかけたか、もしくは知人が冷やかしでかけているのだろうと考えたからだった。
「あの、どなたですか? この番号、私の携帯に登録されていないんですが」
いくぶん投げやりにそういうと、見知らぬ番号の主からは沈黙しか返ってこなかった。少し間があってから、ようやく弱々しい反応があった。
「……ハラです。キヨハラです」
聴覚に刻まれた音が脳内で文字になった。それでも私は電話の向こうの人物と、いま自分が書こうとしている人物をすぐには結びつけることができなかった。
キヨハラ、きよはら……清原――
空虚な中心はいつだって空虚――
このテキスト、いかにも奇妙な筆致をたどる。栄光と転落を張本人が過剰なほどの雄弁をもって語る、つまりはほとんどがライターと編集者によるプロデュースをもって成り立つ、幻冬舎あたりから出ていそうな暴露本の類とはあからさまにテクスチャーが異なって、定期的にインタビューの機会が設定されはするのだが、なにせ当人が喋らない、おそらくより正確には、喋れない。
そんなやりとりに焦燥に駆られたのか、筆者は改めて清原和博の軌跡を洗い直す。PL学園時代の関係者にヒアリングをして回るが、そうは言っても、高校野球史最長不倒のKK伝説なんてこれまでもこすりにこすられ倒したテーマである。今さらあのドラフトの経緯をめぐって何を耳にしたところで、そんなものはゴシップサイトにお誂え向きの伝聞と憶測の域を出ることはない。まさか念書や録音素材といった動かぬ証拠が表になろうはずもない。郷里の岸和田にアパートを借りて暮らしてはみるが、聞こえてくるのは専ら失墜した英雄をあざけり笑う声ばかり。
砂を掴むように、清原和博は読者の手をすり抜けていく。
ドキュメンタリーとして読み解けば、この企画はほとんど不発といっていい。
しかし一連の迷走が、清原和博というフェノメノンを無二の仕方で表象する。
このテキストには、他とは圧倒的に異なる特徴がある。つまり、読者のほぼすべてが予め清原和博という人物のパブリック・イメージを共有している点である。
とあるホテルの一室での初対面のシーン。
「昼下がり、約束の時間を少し過ぎたころに部屋のドアが開いた。清原は、髪を金色に染めたマネージャーらしき人物の背中に身を隠すようにして入ってきた。黒いジャージの上下をまとっていた。服を着ているというよりは服が巨体にぶら下がっているという表現がふさわしかった。眼に光はなく、焦点が定まっていなかった。それでいて宙を泳ぐ視線は明らかに私たちを避けていた。夢と現の狭間でひどく何かに怯えている人間のように見えた」。
このパラグラフを読むだけで、誰の脳裏にもその光景がありありと浮かんでしまう。もちろんそこには筆者の文章力や観察眼も寄与しているには違いない、しかし映像に触れているかのようなこの鮮明な造形がまず何からもたらされているかといって、誰しもが清原和博という不世出のスターのヴィジュアルを前もって刻みつけていることに由来しているのはもはや明らかである。高校時代にはじまって、それほどまでに見られ尽くした、語られ尽くした、消費され尽くしたその存在が、今さら自らをエクスポーズしろと言われても、主体として語ることばなど有していようはずもない、なぜならば客体として語られたことばに彼はとうに飲み込まれ切っているのだから。仮に「清原和博」に本質なるものがあるのだとすれば、それはすべて彼をめぐって語られたことばの中にのみ横たわる。ジュディ・ガーランドの伝記映画を地で行くように、いつしか偶像としてバブル・インフレーションのひとり歩きを余儀なくされてしまったその存在が、オーディエンスから掌返しで孤独に投げ捨てられたとき、いったいそこに何が残るというのだろう。
「テーブルを挟んで向き合った清原は相変わらず焦点の定まっていない眼をしていて、コーヒーグラスを持つ手は震えていた。そして、なにかを噛んでいるかのように口をパクパクさせていた。何も口にしていないのに顎が咀嚼の動きを繰り返しているのだ。その反面、言葉はなかなか出てこず、ひとこと発するのに数十秒を要することもあった。そのたびに二人だけの音のない部屋には重たい沈黙が流れた」。
たかがクスリごときにそんな作用など望むべくもない、単にそれはステロイドと抗鬱剤がそうさせているのか、あるいは――
その中で、「ラストシーン」にしてようやく彼の肉声を聞く。
「清原和博をやるのって、結構しんどいんですよ」