A Nation of Immigrants

 

 ある朝、机に向かって『ナショナル・ジオグラフィック』誌に寄稿する記事のためのリサーチをしていたとき、一般的な農作物が最初に人間の手で工作されたのがどこだったかを示す地図をたまたま見つけた。有名なフロリダ州のオレンジが最初に栽培されたのは中国。アメリカのどこのスーパーマーケットにもあるバナナはもともとはパプアニューギニアのものだ。ワシントン州が昔から受け継いできたものだと主張するリンゴはカザフスタンから来たものだし、ナパバレーのブドウがはじめて育ったのはコーカサス地方である。これらがいったいいつ「アメリカの」作物になったのかを問うのは、イギリスから来た人たちがいつアメリカ人になったのかと問うこととちょっと似ている。一言で言えば、それは複雑なのだ。

 だが、どんどん深く掘り下げていくにつれて、突如それが鮮明になる瞬間があるらしいことがわかった。蒸気船が突如として港に姿を現すように、新しい食べ物がアメリカの海岸に到着した歴史上の一点である。19世紀後半――「金ピカ時代」と呼ばれる、アメリカ資本主義が成長した旅行の黄金期――は、アメリカが一気に成長した時代だった。世界各国への航海という道が開かれ、そのおかげで、デヴィッド・フェアチャイルドという若き研究者が、新しい食物や植物を求めて世界を歩き回り、それらを自国に持ち帰って市場を活気づかせたのである。

 

 本筋を言えば、表紙に描かれるようなメキシコ原産チリ経由のアボカドについてでも紹介すべきなのかもしれない。農業、工業へのインパクトでいえば、エジプト綿も外せない。ビールの泡と苦みをもたらす良質なホップをドイツから持ち込んだそのエピソードも実に興味深い。岳父はかのアレクサンダー・グラハム・ベル、華麗なる人脈をひもとくだけでも十二分にレヴューには値しよう。

 しかしとりわけこの邦訳を手にするものならば、どうにも引きつけられずにはいられないだろうトピックがある。食べて食べられないことはない、しかし実を結ぶでもなく基本的には観賞用のその植物、ポトマックの春をピンクに染めるその植物、フェアチャイルドによって日本から持ちこまれたその植物、名をサクラという。

 かつての訪日時に心奪われたあの花で自身の邸宅を埋め尽くす、はじまりはごくパーソナルな用途に過ぎなかった。しかしその美しさはたちまち広く衆目の的となり、間もなく評判はホワイトハウスへと届く。その木々で道を覆えばワシントンDCの殺伐とした光景は必ずや一変しよう、そんな世論の沸騰に乗じた時の大統領ウィリアム・タフトにはさらなる目論見があった。「日米関係の有効化を望むタフトは、桜が二国間の反目をやわらげる完璧な手段となり得ることにすぐに気づいたのである。……一方日本にとっては、アメリカの首都で日本の良いところを見せつける良い機会だった。日本の役人たちはまた、アメリカの方が日本よりも大きく、人口が多く、経済力があるにもかかわらず、二国はある意味で対等な立場にある、ということが暗に認められたことを喜んだ」。

 

 世界を股にかけるプラント・ハンターとして、フェアチャイルドの存在が要請された19世紀も終わりの時代背景にしばし目を移そう。開拓が進んだはいいが、「誰も彼も同じ作物を栽培していた。トウモロコシ、小麦、綿花の巨大な山がこの国を飲み込んでいたのだ。/……懸命に働けば大いなる報酬が与えられるという約束は、働けば働くほど貧しくなるという現実に裏切られた」。過当競争に疲弊する農家を救うには、とフェアチャイルドは農務省を説得する、多様性をもたらせばいい、他国から新たな作物を持ち込めばいい、と。

 原著が出版されたのは2018年、「アメリカ・ファースト」の渦中に筆者はこのテーマをもって一石を投じた。その意図は以下に示す書き出しからしても明らかだろう。

 

 アメリカ人として恥ずかしいと思うことの一つは、アメリカがどれほど肥大した自尊心と権力をもっていようとも、「アメリカの」という形容詞が使われるようになってから大して時間が経っていないということを、しょっちゅう思い知らされることである。数年前、僕は気づいたのだ――移民がアメリカにやってきたのと同じように、僕たちの食べ物もまた海外からやってきたのだということに。

 

 そして百年前にもまた、いわば自国優先主義を掲げて、フェアチャイルドの前に立ちふさがる勢力があった。他国から入り込んだ害虫、病害が、いつアメリカの農政に致命的な打撃を与えないとも限らないではないか、と。だからこそ、「『植物の敵』の侵入を阻む『万里の長城』が必要である」と。

 フェアチャイルドに言わせれば、一定のリスクは認めつつも、その危機感は脅威論を限りなく引き伸ばした誇大妄想に過ぎなかった。「壁を作って孤立するのは、アメリカにとって有利なことではなかった。そんなことをすれば競争力を維持することができなくなってしまう。『世界の潮流は、より大きく交わることであり、より頻繁に商品をやり取りすることであり、より大きな他とのつながりであり、地球上の植物や植物から作られるものがより大きく混じり合うことである』というのが彼の主張だった」。水際対策として「海外からの害虫が侵入する危険を根絶するのは政府機関の科学者のすべきことであって、国中の港できちんとした教育を受けていない港湾労働者がすべきことではない」。

 そして邦訳はポスト・コロナにおいて読まれる。武漢ウィルスを叫ぶ者たちは、それ見たことか、と快哉を挙げて「壁」を支持することだろう、ただしその手に握りしめるスマートフォンが、各国より持ち寄られた技術と知識と原材料の集積体であることなど思いもよらず。不測のリスクを恐れて、科学的なマネジメントの道すらも閉ざすことで生じるさらなるリスクについてなど、彼らは想像しようともしない。

 近所のスーパーでも八百屋でも出かけてみたらいい、そして国産の野菜果物として並ぶそれらのルーツについて少しでも思い巡らせてみればいい。ついでに言えば、それらを収穫しているのはかなりの確率で中国やベトナムから来た人々だ。「アメリカ」が「アメリカ」であることの非自明性に至らぬままに「アメリカ」に固執し続けることは天に唾するがごとくやがて自らに跳ね返る。無論、それは「日本」で置き換えてみても同じこと。時代の扉はいつだって国境を問わず通い合う知性と理性で開かれる。