Rotten Tomatoes

 

 スペインから来た征服者であるエルナン・コルテスは計算を誤った。しかもひどい誤算だった。7ヵ月前、虐殺と謀略の末に、アステカ島の首都テノチティトランに進軍したコルテスとその寡兵は、困窮状態に陥っていた。……

 盗んだ財宝をもてる限り詰め込んだスペイン人は、真夜中に決死の逃亡を企てた。移動式の橋を秘密裏に組み立て、破壊された土手道に渡すのだ。その際、あまりの重さに手に負えなくなった財宝の積荷は、虚しくもテスココ湖の底へと旋回しながら落ちていった。それまで世界が経験したこともない、計り知れない富の喪失だった。それでもコルテスは逃げて、軍を再編し、テノチティトランを再び征服しようとしていた――徹底的に。それから14ヵ月間の間に、かつて栄華を極めたこの文明はスペインの侵略と病原菌に、金銀に対する彼らの飽くなき欲望の犠牲となり果てて滅んだ。しかし、結果的に新世界の貴金属すべてを合わせたものにも匹敵するインパクトをもつことになるメキシコの真の財産はほどなく、船に乗ってヨーロッパへと辿り着き、歴史の流れを永遠に変えることになる。

 その財宝とは、もちろん、トマトだ。

 

「財宝」という割に、本書のトマトたちが垣間見せてくれるのは、食欲をそそるどころか、飯マズなプロフィールの数々。

 モッツァレラとバジルと、そしてトマト――三色旗そのままのピッツァ・マルゲリータを訪ねて、筆者ははるばるイタリアはナポリを旅する。もっともそのお目当ては、名物にうまいものなしを地で行く。というのも、「ナポリのピザの本当の問題は、時が止まっているということなのだ。しかも意図的に」。「貴重な遺産を保護する」との名目の下、イーストの種類や窯の構造に至るまで厳密に規格化されたその「聖なる遺物」は、ゆえにこそどの店で食べたところで何ひとつとして変わり映えしない。肝心のその赤色といえば、缶から取り出して「潰したりピューレにしただけのトマト」、瑞々しいと称えるべきか、はたまた単に水気が飛ばされていないだけと見るべきか。そして当然のように、女王陛下を絡めての誕生秘話もすべてが浅はかなでっち上げ。

 この「財宝」も今や、アメリカ人の嫌いな食べ物ランキング不動の1位に君臨して久しい。無理もない、「そのほとんど味のない粉っぽい食感はしばしば、ボール紙か発泡スチロールを食べているみたいだと形容される」。物流がそうさせる、市場がそうさせる、ひどく硬質な緑の状態で樹からもぎ取られるこの果実は、つまるところトマトのかたちをした何がでありさえすればいい。優先順位はただひとつ、収穫時に籠に投げ入れられようとも、ベルトコンベアを転がされようとも、トラックに揺られようとも、びくりともせず最終目的地へと運び込まれること。陳列する寸前にエチレンガスをかぶせれば、白くぼやけた赤とも違う何かの色にたちまち染まり、アリバイのようにハンバーガーにはさまれて、サラダプレートの傍らにくし切りされて、消費者の胃へと運ばれていく。トレードオフとして風味がいかに損なわれようとも、現に彼らは今日も食らう。刺身に添えられたプラスチックのタンポポのように彩りをもってその役割を終えてゴミ箱に直行しようとも、金になったのだから既にその用は十二分に果たされている。

 こうした話は、何もフロリダのマーケットに限った話ではない。大都市圏への運送とか、ましてや輸出とかどうでもいいから昔のうまいトマト食わせろよ、そうしてイタリアではじまったのが地産地消スローフード運動というのも散々語り尽くされたトピック。しかし、その地の代表品種として広く知られるサンマルツァーノを謳うトマトが、もし真っ赤な嘘だったとしたら。

 季節を問わず1年を通じて、トマトは店頭を埋め続ける。なぜにこの現象が可能になったといって、その過半は温室農法の普及に起因する。路地で栽培されたトマトのカーボンフットプリントはトマト1ポンドにつきおよそ0.25ポンド、対してハウスのそれは3ポンドにも及ぶ。「これは持続可能とは言えません」。

 

 しかしそれでも筆者はトマトに希望の未来を見てやまない。農業におけるイノヴェーション、例えば再生エネルギーの活用の恩恵をはじめに体現する作物があるとすれば、それは「トマトになる可能性がますます高まっている」。情報化ネットワークによって、古い品種や原種すらも入手して家庭菜園で楽しむことが可能になってもいる、もっともこと日本においては種苗法の改悪によってこの回路はほぼ断たれてはいるけれど。「トマトの人気がこれほど高まったことは未だかつてなく、その可能性がこれほど明るくなったことも未だかつてなかった」。

 果たしてそれはグルタミン酸の仕業なのか、そんな予知を裏づけるような履歴をトマトは現に重ねてきてもいる。

 驚くべきことに、ムッソリーニ率いるファシスト党はかつてイタリアにおいてパスタの廃止を打ち出したという。「臆病と怠惰と平穏な生活への愛」を象徴するからだという。すべからく生産性の急滑降に襲われる全体主義政府の合言葉、贅沢は敵だ、をもってともに片隅へと追いやられたかに見えたベスト・パートナーとしてのポモドーロは、ところがどっこい、滅びたりなどしなかった。植民地展開に伴って侵略者とともにアフリカ大陸へと渡ったトマトは、その場所で新たなフュージョンを切り拓いてみせた。「イタリアに食糧を供給するどころか、20世紀の植民地は正反対の結果となった。植民地がイタリアの輸出額の4分の1を使い果たしてしまったからだ」。インドのカレーにしても、つまるところは香辛料と塩をガンガンに効かせたトマトソースに他ならない、大英帝国によって持ち込まれ、その後チキンティッカマサラとして逆輸入される。蕃茄炒蛋、すなわちトマトと卵の炒め物も中国ですっかりおなじみの定番料理である。

 大量消費社会のアイコンとしてアンディ・ウォーホルが選び取ったのが、赤いラベルのキャンベルのスープ缶だったこともおそらく偶然ではない。彼が幼き頃から生涯にわたって愛好し続けたというその味のベースは、当然のようにトマトだった。

 新大陸から地球全土へと伝播されて500年、消費社会とはすなわち、トマトの帝国だった。

 

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