理不尽を許さない

 

 私の人生のうちで最もエキサイティングだった時から50年が経ちました。

 日本国憲法の草稿に「女性の権利」を書くという私の仕事は、歴史の隠された部分として、本来、秘密のままふせておかれるべきものだったのかもしれません。

 しかし、世界の人権、特に女性の人権の現状を見たとき、そして日本のさまざまな集まりで、かつて私の身に起こった事柄を公にし、人々に語ったときから、私の心の奥深くにしまいこんだ記憶をたどり、記録しておくことが必要であると感じました。

 私はいまでも、高い理想をかかげた日本国憲法はすばらしいと思っています。

 私は、この本を読んでくださった女性が自立し、仕事を持ち、女性の権利の獲得のために闘い続ける勇気を持っていただければ、と願っています。

 また、この本をお読みになる男性は、そういう女性を支えて下さいますようにお願いします。

 

 その女性、ベアテ・シロタがGHQ勤務を望んだきっかけは、ごく私的なものだった。父はロシア生まれのユダヤ人にして国際的なピアニスト、東京音楽学校の教授職を罷免された後も戦争に翻弄され行くあてを持てぬまま日本に留まる。その両親との再会を果たしたい、無事を確かめたい、その一心でかつて暮らした日本の地へと舞い戻るべく応募する。

 無二の武器は六か国語を巧みに操るバイリンガル性、民生局の政党課なる部門に配属された、ロースクール卒でもない彼女が、上陸から「わずか1カ月後に日本国憲法の人権条項を書く運命になるのだが、そんな雰囲気はかけらもなかった」。

 

 民生局のわずか25人のスタッフに命じられたのは新憲法草案の策定、当初、このトップ・シークレットに与えられた期限はたったの1週間。この突貫工事の第一のソースは、いわゆるマッカーサー三原則。そして第二のソースは、かつて『タイム』誌にてリサーチャーを務め、多言語を巧みに操るシロタの機転から生まれた。他国の憲法を手本にすればいい、そうして彼女は東京の主要な図書館をめぐり資料をかき集める。局内の誰もが宝の山に色めき立った。

 彼女に大いなるインスピレーションを与えたのは、皮肉にもソビエトとヴァイマールの憲法だった。

 例えばソビエト社会主義共和国連邦憲法122条にはこうあった。

1 ソ連邦における婦人は、経済的・国家的・文化的及び社会的・政治的生活のあらゆる分野において、男子と平等の権利を与えられる。

2 婦人のこれらの権利を実現する可能性は、婦人に対して、男子と平等の労働・賃金・休息・社会保険及び教育を受ける権利が与えられること、母と子の利益が国家によって保護されること、子供の多い母及び家族のない母が国家によって扶助されること、妊娠時に婦人に有給休暇が与えられること、広く行きわたって産院・託児所及び幼稚園が設けられていること、によって保障される。

 彼女を突き動かしていたのは、単に抽象的な理想像だけではなかった、そしてそこにこそ、憲法をめぐる本書が自伝として著されねばならなかった最大の理由がある。「赤ん坊を背負った女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿……子供が生まれないというだけで離婚される日本女性。家庭の中では夫の財布を握ってはいるけれど、法律的には、財産権もない日本女性。『女子供』(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成人男子との中間の存在でしかない日本女性」、幼き日々をこの国で過ごしたシロタは、彼女たちの顔をその目で見続けてきた。だからいっそうは誓うのだ、「これをなんとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない」。

 

 厚木の地に降り立った元帥ダグラス・マッカーサーは、そのとき既に日本の民主化をめぐる腹案を用意していた。

 その筆頭は女性参政権、さらに連ねて言うことには、「政治犯の釈放、秘密警察の廃止、労働組合の奨励、農民の解放、教育の自由化、自由かつ責任ある新聞の育成」。

 あるいはパターナリズムの具現と見えるこのリスト、奇しくもバブル崩壊後の失われた時代において日本人が自ら手放したもの、そして今、差し出そうとしているもののリストでもある。

 水は低きに流れる。権威主義の赴くがままに放っておけば、人は自らを縛りつける鎖をむしろ喜々として誇りさえする。だからこそ、憲法という契約で国家をむしろ拘束することをもって万人を守る安全弁とする。愚者は経験に学び、知者は歴史に学ぶ、世界がくぐり抜けてきたこの叡智をもって押しつけなどとは決して言わない。

 巷間、現在の日本を指して戦前と重ねる論調をしばしば耳にする。私にはその危機感を妄想などと嗤うことなどできない。事実、日本における退歩の願望は既にその閾値を超えた。その30パーセントに声を届ける術はもはやない。無風の冬は果てなく続く。

 ただし同時に、この腐敗した世界のどこにも居場所なんてない、わけではない。夫婦別姓すらも樹立できない私たちは、にもかかわらず、その時代よりも確実に前進していることを見落としてはならない。もしもあのときのままならば、2017年の総選挙をもって大政翼賛会を再来させていた、しかし歴史は徳俵にかかとを辛うじて残した。今なお、衆議院における女性議員比率が10パーセントにも満たない、恥ずべきことだろう、しかし事実、改正前の憲法下においては、その席に座る権利すらも与えられてはいなかった、それどころか選挙権すらなかった。

 この変化が何によってもたらされたか。

 紛れもない、日本国憲法と、そして人々の日々の献身に由来する。