本書はLA(ロサンゼルス)の食を、2019年4月から2020年3月までの1年間、体験して考えた記録である。……
移民国家アメリカのいわゆる「多様性」を、ニューヨークなどとは別のしかたで、最も遠くへと推し進めたのがLAであると言われている。アメリカの中でも、ここはきわめて特殊な場所である。その多様性ゆえ、当初はまったく取り付くしまがないように思われた。富豪たちのゴージャスな邸宅が林立し、最先端のファッショナブルな店がひしめきあい、まったく異なるルーツを持つ移民街が四方八方に分布する。巨大なアスファルトの人工都市に、これらがほとんど無秩序に混在するような印象だった。おいしいもの探しはどこでどのようにすればよいか――これという見通しが当初はなかなか得られなかった。
それでも家族と一緒にここの暮らしに慣れようと四苦八苦する日々がそれなりの長さになった頃、都市の見え方が変わっていった。さまざまな出会いに助けられつつ、これまでまったく経験したことのない――おそらく日本ではほとんど紹介されていない――美味のかたちに出会うことができた。……
LAは移住してきたものが誰でも自分を「再発見」することができる都市だと言われている。別人になる、生まれ変わることができる、ということだ。ほとんど魔法のようなこの力の一端に、どうやら私たち家族も触れることができたようだった。LAの食のおいしさの秘密もまた、この力とかかわっている。私は一年かけてじょじょにそのことを知るようになる。
とある一日、少しばかり奮発をして筆者はProvidenceなる店を訪れる。批評家からも高い評価を得る、魚介料理でとりわけ知られるレストランだという。
ワイン・ペアリングのひとつには日本酒が供される。前菜の鯛は富山から取り寄せたものだという。スターターにはタコス、といった具合に「この都市を彩るさまざまなエスニックフードへの参照が、いたるところに見出せる」。コース終盤には「ワギュー」を用いたメニュー、「タイワン・キャベツ、ハーブ、ソテーされた肉、そして酸味の効いたソースを順番に咀嚼してゆくと、最終的にはあの大阪のウスターソース香る」、つまりはお好み焼き風の何か。
しかし筆者にはふと気になった点がある。果たしてこうした料理を日本人はいかにして食したのだろうか。案の定、というべきか、辛辣な評がひたすら目につく。曰く、「日本料理の研究をよくしていることはわかったが、すべてツボを外している、とか、魚の扱いに不満が残る、とか。料理界のクリエイションの最前線と比べたらたいしたことはない、とか」。
しかし筆者は反論せずにはいられない。「旅行者にとってプロヴィデンスは決してわかりやすい店ではないのだと思う。なぜなら、この店が表現しようとしているのはほかならぬLAのローカリティであり、そのローカリティ自体がぱっと見てすぐ了解できるものではないからだ。……表面上のモダンな空間の下に、メキシコや、イタリアや、日本などのさまざまな文化を育む地域性=『別の場所』がいくつも潜んでいる。そのマルチレイヤ―でマルチリンガルなLAを、いくつもの皿で表現することが、おそらくプロヴィデンスの試みなのだ」。
たぶんこういうことか、とピカソのキュビズムを素材に漠と思いを巡らせる。
結局今日に至るまで、彼をめぐる市井のオピニオンといえば、この絵のどこがうまいの、という表象批評とすら言えない浅瀬をうろちょろしたきり、そこから先へとは一向に進まないまま。
しかし、ジョルジュ・ブラックとの共闘関係を少しでもかじってみたり、アフリカン・アートからの影響といったレイヤーを軽くでものぞき見してみれば、むしろ基本的に彼の絵画というのは、露骨なまでにとてつも分かりやすい代物に変わる。簡明な線で描ける、その強みに溢れていることが分かる。あるいはさらなる深いレイヤーとして、ポスト写真におけるあえての絵画の存在意義や、遠近法の呪縛からの解放といったテーマ軸も、自ずと浮かび上がってくるだろう。
ジャポニスム絵画を眺めて、ああ、なんかうちわが描いてある、という以上の何を読み取ることもない観客に、あるいはプロヴィデンスを酷評する層は限りなく似ているのかもしれない。
そうしていくつ刺激されるべき「記憶の襞」を己がうちに有しているか、LAを食べるという体験は、そんなテストに限りなく似る。
レイヤーを異にする者に横たわる通約不可能性。
それは例えば、映画の起承転結を追って面白かったと納得して帰宅していく層と、物語の背後に同時代性を忍ばせる脚本の巧みさをもって面白いとする層と、キャスティングの妙とその演技に面白さの基準を置く層と、サンプリングの元ネタが分かることに面白さを見出す層と、カメラワークやライティングの新奇さ――効果的とは限らない――をもってその面白みを評価する層とでは、そもそも面白いなる語の定義が共有されていないように。
もっとも、ひとりの人間によってこうした複数のアスペクトが所有されるというのは、いかなる矛盾をも体現するものではない。そしておそらく、引き出しは増えれば増えるほどに解像度は上がり、人生はより豊かになる。
古来、映画は牛だった。
というのも、フィルムに用いられる乳剤は、牛から採られた膠、すなわちゼラチンだったのだから。
ゴー・ウエストとは、人ともに牛が西海岸を目指す運動に他ならず、いつしか「国民食」の地位を得た牛を食べることこそが移民たちにとっては、「アメリカ的平等への参加」の体現だった。西部劇はそんなシーンを切り取り続けた。
牛肉映画の永久不滅といえば『ロッキー』、冷凍庫の中でサンドバッグ代わりにひたすら凍った肉塊を打ち続ける。豚でも鶏でもなく「牛を叩き、牛を食べることで……ロッキーは疲れと痛みに対する無尽蔵の耐久性を手に入れる」。第一作の上映は1976年、舞台は建国の地フィラデルフィア、ベトナムの蹉跌、日出ずる国の台頭に打ちひしがれるアメリカは、牛を起爆剤に立ち上がるロッキーの姿をダブらせずにはいられなかった。
「記憶の襞」にそんなことを留めておくだけで、映画も味覚も変わっていく。