ホームレスとして生きるZ世代の若者たちを取材していると、年配のホームレスとは異質な印象を受ける。帰ろうと思えば帰れる実家はあるのに家に戻ろうとしない少女。裕福な家庭に生まれて、アルバイトで毎月ある程度の収入を得ながら歌舞伎町に通う少年。「ホームレスとは?」という問いに対し、「お金がない」「家がない」「頼れる人がいない」といった、おおよそ想像し得る分かりやすい答えが何一つあてはまらない彼らは、言わば“ネオホームレス”とでも呼べる存在かもしれない。
僕にそう思わせるきっかけをくれたのは、ある15歳の少女だった。
若い、いやまだ子どもとも呼べる彼女らがなぜホームレスを選んだのか?
その答えを僕なりの言葉で書き記していこうと思う。
英単語におけるhomeとhouseの違いとは?
ホーム・タウンやアット・ホームとは言っても、ハウス・タウンやアット・ハウスとは言わない。ただいまをI'm home!とは言ってもI'm houseとは言わない。帰るべきところ、拠点となる場所としての家に対して専らhomeを使い、対してhouseというのは他から仕切られた建物としての家を指しているらしい。
「家がある。家族がある。お金がある。だけどホームレス、というZ世代のネオホームレス」。
いみじくもこの定義に照らせば、彼らにはhouseはあっても、homeはない。
その象徴となるような22歳の女性が取り上げられる。
家族関係の葛藤から郷里の離島を飛び出してひとり東京へやって来た彼女には、断固たる決意があった、はずだった。ところが、現実には何をやってもまるで続かない。二度と戻らないと誓ったはずの郷里にわずか2週間でリターン。再び上京して程なく就職先として旅館に住み込みで働くことになったものの、研修期間を終えた彼女はなんと1日でその仕事をやめてしまう。
「頑張りたい、と言っていたのに、とても頑張ったように見えない」。
たぶん、彼女には頑張りようがない、なぜなら安全基地、ホームがないから。家族もダメ、友人もダメ、恩師にあたるような誰かもいない。社会の最小単位としてのホームが機能していないのに、それより大きな異世界になど挑んでいけるはずもない、そこから成功体験など引き出しようもない。彼女にはハウスがあってもホームはない。ベクトルは始点を定められなければ終点へと向かいようもない、彼女は他人へと歩み出すことができない、ゆえに「ありがとうございます」も「ごちそうさまでした」も言えない。
ネオなんて冠をかぶせるまでもない、字義通りのホームレスな彼女たちは、古典的な安全基地理論そのままの不全をもって自らを日々傷つける。
当時18歳のホームレスは、悩みは、と筆者に問われ打ち明けた。
「うーん……なんだろう。特にすごい辛いとかってなくて。たぶんここにいる子ってみんなそうだけど、基本死にたいって思ってる。死ねたらなんでもいいなって思っちゃうから……悩みは『死ねないこと』かな。(中略)死ねないから何しようってなったらここに来るしかない。いる場所もないし、やることもないし、できることもないから、ここにいる」。
希望もなければ絶望もない、かつてエミール・デュルケームが「アノミー」と名指した事態がここにある。ホームがない、だからホープもない。トー横が誰のホームになることもない。
ある種対照的に、25歳のホームレスには「生きるためのモチベーション」があった。
つまり推し活、担当ホストへの依存だった。「彼女は元彼とのエピソードを『好きかどうか』というものさしだけで語り続けた」。彼女にとって重要だったのは、その瞬間に得られる喜悦のインテンシティの強さだけだった。現実逃避の恍惚の「アヘン」(F.ニーチェ)を得られたのである、2000万円を失ったところでそれがなんだというのだろう? その金を他人が有効と思える使い方をしたところで、何が買えたというのだろう? 瞬間、彼女はそこにホームの幻影を見た。
そして彼女は少し別の仕方でホームにたどり着く。曰く、「立ちんぼやってないと寂しくて仕方ない。だから、寂しさを埋めるために私はここに座ってるんです」。誰かが自分を必要としてくれる、自分の中にホームを見出してくれる。
虚言の数々をもって散々振り回していった「彼女の本当の気持ち」を、そのとき筆者は確かに聴いた。
彼らホームレスの肖像に、新しい話などひとつとして何もない。そこにはただ、ホームなき孤独の痛みが横たわる。互いが互いを信じることができない、ホームレスがホームレスを拡大再生産する、壊れ切った国に生まれ落ちた、幸福度最低のZ世代の最尖端がここにある。
だからこそ、筆者は悔恨とともにこう呟いて立ち尽くす。
「実感として、できることは何もない」。