海原の人魚

 

 沖縄で、風俗業界で仕事をする女性たちの調査をはじめようと思ったのは2011年だった。

 沖縄の風俗業界には、未成年のときから働き出した女性たちがいると伝え聞いていた。年若くして夜の街に押し出された彼女たちがどのような家族のもとで育ち、どのように生活をしているかがわかれば、暴力の被害者になってしまう子どもたちの生活について話し、それを支援する方法について考えることができるのではないだろうか。……

 話を聞かせてもらったのは10代から20代のキャバクラや風俗店で働いている女性たちで、子どもももっているひとがほどんどだった。彼女たちは10代で子どもを産み、パートナーと別れたあと、ひとりで子どもを育てるために夜の業界で仕事をしていた。

 そうやって夜の街を歩くようになってから、私は昔の出来事を思い出すようになった。最初は友だちの手のひらを思い出した。その次は隣でさらさらと揺れていた髪の毛を思い出した。どれも中学生のころ、私の近くにあったものだ。

 話を聞いた女性たちはみんな、私の中学時代の友だちの面影を宿していた。……

 15歳のときに、捨てようと思った街に私は帰ってきた。今度こそここに立って、女の子たちのことを書き記したい。

 これは、私の街の女の子たちが、家族や恋人や知らない男たちから暴行を受けながら育ち、そこからひとりで逃げて、自分の居場所をつくりあげていくまでの物語だ。

 2012年の夏から2016年の夏までの、4年間の調査の記録である。

 

 100人いれば100通りの人生がある、なんて大嘘で、事実は1通りの人生しかない、つまり、AIによって計算可能、記述可能という意味で。

 

 筆者がかつてのクラスメイトの記憶を重ね合わせずにはいられないように、このテキストに登場する女性たちの姿は皆、驚くほどに似通っている。ある面では当然のことなのだ。男女の非対称な構造の中で日常化する暴力と搾取という鋳型を通じて切り出されたのが、この沖縄の彼女たちなのだから。

「ああそうか、これはデジャブだ、と思う。ずっとここで、繰り返されてきたことだったのだと思う」。

 このシステムをリフォームしない限り、これまでもこれからも、こうした「デジャブ」をまとう女性たちは、再生産され続ける。それは同時に、専ら加害し搾取する側の、ただひたすらに短視的で衝動的な男性たちを再生産する営みを兼ねてもいる。

 と、読み終わって数週間、途方に暮れる。

 このインタヴューから彼女たち6人の共通項を抽出して、レヴューすることくらい、訳もなくできる。それは少なからず、沖縄の「夜の街」に立つ女性像の、最大公約数的なフィギュアにもなるだろう。そもそもからして、こうした再生産構造の抑止のために、ひとつのモデルを描くべく立ち上げられたはずのフィールド・ワークでもある。

 そんなことは分かった上で、途方に暮れる。

 書かれていることからサマリーを抜き出す、その作業そのものがどうとも形容しがたく、テキストの性質そのものになじまないような気がしてならないのである。それはひとつには、類型化が搾取構造を少なからずリピートしてしまうから、という点もある。キャバ嬢、デリヘル嬢、JCJK――そうして対象を次から次へと記号消費する男たちの営みと、切り抜きというプロセスが少なからず相通じることはどうにも否めない。しかし、この違和感はその一点にのみ起因するものではない。

 引っかかり続けてはいる、何かしら言語化をしてすっきりはしたい、しかし要約化という行為に移すその仕方がなじまない、ような気がする、そうして一読者は途方に暮れる。

 

 そんなある日のこと、本書に対して抱き続けるこのぎこちなさに、関連書籍とも思わずに手に取った一冊のテキストが、唐突にその糸口を教えてくれた。

 湯澤規子『焼き芋とドーナツ』。

 この本のプロローグにおいて主に言及されているのは、高井としを『わたしの「女工哀史」』。「わたしの」というフレーズがはさまるのには訳がある。あの『女工哀史』を著した細井和喜蔵の内縁の妻だったという高井は、歴史的ルポルタージュに描かれた対象のひとりで、「細井の執筆や取材にも深く関与していたことから、実質的には『女工哀史』のもう一人の執筆者ともいえる。しかし、籍を入れていなかったという理由で『女工哀史』との関わりはなきものにされたばかりか、莫大な印税も彼女の手には届かなかった」。そんな彼女が、半世紀余を経て、自らテキストを上梓する。

「わたしの」と明記しているところを見れば、同書が言わんとしていることは推察できる。社会に広く知られた『女工哀史』には「自分自身」が描かれていない。だから、あらためて、「わたし」という主語で自らの物語を描き残したい。その意志が書名から伝わってくるのである。

 もちろん、大正昭和の高井と『裸足で逃げる』を紐づけて、今さらながらに前近代型封建制に共通の「デジャブ」を引き出そうなどという話ではない。

「わたし」である。

 レヴューを試みれば試みるほどに、その文章から「わたし」の痕跡が漂白されていく、「わたし」が抽象的な彼女たちへと還元されていく、たぶん、それが一連の躊躇の原因だった。

 上間陽子によるこのインタヴューとは、聞き手を持つことを通じて、語る「わたし」を彼女たち自身が発見していく試みに他ならない。結果ではない、その過程こそが、本書を本書たらしめる。

 彼女は、彼女たちは、「だれかに見つけてもらって、おうちに帰りたかったのだろうと思う」。「だれか」に見つかること、それはすなわち安全基地としての帰るべき「おうち」が見つかることであり、つまるところは、「わたし」自身が「わたし」を見つけることに他ならない、「わたし」を「わたし」たらしめるナラティヴを見つけることに他ならない。

 まるでウィリアム・フォークナーのように荒涼とした世界の中で、彼女たちはまさに判で押したかのようにかりそめの「おうち」を見つける。つまり、ヒモそのもののクズ男どもである。経済的な理由からすがるのではない、むしろ彼女たちは身を売って食わせている側なのだから。しかし彼女たちは、苛烈な暴力にさらされようとも、彼らから離れることができない。なぜならば、彼女たちを見つけてくれる「だれか」が他にはいないのだから。「だれか」を失えば何者でもなくなってしまう、その孤絶の方がたぶんDVよりも辛いのだから。

 

 その中で、「夜の街」から、男たちから、ようやく離れることをひとりの「わたし」は達成する。

 そのきっかけは、彼女が「DVを受けていることに気づき、声をかけてくれた看護師たち」だった。必死に駆け込んだ警察――文春よりも役に立たない公金チューチューでおなじみの――が「籍が入ってないから」とやらを口実に被害に見て見ぬふりを決め込む傍ら、そうしてようやく「だれかに見つけてもら」ったことで、彼女ははじめて「わたし」になる。その出会いを契機に、「わたし」は「自分が助けてもらったことを、今度はほかのひとたちに返してあげたい」と看護師を志し、その思いを実現させる。ロールモデルの先に生まれた「わたし」の次なる望みは訪問看護師だという。「病気や障がいをもちながら、ほんとうは家で暮らしたいと思っているひとたちが世の中にはいる。だから自分は、そういったひとたちのそばにいて、一緒に暮らしをつくっていく看護師になりたい」と「わたし」は思う。

 

 本書は、そんな「わたし」と、まだ「わたし」になり切れない「わたし」によって構成される。テキスト越しにそのストーリーに耳を傾ける、そのことがあるいは次なる「わたし」を誕生させる。

 

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