熱のあとに

 

 歌舞伎町に足を踏み入れたきっかけは、3年前の小さな事件にあった。2019523日、マンションの一室でおきた「ホスト殺人未遂事件だ」。……

 高岡由佳(当時21歳)が、好意を寄せるホスト・琉月さん(当時20歳)の腹部をマンションで就寝中に包丁でメッタ刺しにしたこの事件。……

 まだ21歳という若さで、これからの自分の人生をゼロにする「殺人未遂」を犯していながら、犯行後に「相手が“好きだ”といってくれて幸せだった」と供述していた高岡。そして、逮捕後に琉月さんに宛てた手紙にあった「夢のように幸せだった2か月」という言葉。傍から見たら、相手に殺意まで持って、さらに実行に移すという状態は「地獄」としか思えない。

 そんな高岡に自分の同一視するほどの共感をよせる「#ホス狂い」の女性たち。一体、彼女たちを突き動かすものはなんなのか。なぜ、彼女たちは、自分自身の未来や、果ては命を賭してまで、この街へ通うのだろうか。……

 知人の政治ジャーナリストの口癖は「その土地を知るには、まずは住んでみないと」だ。……その地の水を飲み、同じスーパーで買い物をして、その土地の人々と同じ生活をすることから始め、その場所そのものを理解しながら、徐々に信頼を培っていくのだという。

 歌舞伎町も同じなのかもしれない。コロナ禍の中でも歌舞伎町に通い続ける女性たちはどこに魅力を感じて、この街へと向かうのだろうか。この街が見せてくれる「夢のような幸せな時間」とは一体どんな時間なのか。

 

 実際に街で暮らしてみる。筆者のこの策は、間もなく的中する。ホス狂い当事者にインタビューを試みるもなかなかアポが取れない中、ようやく応じてくれたのが「昭和生まれの人妻おねえさん」、彼女は程なく筆者が仮暮らしするマンションの一室に入り浸るようになる。

 夫とともに会社を経営しているというこの彼女、子どもこそいないが関係は至って円満で、「少女漫画のような恋愛をしたい」と語る「歌舞伎町エンジョイ勢」のひとり、「あくまでもわきまえて、自分の範疇をはみ出さずに遊んでいるように見える」。彼女は「ホストたちに頼まれるがまま、煽られるがままに、店に通っていたわけではない。彼らの言うことや、お願いに従順に従っているように見せて、その実は、じっくりと時間をかけ、ホストたちをコントロールしていたのだ」。筆者の眼には、彼女が竜宮城を巧みに泳ぎ回っているように映っていた、そう、玉手箱が開くまでは。

 ある日、改まった口調のLINEで彼女から面会を求められ、その席上、少なくとも筆者にとっては寝耳に水の告白を聞かされることになる。月100万程度のリミットを設定していたはずが、実際にはわずか1年で総額2800万円余りをホスト遊びにつぎ込み、自らの取り分ではまかない切れず、夫婦の共有口座に手をつけていたのだ、という。家を離れてこの街で暮らす、使い込んだ金も返していく、生計の主たる手段はデリバリーヘルス、豊胸手術は彼女の「覚悟の刻印」だった。

 取材対象者のひとりは筆者に告げた、「歌舞伎町は“共感の街”なんだと思うんです」と。しかし、仕事を超えた友人関係すら芽生えていたかに思えた「人妻おねえさん」のことすらも、実のところは告白を待つまでは何ひとつ気づくことができなかった。そこには延々とただ擬製された“共感”だけがあった。いみじくも、それは筆者がこの街の住人として溶け込めたという達成を証するように。

 

 私がこの渦に巻き込まれたいとは思わない、さりとてこの“共感”を笑い飛ばす気も起きない。

 あるホス狂いは言う。「“愛情”ってある意味簡単で、金額なんです。本気の愛を見せたいなら、てっとり早く、お金を積むしかない」。外野は好き勝手に言うだろう、そんなものは“愛情”ではない、と。しかし、彼女たちはシャンパンタワーを積むその瞬間に確かにそこに“愛情”を感じているのである。泡と消えると分かり切った上で、ビジネスだと知悉した上で、それでもなお歌舞伎町は束の間の「夢」を彼女たちに見せているのである、リアルの日常の中では決して見ることのできない「夢」を。ガラスの靴が、かぼちゃの馬車が、すべてイリュージョンだとシンデレラに向けて叫んだところで、イリュージョンなき灰かぶりの惨めで退屈な日々を突きつけたところで何になる?

 先の「おねえさん」は独白する、「歌舞伎町やホストと関わらなければ、私自身、人生を見直すこともなく、くすぶった生活を送っていたと思う」。「夢」を見ることを諦めたところで、そのつつがなき日々に広がっているリワードといえば、「くすぶった生活」でしかない。セックスを売れば「夢」が買える、この商取引を「くすぶった生活」にどっぷり浸った茹でガエルがどうしてあざ笑うことができるだろう。

「傍から見れば、どのような地獄であろうとも、浸かっているに人間にとっては、温かく、そこから出ることのほうがよほど“地獄”なのだ」。

 

 他方、この“地獄”では「本当に死んじゃう子がいる」。

 霊感商法がそうあるように、これを単に個人の幸福度をめぐるビジネスだ、財産権の自由行使だ、と断言することをためらわせる瞬間にもやがて遭遇することになる。

 ホス狂いのAV女優が友人を失う。自殺だった。「カレとの思い出の部屋で、彼女は自ら最期を迎えたのです」。

「歌舞伎町は命が軽い、とか、自殺が多いとか。歌舞伎町ではすぐ人が飛び降りる、と簡単に語られることが多いですが、実際は違う。亡くなった子と、その家族だけじゃなく、まわりの人生も、すべて変えてしまう。カジュアルなリスカとか、ファッションとしての自殺未遂とかの果てに、本当に死んじゃう子がいるって。歌舞伎町でも、命は軽くなんて、ないんだよって」。

 もしかしたら、「夢」の抜け殻としての命なんてごくごく軽いものなのかもしれない。しかし、と思う、「くすぶった生活」の命のどこに重みがあるというのか、と。

 

 そして筆者は――また、ほとんどの読者は――絶句する。

 あの「ホスト刺殺未遂事件」についてヒアリングを試みた際のこと、カリスマホストがさらりと打ち明けた。

「近いことはザラにありますが、明るみに出ず、事件化することはほとんどありません。この前もある人気ホストが、お客さんともめた末に今回のように包丁で刺され、相当な大怪我をしたのですが、被害届は出さなかった。理由を聞いたら『女の子が罪悪感で、もっと太い客になって戻って来るから』というんです」。

 ピンチをチャンスに変える、刃傷沙汰が商機に変わる、世のすべてのマーケター垂涎、「夢」でも何でもない最高の教材がこの街にはある。

 すべて命は紙より軽い。

 

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