コロナの時代の僕ら

 

 これは、ある競争にまつわる物語だ。もっともそれは、よく描かれがちな、他のワクチンを開発する他の開発者との競争ではない。……これは、恐るべきウイルス、すなわち、数百万人の命を奪い、人々の生活を破壊し、学校を空にし、私たちを愛する人々と離れ離れにし、社会全体を閉ざしたウイルスとの競争である。……

 同僚のキャサリンと私は2020年の夏にこの本を書くことに決めた。その頃には、ワクチン(オックスフォード・アストラゼネカワクチンと呼ばれている)の設計と製造が完了し、治験を始めていた。……私たちはその時期に、世間が抱くワクチンへの不安をどうにかしたい、ワクチンを安全なものにするべく細心の注意が払われていることを知ってほしい、と思うようになった。ワクチンや科学や研究者にまつわる根拠のない噂を一掃したかった。真実の物語を語る機会が欲しかった。少なくとも私たちに関する部分の真相を、私たちがどのようにしてオックスフォードワクチンをつくったのかを説明したかった。

 

 WHOが優先感染症のトップテンリストに「感染症X」の存在を記述するようになったのは、2018年のことだった。もっともこの段階で、あくまでこれは「仮の病名であり、将来発生しうる仮想の感染症」を指すものでしかなかった。例えばスペイン風邪のように、例えばペストのように、歴史の転換点となるような病はいずれ必ずやって来る、「いつ出現するかは誰にも分らないが、何らかの病原体が近い将来に発生することは避けられないというのが、専門家の認識だった」。

 そしてその時は訪れた。筆者らを含め、少なからぬ研究者にとって、それは決して不意打ちのカタストロフィではなかった。しかし社会の側にその用意は何ひとつなかった。かねてより囁かれていた通り、研究費の調達ひとつにも四苦八苦、それどころかいざことが起きてみれば、消毒液やマスクといった基本的な備品すらも供給できないことが瞬く間に露わとなった。

 その貧弱極まる状況にあってすら、彼女たちは驚くべき迅速さでワクチンをデザインしてみせた。ラボラトリーの中の「いわば家族経営のピザ店」の台所仕事を全世界規模のサプライ・チェーンへと拡大する、そのための労力も割いた。異例なまでのスピード認可を受けるにあたっても、たった一件のどうということのない体調不良で使用を中断するほどに、治験には慎重に慎重を期した。

 それでもなお、世界は彼女たちにあまりに冷酷だった。オックスフォード・アストラゼネカワクチンの「有効性が高齢者では8パーセントしかない」とドイツの新聞が書き立てた全くの事実無根は、あたかもファクトであるかのように流布されて、結果としてEUをはじめとした世界各地での政策決定にすらも影響を及ぼしてしまった。ファイザーやモデルナのmRNAワクチンとは異なるそのアプローチは、管理の容易さや安価なコストといったあまた長所にもかかわらず、敬遠材料とされた。各種データに基づくエビデンスが明らかにその有力さを証明していたのに、アンソニー・ファウチやエマニュエル・マクロンといった人物すらも、そのいわれなき誹謗中傷キャンペーンに加わった。

 

 そんな腐り果てた世界に、次なる「感染症Yはいずれ現れる。次は必ずある。それは避けられないことだ」。

 安物買いの銭失いそのまま、みすぼらしいリソースがもたらしたコロナ以降のこの教訓を、クズそのものの世界は依然として変えようとはしない。雨合羽を防護服に、イソジンが特効薬に、そんな卑しい虚言の数々を、世間はすっかり忘れて久しい。コロナの真の症状は脳のさらなる浸食だった、そう説明することにいかなる躊躇の余地があろうか。

 各社の速やかな開発が可能となった背景には、プラットフォームが既に整えられていたから、というものがある。このスキームに則れば、あるいは「感染症Y」、「感染症Z」……とこれからも延々連なるだろう脅威の列にも、その都度早晩一定の解決策は処方されるのかもしれない。もっともその構築に社会はさして寄与したでもない、それなのに、その果実からの受益を当然のこととして、彼らはこれからもコストカットに勤しみ続ける。封じ込めのロジカルな必然を理解できないその低スペックをもって、ロックダウンのどうということもない苦痛をマスクもなしに声高に唾液をまき散らして醜悪な間抜け面を隠しもせずに叫び続ける。「『イギリスにいる私たちが地球の裏側にいる人々を脅かしている病気に関心を払う必要はなく、そうした病気に効くワクチンを開発しても他人を利するだけだ』という考えが間違っていて危険である」ことを理解する日は彼らに終生決して訪れやしない。とりわけ感染症においては、「利己的な行動と利他的な行動が同じ」だということに耳を貸す日は彼らに決して訪れやしない。

 こんな終わり切った世界の中で、幾何級数的な爆発を免れて人々の命が救われたのは、単にほんの少数の有能な人々の善意の成果というに過ぎない。巷の自由市場経済万能主義者の主張の通りならば、ビッグ・マーケットのインセンティヴがワクチンや特効薬を自動生成してくれるはずだった、もちろん現実にはそんなことは起きなかった、ほとんどすべての企業はこの「競争」のプレイヤーにすらなれなかった。今般の功績により59歳にしてようやくテニュアのポストを与えられた筆者のような存在は単に偶発的なものでしかなくて、システム設計に依拠しない以上、クズがクズを再生産する必然こそあれ、これからもこうした逸材が供給される保証は何らない。

 近い未来に「感染症Y」が人類を飲み尽くそうとも、それを因果応報として祝福する他に何ができるだろう。

 

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