LOVE AFFAIR~秘密のデート

 

 ミカと知り合ったのは2011年、7月のこと。

 ミカの本名はミッシェル。フィリピン人だ。名古屋市中区の夜の繁華街、栄4丁目のフィリピンパブでホステスとして働いていた。……

 ミカが日本に来たのは201011月。一足先に日本のフィリピンパブに出稼ぎに来た姉から誘われてのことだった。そのとき姉から「ホステスになるためには、日本人と結婚した形にしてビザを取らなければいけないのよ」といわれた。偽装結婚だ。

 姉はこれまで、家族にきちんと送金してくれた。そのお金でミカは高校、大学と進学できた。その姉に少しでも恩返しがしたい。偽装結婚がひっかかったけれど、そう思って日本に行くことに決めたという。……

 ミカは150センチと小柄で25歳。僕より3つ年上だったことを隠しもせずに教えた。明るくて、やさしい。商売抜きで親切にしてくれるように思えた。店の客としては、僕が若い方だったからかもしれない。「今夜のチャージは千円だけでいいよ」と耳元でささやいてくれたこともある。

 何回か通ううち、僕はミカと付き合うことになった。

 指導教官にそのことを告げたら、顔色が変わった。

「そんな危ないこと、すぐやめなさい! そんなことを研究対象にはできません。その女性とは早く別れなさい。あなたのお母さんに顔向けできません!」

 それでも付き合い続けた。

 

 疑似恋愛産業をフィールドワークの素材として対象化する。

 それ自体は珍しいアプローチではない。宮台真司が一躍その名を轟かせるところとなった『制服少女たちの選択』であったり、近年では鈴木涼美『「AV 女優」の社会学』であったり。単に当事者にヒアリングを重ねただけのテキストや密着ルポルタージュ、あるいは夜の街版成功者かく語りきといったものを同じフォルダーに収めてしまえば、類書にはおよそ事欠かない。

 果たして本書が研究と呼ばれるべき何かなのかは私にはよく分からない。良くも悪くも、ここには筆者と彼女が体験した話しか現れてはこない。調査手法と呼べるものもないといえばない。定性と見なし得るかも怪しいほぼひとつだけのサンプルをもって『フィリピンパブ嬢の社会学』と打ち出してよいものか、疑問は尽きない。

 

 しかし、感情移入というその一点で、本書はそうした小賢しいごたくの何もかもをなぎ倒していく。苦みも甘みも何もかもが詰まったこのカップルの物語に、いちいち揺さぶられずにはいられない。

 科せられた条件からして既にハードモードである。「契約期間は3年。給料〔基本給〕は月6万円、休みは月2回」、家賃やらは雇い主持ちだとはいえ、同棲の事実をもって婚姻関係をでっち上げ逃亡を防ぐために過ぎない、当然、いかなる文書が交わされることもない。それでも彼女は甘んじて来日を選んだ。なにせ「フィリピンにいたら何もできない。仕事ない、仕事があっても給料安い。6万円なんて大金だよ。フィリピンじゃ稼げないよ」。彼女自身も姉からの仕送りで短大まで進むことができた、もっとも卒業したところで働き口などなかったけれど。次は彼女の番だった。

 そんな彼女が店にやって来た青年と恋愛禁止令を破る。車窓越しに眺める名古屋城に目を奪われる。「どこも行ったことない。一回お客さんと同伴で東山動物園に行っただけ。だって休みないでしょ。日本のことわからないし、バスや電車の乗り方がむずかしい。どうやって行けばいいか分からない」。彼女の友人のアパートにふたりきりのところ、突然男が踏み込んでくる。「色黒で白髪まじりの角刈り、口ヒゲを生やし、まさに組幹部という感じの男……背中には一面に龍の刺青が彫られていた」。筆者は慌てて身を隠すも動揺を抑えきれない。「襖を開けられたら見つかってしまう。しかも真っ裸だ。言い訳も何もない。襖が開いたら、全裸のまま土下座して謝ろう。いや、それとも開けられる前に外に出て謝ったほうがいいだろうか。頭の中がぐるぐる回り始めた。脇の下を汗が伝って流れる」。

 念願の里帰りに筆者も付き添う。山と土産を抱えての帰国。香水、家電、時計、バッグ……そのほとんどは彼女が常連にねだって買ってもらったものだった。そんなこんなで平均月収2万の国で親戚中にたかられて、持ち込んだ40万円があれよあれよと消えていく。外国に出さえすれば、金は湯水と湧いて稼げる、彼らは心底そう信じて疑わない。「外国で働き口を見つけ、家族に送金できれば、フィリピンではそれが勝者なのだ。送金があれば、メイドとして働く身分から、メイドを持つ身分に変わるのだ」。

 そんな姿に怒りを誘われ、つい彼女の父親にぶつけてしまうも、ふと我に返れば、筆者自身も似たようなものだった。大学院を修了こそしたが正社員の雇用枠はなく、気づけば友人たちからもヒモと揶揄されるようになっていた。いつしか同棲するようになり稼ぎのいい彼女に食わせてもらう、自分も何ら変わらなかった。それでも彼女は言った。

「大丈夫。日本はいっぱい仕事があるじゃん。そんな給料高い仕事じゃなくてもいいよ。毎日、ご飯を食べれて、家族が笑顔で幸せならいいよ。心配しないで、あなたならできるから。なんでもできるから」。

 

 たぶんパブの常連も読者も限りなく同じ、結局のところ、本書の何に惹かれるといって、それは彼女のひたむきさに惹かれるのである。

 彼女との交際に当初は周囲の誰しもが反対した。騙されている、どんなトラブルに巻き込まれるか分からない、金づるにされるのがオチ、と。打開策はただひとつ、彼女と実際に引き合わせることだった。友人、知人、指導教官、皆一様に彼女の人柄に魅せられた。猛烈な拒絶を示していた母すらもいつしか「なんか一生懸命やってるみたいだから応援するわ」と背中を押す側に回っていた。

 そう、読んでいて思わず「応援」したくなる。街中でも、テキストでも、そんなカップルにそうそう会えるものではない。

 

 どうにも拭い切れない疑念があった。あまりに古風でベッタベタなこの純愛がもし全くの作文だったとしたならば、と。現代人のクズすぎる習癖で、つい検索せずにいられない。「中島弘象」と入力すると、ブランクの候補に登場するのは「映画」「現在」「バカ」……。

 その中で彼らの近況を伝える記事を見つける。

www.huffingtonpost.jp

 本書の上梓から6年の時が流れ、夫婦の間には2人の子どもが生まれていた。いみじくもそのインタビューに彼女のエコーが反響する。

「私のこと、弱い人間と思っているんでしょ? 私、強いよ。あなたが思っているのと違う。ばかにしないで。私のこと助けたいと思って付き合うんだったら付き合わなくていい。助けなんていらない」

 心から言える、末永くお幸せに。

 

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