君たちはどう生きるか

 

 おれは三人の人間に、“三十五歳で死ぬ”ことを予言されていた。

 その一人は医者だ。……

「さすがに年が若いから、回復も早いんだろうね。ただ、これは言っときますがね。あと十年、この調子で飲み続けたら、もうまちがいない。百パーセント、肝硬変だ。死にますよ、あなた」……

 もうひとりはプロの占い師だった。……

「この先三、四年は良い運が続く。才能が芽を吹き、努力がむくわれる。ただ、金運はあまりついてこない。女運もよくない。命取りになるくらいの大失恋がある。三十五歳にかなりの凶相が出ている。喉、気管支、胃、肝臓、このあたりの病いに気をつけなさい」……

 三人目は、俺の昔の友人、天童寺だ。天童寺不二雄という。十八、九で知り合って、よくいっしょに無頼をやった。この男は横紙破りの悪童だったが、同時に天才詩人でもあった。本人は何を書き残すでもなかったが、……彼の生そのものが、いっさいの感傷やレトリックを剥落させた、硬質の「詩」であるような男なのだった。……

 そいつが若い頃、おれに言ったのだ。……

「おまえは三十五までだな。三十五まで」

 

 果たして「おれ」こと小島容は、積年の飲酒が祟り、アルコール中毒に蝕まれていた。昼夜を問わず、連続して酒をあおらずにはいられない。固形物の食事はもはや身体が受け付けない。大便の白色が意味するところは胆汁の枯渇。対してコーラ色の尿は「化学薬品を思わせる、きついいやな臭い」を放っていた。鏡を見れば、頬はやせこけ、皮膚は土気色、白目は黄疸に染まる。

 かくして運命の三十五歳、「おれ」の入院生活がはじまる。

 

「おれ」が病床で見た夢の一編。

 とある寺を訪れた「おれ」は、同行した不二雄から「香腺液」の伝説を聞かされる。曰く、山頂に横たわる巨大なアメフラシのような生物から分泌されるその「歓びの液体」は、世界中の冒険家たちが恋焦がれ追い求めた幻の逸品。「香腺液」の結晶を不二雄は湧き水に投げ入れると、「おれ」にそれを飲むように促す。酒のようで酒でない、「全身を多幸感が満たした。そのくせ、飲み疲れて飽きるというようなことはまったくな」くて、「さわやかで軽い飲み口/……胃の中に小さな太陽が生まれて、そこから体の内部をあたたかく照らしているような、そんな酔い」を「おれ」にもたらさずにはいない。

「おれ」が求めていたのは、「香腺液」だったのか、不二雄だったのか。

 

 読むのやめようかな、と途中、少しばかり辟易を誘われる箇所がある。

 ジャン・ジュネ泥棒日記』以来の無頼漢文学系譜のエピゴーネン描写に、チューリッヒ・ダダの中心人物だというフーゴー・バルとやらを引用しての、きちんとその手の知識踏まえて書いてますからね、という小心丸出しの言い訳がましいしゃらくささ。

 

 そうした何もかもをひとまずかっこに入れてしまえば、あとはいたいけなまでの人恋しさだけが残る。

 そもそもの飲酒量が爆発的に増えるきっかけからして、「『タイムカード』という守護神がおれの生活から消えてしまった」ことだった。それまでは曲がりなりにも保たれていた「九時に出社して夕方から飲み始める」というリズムが、なまじ物書きとしてそこそこの成功を収め、独立事務所を構え、打ち合わせなどの些事を他人に委ねるようになったがために完全に崩壊。

「独りで放っておかれることを望んだが、そうされればされたで世界に対して悪態をつく」、その最高の相棒はハード・ドラッグ、アルコールだった。

 

 そんな「おれ」に二本の蜘蛛の糸が垂らされる。

 その一人は、主治医の赤河だった。1987年のアメリカにおける統計では、「アルコールに関連した死亡、つまり肝硬変、自動車事故、自殺、溺死、その他を合わせた総数は九万八〇〇〇人……年間の薬物死が約三万人、不法薬物死が四二〇〇人だから、ドラッグとアルコールの『悪魔度』の違いは歴然としている」といったデータに通じ、それらを独学で正しく読み解き、治療薬などもきちんと調べ上げている「おれ」の知識に赤河は訳もなくついてくる、つまり「おれ」は不二雄の死後、ようやく会話の成立する同朋を見つけることに成功する。

 そんな盟友から高濃度エチルを片手に説得を受ける。「患者は自分で自分を助けるしかないんだ。……助かろうとする意志をもって、人間が前へ進んでくれればそれでいいんだ」。

 そしてもう一人は天童寺さやか、亡き不二雄の妹だった。

 彼女が「おれ」に告げたのは、アルコールに呪われた一族の真相だった。そうして「おれ」は知るだろう、不二雄は「酒を飲むことで、父親に会っていたのだ。飲んで正体をなくすのは、失われた家に戻ること、父親を奪い返すことだったのだ。あげくの果てに、酔って車にはねられた」。詩を一つとして書かない彼は、にもかかわらず「詩人」であり続けた、なぜならば、酒の麻酔を借りることで現実ならざる場所をさまよい続けていたのだから。

 彼らの死にざまを見送ることを余儀なくされた彼女は、「死者や闇の呪縛にとらわれかけては引きちぎり、とらわれかけては引きちぎり、そうして……自分のために自分を生きる」。

 

「“依存”ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。……依存のことを考えるのなら、根っこは“人間がこの世に生まれてくる”、そのことにまでかかっているんだ」。

 アルコール依存”からの脱却を果たす、それはつまり、別の“依存”できる誰かを見つけることに他ならない。

「自分のために自分を生きる」、それでいい。それをなし得る者だけが、他の誰かに差し延べるべき手を持つことができる。

 

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