「さあ意味はわからへんけど」

 

土葬の村 (講談社現代新書)

土葬の村 (講談社現代新書)

 

 

 この本はおそらく、現存する最後といっていい土葬の村の記録である。……

 統計の数字を見ても、このころ土葬が急速になくなっていることが窺える。2005年の時点で、日本の火葬率は99.5%に達していた。……

 そのようななかで、奈良県に土葬が残存しているエリアがあることを発見した。それも散発的な一、二の事例ではなく、複数の村で土葬が常時、継続して行われている。奇跡かと思った。

 その場所は、奈良盆地の東側の山間部一帯と、隣接する京都府南山城村である。現存する土葬の村に分け入り、数年かけて調査した結果、どの村でもその時点で村全体の少なくとも89割が土葬していることが明らかになったのである。

 ところが2019年冬――、土葬の村を再び訪れた私は愕然とした。土葬が急激に減少し、いくつかの村では忽然と姿を消してしまっていたのである。

 

 例えば「遺族の仕事で大事なことに、故人の膝を折っておくということがあった」。すわ死体損壊かと残酷に響くことがあるかもしれないが、至って明快な理由づけを持つ。「死後硬直が始まってからでは膝が曲がらなくなり、坐棺の場合、棺に入れることが困難になるからである」。

 今様に言うエンバーミングの一種、なるほど、いかにも納得できる。湯かんとて、エンゼル・ケアと呼び替えてしまえば、それ以上でも以下でもない。

 そして同時に頭をかすめる。現代の文脈に置き換え得るような論理的な説明で数多の儀礼のことごとくを片づけることができるならば、公衆衛生、労力、用地等のいずれの要素を取っても、より機能的に構築されているだろう今日的な葬儀屋主導型のスタイルへと変容していくことはやむを得まい、それはいみじくも筆者の巡り歩く村々で現に起きているように。

 現代の枠組みでは置き換えられない何か、そういうことなのかとまるで腑に落ちない共約不可能な何かが不意にちらつく、そこに本書『土葬の村』の背筋をくすぐる面白さはある。

 

「桶転がし」なる風習を筆者は目撃する。「この風習は、喪家を出棺し野辺辺りの葬列が出発した後、参列せずに家に残った者が、緒桶という取ってのない養蚕の桶を、座敷から縁側まで転がすというものだ」。古老に訊く、「亡くなった人が戻ってこないようにという願いをこめた」。筆者は思う、「あまり理由の説明になっていない気がした」。なぜか伝承されてはいる、さりとて意味は周知されるわけでもない。民俗学者はフィールドワークに基づく類比から仮説を立てるだろう、そして例えば霊を追い払う掃除と見立てる。ただし、それを聞かされたところで、果たして当事者たちは膝を打つことがあるだろうか。

 別の村での証言。「野辺送りから帰ってくると、家の玄関でひしゃくでたらいに水を入れる真似をしました。これを三回繰り返しました。水汲みの儀礼といいます。水は入ってへんねんけど、入ってるつもりでやれと言われました……野辺送りから帰ってきた人たちが、空のたらいに足を交互に入れて、足を洗う真似をしました。さあ意味はわからへんけど。ただアシアライと呼んでいました」。

 当人たちには「意味はわからへん」、しかし、知る由もない他の地域の習俗等を貼り合わせると、そのモザイクから時に事実、共通の「意味」らしきものが浮き上がる。「意味」を与える側、与えられる側、この両者の間に横たわる、「意味」をめぐる交わり得ない何か。

 未来は知れている。「意味」はやがて訳もなく、マナー講師よろしく単に専ら声の大きさに従って、Wikipediagoogle1ページ目へと収斂し回収される。そうして土葬はデジタル化された記録の世界に晴れて安住の地を得る。

 

 アフリカや南米におけるアトラクションとしての未開ビジネスでもあるまいに、本書の葬送は見世物として営まれるわけではない。ただ死者のため、共同体の成員のため弔う、そうして弔いそのものが共同体を共同体たらしめる。部外者にとっての「意味」などもとより想定しない。

 民俗学のファンからしてみれば、筆者のドキュメントは不徹底なものでしかないのかもしれない。しかし、観察者として目の前の光景をあえて「意味」へと落とし込まない、そのことが本書にたまらない疼きを生む。

 意味から強度へ、モノからコトへ、それはあたかもポスト・モダンを逆流するように。あるいはまた、フィリップ・アリエスの描き出した「飼い慣らされた死」から「野生化した死」への変遷を裏切るかのように。

 失われつつある習俗を映像に記録したとして、そしてたまさかいずこかで定着したとして、そこに成り立つものはおそらく伊丹十三『お葬式』の再パロディ、ただ映像の再現のみに終始させられるパントマイムを決して超えない。

 うろ覚えの語りを受けて後世へとたすきを引き継ぐ、数十年、数百年の死者から続く伝言ゲームは上書きを重ねて、あるいはそこにもはや原型をとどめることはなくとも、それでもなお誰かから何かしらを聞いた、そして共に行ったという記憶は残る。彼らにとっての「意味」は、仮にそのようなものがあるとすれば、そこにこそある。

 

 そして一連の手間のかかる儀式以上に参列者に記憶されるのはしばしば、その合間に交わす故人や親類、近隣をめぐる益体もない無駄話だったりもする。

「食いしん坊やったねえ。スイカ、イチゴ大福、お赤飯が大好きでした。煙草は死ぬ4か月前まで、お酒も好きで死ぬ1週間前まで、ストローで焼酎をチューチュー吸ってました」。

 そんな遺族の回顧に耳を傾ける。このエピソードには無論、プロトコルの遂行とさして関係するところはない、しかし、そんなことは踏まえつつも、筆者はあえてこのどうということのない人となりを活字に仕立てた。テキストに刻むに値する何かをそこに見た。

 セレモニーに「意味」などなくてもいい、その場、その時を長く濃密に過ごし傷を癒すための方便として機能しさえすればそれでいい。

 

A Treatise of Human Nature

 

 

西洋音楽史において、もっとも重要な作曲家は誰か?」。……

 以下では一つの試みとして、16世紀末から17世紀初頭に活躍したクラウディオ・モンテヴェルディをもっとも重要な作曲家として挙げてみたい。……

 だがこれは奇をてらった選択ではまったくなく、現代のわれわれが享受している音楽からさかのぼって考えるときに、モンテヴェルディが敢行した一つの“掟破り”こそが現在のわれわれの音楽の形式を最終的に仕上げたものだからである。……

「属七の和音/ドミナント・セブンス」の特別な扱いを可能にしたのが、実は今から400年前のモンテヴェルディであった。

 過去の事例に「たら・れば」の仮定の話は禁物だが、モンテヴェルディがこの果敢な一手を打ち出していなかったら、現在あるような音楽文化はありえなかった、あるいは別物であったろう。およそあらゆる歴史的考察は現代の視点からなされることから逃れられない以上、21世紀初頭の今でも、モンテヴェルディのこの一手に注目する価値は十分ある。

 

「神学のはしため」と謗られた哲学が、『方法序説』の「われ思う」をもって近代の新たな扉を開く。

 奇しくもルネ・デカルトの誕生に合わせるように書かれた《つれないアマリッリ》の革命は、どこかその軌跡に似る。

 古来、西洋音楽なるものは、「必ず協和和音が不協和和音に先立って不協和の準備をせねばならず、そしてその不協和音程はしかるべく協和和音に回収されるように連結されねばならな」かった、「そしてこの論理は疑いなくキリスト教神学に裏打ちされたものであった」。ところが、この「構造にモンテヴェルディは果敢にも、属七の和音における不協和音程の自由な使用法という、後の音楽のあり方のためには不可欠な革新をなした」。

 ソ・シ・レの織りなす神学的完全性に、モンテヴェルディはあえて「属七の和音」ファを加えた。結果何が起きたか。「音楽には初めと終わりがあり、その双方の役を果たすものこそ主音であり、主音に始まり主音に終わるからこそ我々の音楽体験は完結し、喜びを得るという予定調和の形態を有している。主音〔この場合はソ〕で終わることが音楽にとってどうしても必要とされるのであれば、その半音下に位置する導音〔ファ〕以上に、その完結の喜びの期待を高めるものはない」。

 ザルリーノはこの導音を「塩」と呼んだ。

「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか」(マタイ5:13)。

 皮肉にも、神学的な音楽構造の掟を破ったモンテヴェルディをもって、以後、音楽は「塩味」を知る。

モンテヴェルディの革新とは、ただ単に不協和を内包する属七の和音の登場を従来の仕方よりも自由にしたと言うに留まらず、その先に構造的必然性として控えている主音/主和音の到来をもより自由にした[]……それは主音へ向かうフレーズや楽曲の締めくくりをより柔軟性をもって作曲することを意味した」。

 約束事から解放されたのではない、「塩味」を含む別の約束事が見出されたのだ。

 

 予定調和をぶっ壊す。

 そして例えばリヒャルト・ヴァグナーは別の約束事を発案し、それを実行に移した。

「不協和は協和に解決され回収されることが調性の語法のスタンダードだったわけだが、……不協和に不協和を連綿と続けて連結することで、解決を目指さずにそれら不協和の和音間を何度も何度も行ったり来たりしている感」を曲に与えることができたなら――

「かくして調性には死亡宣告書が突き付けられることになった」、一見。

「しかしやはり現代のわれわれが依然として西洋起源の和声的調性音楽を耳にし続けていることは目の前の現実として動かしがたい事実である」。 

「塩」をひたすら振り続けた末、いつしか「塩」は「塩味」を麻痺させた。

 塩梅はすべからく人体の生理食塩水濃度に準じる。

 

 例えば絵画の世界においていつしか、三次元のシーナリーを二次元平面へと写実すべく、遠近法なる手法が発明された。他にも鑑賞者に訴える「自然」の写し取り方は可能なのかもしれない、さりとて人間の視覚の「性質」をめぐる経験知的探究としてのartは今日に至るまで、遠近法という無二の名手法を塗り替える別の仕方を見出せずにいる。写真の登場をもって退潮を余儀なくされた写実主義に代わって登場せんとした、反遠近、非遠近の「自然」の模倣といえば、結局のところ、タイトルをもってはじめてそこに描かれているらしい何物かを知るような始末でしかない。

西洋音楽の正体』という、いささか大上段にも程があるこの表題において展開されるテーマは、実のところ、必ずしもモンテヴェルディ論に終始するものではない。その焦点はむしろ、この密やかなる大作曲家によって切り開かれたパラダイムを克服する目途を持たない、人間のnatureにこそある。

「自然」は必ずしも遠近法のみを支持しない、しかし、人間の「性質」は事実として、それがたとえ消去法的な結果であったとしても、遠近法をベターなチョイスとして選り残す。同様に、なるほど「自然はヴァイオリンを作らない」、ただし人間の「性質」はポスト・モンテヴェルディの和音や調性を更新する代替案を未だ知らない。

 人間の耳は440Hz442Hzの差異を聞き分けられるほど鋭敏にはできていないし、ましてや超音波を捉えて聴覚情報へと変換するシステムを持たない。無数のグラデーションのはずのプリズムに概ね虹の七色しか見ることができないように、オクターブの間で音階を近似的に切り分けていけばひとまず12くらいに落ち着き、さりとて似て非なるドとド#を重ねられれば、絶対音感など持たずとも互いをノイズと退け合うストレスにいたたまれなくなる。

 これらいずれの「性質」も「自然」の指示するところではない、しかし実際として、人間はそういう風にできている、らしい、経験主義という日々の人体実験による限り。別建てのアプローチに基づくmusicsは理屈の上では無数にあり得る、ただし、調性と和声によるmusicを超克するものは少なくとも現状見えない、それはちょうど、それぞれに必ずしも起源を共有するでもないらしいlanguagesが、統語法などの機能性に基づいて共通のlanguageへの翻訳へと開かれているように。神学から解き放たれて人間中心主義を志向したモンテヴェルディの末裔が、その結論について不服を覚えるところはない。

 

Bridge Over Troubled Water

 

 

 ラファエロ・サンツィオ(1483~1520年)は、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロに並ぶ、ルネサンス三大巨匠の一人であり、西洋美術に親しむ者には馴染みの存在である。優しい雰囲気をたたえた聖母、愛らしい幼児キリストや天使の描写は、ラファエロの作品の代表として、わが国でも広く知られている。

 だが、彼の作品の魅力を言葉で解説するのは、そう容易ではない。「聖母の画家」や「優美な画家」といった、一般に用いられる肩書は、たしかに作品の本質的特徴を言い当ててはいるのだろうが、それがラファエロの作品の魅力のすべてではないように筆者には思われる。彼の作品がまとう独特のオーラ――穏やかでありながら絶妙なバランスを保つ、緊張感のある質――には、実のところ、キャプションをつけるのがきわめて難しいのである。……

 本書では、こうしたラファエロの生涯と作品について、同時代の史料などもとりあげつつ、テーマごとに紹介し、その特徴を考えていく。表された主題の内容や制作のプロセスに関する基礎的解説をくわえながら、創作の背後にある画家の工夫を明らかにすることを試みる。また、作品にまつわる伝承や最新の研究状況なども紹介した上で、作品をさまざまな視点から検討する。そして、ラファエロの作品について、いま一歩踏み込んで鑑賞するためのガイドの提供を目指している。

 

 とりあえずいなかったことにして絵画史を組み立て直してみない? ミレーやロセッティがそんな企てのもとにラファエル前派を構想したくなる心持ちに少なからぬ共感を禁じ得ない、一冊でかくなる印象をもたらすほどの説得力を本書は持つ。時代をつなぎ、場所をつなぐ、いわば結節点としてのラファエロが、豊富な口絵の引用という無二の根拠をもって訴える。

「穏やかで甘い雰囲気のただよう……当時のマルケ・ウンブリア地方の様式」とだけ文字で引けば何やら曖昧、しかし薫陶を与えたペルジーノと弟子のタッチを比較すれば一目瞭然。

 その後フィレンツェに移り、ミケランジェロダ・ヴィンチに触れる、この影響も例えばラファエロカーネーションの聖母》とダ・ヴィンチ《ブノワの聖母》を並べてみればあまりに明確、というかもはやオマージュやサンプリングの域すら超えて、誰しもがその猛々しさに思わず声を上げる。

 古都ローマに移れば、遺跡に刻まれたグロテスク様式を自らの作品世界に取り込まずにはいられない。構図の変化には、その地で鑑賞しただろう中世キリスト教絵画の影響が色濃く反映される。

 あえて悪いことばを使えばミーハー、ただし裏返せば、彼にそれだけの知識欲があり、なおかつそれを再解釈し作品へと落とし込む技術力を有していたことの証左に他ならない。かくして「ラファエロは古典主義芸術の最も秀でた代表とみなされ、アカデミーの守護神ともいうべき存在となる」。

 逆に言えば、名人に定石なし。固有の作風を論じる段になると、なるほど「キャプションをつけるのがきわめて難しい」、深く首肯させられる。

 

 他のすべては本書に委ねることとして、あえて一枚だけ絵画をペーストしてみる。

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《友人のいる自画像》と銘打たれたこの作品、37歳にして夭逝したラファエロ最後の自画像として知られる。本書に付された帯とでも並べてみれば一目瞭然、後ろに立つ細面の男性がラファエロ自身であることはほぼ疑いようがない。

 しかしここであらぬ想像に誘われる。中心で分けられた長髪、たくわえられた口髭にニュートラルなアルカイック・スマイル。筆者も軽く触れている通り、どこかしら「イエス・キリストの伝統的な顔貌表現を連想させる」ものがある。

 だとしたらと、筆者の論をしばし遊離し、そこに特定のためのアトリビュートのひとつも配されていないことは承知の上で空想を走らせる。肩に手を回されるのは十二使途の誰か、例えばペトロ、ナザレのイエスからのスカウトを受けるその場面のモチーフか、さもなくば、教会の後継者として指名したとされるそのシーンか、そんな注釈を予め打っておけば、そう見えないこともない。あるいはユダ、双方交わらぬ視線に最後の晩餐における例の告知を読み解こうとすれば、やはりそう見えないこともない。引き渡され死を課せられる自らの宿命を知りつつも、あえて十字架を甘受した図像的キリストの面影をどこか湛えるこの自画像を残して間もなく画家は天に召される。何かを悟り切ったようなその超然たる顔立ちから溢れ返る死の匂い、それは史実を知るがゆえの飛躍に過ぎないのだろうか。

パラサイト

 

復讐するは我にあり (文春文庫)

復讐するは我にあり (文春文庫)

 

 

 のっけからかまされる。

 死体の第一発見者の「彼女は朝食のおかずにするダイコンを抜くために、自分の畑へ行った。……息子はダイコンおろしなどなくてもサンマは食えると言ってくれたけど、昨夜来の嫁の仏頂面がどうにもおもしろくないから、ひとかかえ持ち帰ってやるつもりでいる。どだい五人家族にサンマ二十匹とは、どういう料簡なのだろう。安かった安かったとぬかしておるが、あれは性根が悪いから、大根を一本でも多く消費することを考えて、夕食の買い物をしてくるに違いない。だから晩飯のとき食べきれずには、朝食もまたサンマで、弁当のおかずもサンマだなんて、みっともない結果になる。いったいサンマにダイコンおろしなんて、だれが思いついたのかしらんが、おれたちはそげな喰いかたはしちょらんかったぞ。サンマはサンマ、ダイコンはダイコンじゃ」。

 ノンフィクションでここまで書けばただの嘘、フィクションだから許される。

 現実ならば、間もなく彼女に訪れるだろう惨殺死体発見の衝撃を前にしては、諍いに明け暮れる嫁姑の日常などたちまち吹き飛ばされざるを得ない、いや、そもそも誰も訊こうとすらしない。呼び水はほんのささいなこと、ところが思い出すにつれ自ら不機嫌を倍加させ、ついには怒りへと沸騰する、誰にでも起きるだろうそんな情動が文体に乗り移る、既に短編小説の風格を帯びた老女に読み手は苦笑半分引きずり込まれる。

 そしてこの点こそが、本書の真骨頂をなす。物語を抱えているのは何もシリアル・キラー榎津巌だけではない。むしろ通常フィクションであればこそかえって、モブキャラとして片づけられてしまうだろう彼女にも物語はある、いや、彼女たちにこそ物語がある。だからこそ、それこそ事件でもない限りドキュメンタリーにおいては肉薄されることもない、ありふれた人々のありふれた日常がある日突然に破れてしまうかもしれない、殺人というその事態に慄然とおののく。

 その中にあってさえ圧巻のペーソスを残す女性が登場する。かつて男と関係を持ったストリッパー。コンタクトを取ってくるのでは、と連日劇場に警察が張りつく。そして彼女は衣をまとわず舞台に上がる。観客を前にあられもなく両足を開くと、膣に収めていた金色のロザリオ――かつて榎津から贈られた――をおもむろに取り出し、自ら鎖を首から下げる。女はあくまで万が一のおとりに過ぎない、たかがわいせつ物陳列罪程度で指名手配犯を捉えるチャンスを逸しては元も子もないことなど分かっている、けれども、「あたし自身が逮捕されたかった。そうすれば楽になれるような気がして」、そうして今日もライトに裂け目を晒す。

 

 空虚な中心は、ミラーボールとして周囲を映し照り輝けど、自らへのフォーカスを許さない。

 ランダムに開いてすら各ページにアンソロジーのごとく物語が埋め込まれたこの濃密なユニヴァースにあって、実のところ、最後まで杳として知れない存在がある。他でもない、榎津巌である。

 事件の発覚から七十余日、ようやく逮捕された男は連行される車中、「低い声でなにやら歌っているのだった」。刑事から注意されても男はやめない。「唇をわずかに動かして、目を閉じた彼が口ずさんでいるのは、民謡にしてはテンポが早く、歌謡曲にしては音程が低すぎる」。

 取り調べ中も、独房内でも、あるいは悪夢から覚めた後にも、気づけば彼は少し歌っていた。

「唱える文句はわからず、口ずさむ本人にも意味のとれないことば」、後に明かされるだろうその正体はあえてここでは触れない、しかし、この歌が通奏低音としてダークヒーローを包囲する。

 

 捜査の網をすり抜け続けるそのマタドールは、読む者の喝采すら誘わずにはいない。時に大学教授、時に弁護士になりすまし、果ては裁判所に潜り込んで寸借詐欺を働くその大胆不敵。といって用意周到な計画性には程遠い、それが証拠にせしめた金も次から次へと溶かしてしまう。さりとて行き当たりばったりというにもあまりに巧み、姿を隠して逃げ回るどころか、口先三寸の限りを尽くし津々浦々を渡り歩く。ことばひとつで人々を踊らせる類稀なるその才覚、世が正業と認めるセールスで一旗を揚げることくらいたやすかったろうその知能犯が、不意に牙をむき粗暴の極みたる殺人にためらいなく手を染める。日本犯罪史にあってもその両極性において類例を見ない行動の履歴は追える、ただしその意志決定のメカニズムとなると筆者の想像をもってすら及ばない、翻弄される周辺を執拗なまでに描き出すことしかできない。

 あるいは、こう見立てた方がいいのかもしれない、筆者は事実、男の感情論理を捉えているのだ、と。「唱える文句はわからず、口ずさむ本人にも意味のとれないことば」に誰よりも振り回されているのは、実は榎津巌に他ならないのではないか、と。

 底が抜けている、ゆえに底が知れない。その闇の奥を見事に射貫く。

A Diamond Is Forever

 

ホンモノの偽物 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII-15)

ホンモノの偽物 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII-15)

 

 

 この本を書くうえで最も大変だったことのひとつは、どの「ホンモノの偽物」を取り上げるかを決めることだった。……

 結局わたしは、真正性に関する問いをかき立てるもの、単純明快な答えがないと思うものを選んだ。贋作の絵画が、スペインの贋作者のように、それ自体として収集の対象になったら? それでもやはり偽物と考えるべきだろうか? しかしそれは真正な偽物だろうか? いたずらでつくられた1725年の模造化石は、約3世紀前の人々の自然観を理解するのにいかに役立つのだろうか? 古代マヤの絵文書「グロリア・コデックス」のような人工遺物は、発見時の状況や来歴が著しく信用できない場合、本当に真正なものだと認められるのだろうか?

 話をさらに進めてみよう。21世紀のいま、自然のものをコピーするテクノロジーが進化し、そうしてできたレプリカはそれ自体として倫理の問題をはらむようになっている。研究所製のダイヤモンドが、物質レベルで天然ダイヤモンドと同一だとしたら、その二つを分けるのは何なのだろう? 消費者の圧力? では、「偽物」が天然物よりも倫理的だということはありえるのだろうか? 同じことは合成香料についても言える。自然のどの部分は真に複製でき、どの部分はできないのか? あるいは、模型、レプリカ、コピーが博物館や観光地で十分に「本物」の代わりになるのはどのような場合か? 逆に、明らかに模造だと思われる場合は? ライヴ配信、ドキュメンタリーなど、自然界を見る方法はたくさんあるが、現地に行けない場合、どれが最もリアルで、最も真正な方法なのか? そしてそれらの代替物の代償は何なのか?

 

 2020年、話題をさらった新書の一冊に『椿井文書』なるテキストがあった。椿井政隆なる書き手による古文書の数々が、実は全くのでっち上げだったというその告発は、しかし単に偽書を暴き立てるに終わらなかった。この作品が問いかけたのは例えば嘘の中に秘められた真実。村の歴史も家系図もそれ自体としてはもはや疑いようもなく捏造、ただし、椿井に依頼を寄せたそのクライアントがかくあれかしと寄せた願いはそこに紛れもなく反映されている。それがもし村同士の縄張り争いを有利に進めるためだとしたら、そんな動機の推察が稲光のごとく誘われるとき、その文書は時にあらゆる「本物」の史料にも勝り真実を衝いて告発する。

 砂上の楼閣はそうそうたやすく崩れやしない。椿井文書が全くのでたらめだと暴かれたところで、一度共有された既成事実はそう簡単に更地へと戻りやしない。町おこしに用いられた、姉妹都市が結ばれた、これら「本物」のことごとくが椿井文書に由来する、それら事実を踏まえるとき、歴史の真実なる「本物」の重みとやらは果たしてどれほどのものだろう。

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書)

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書)

 

 

 そして改めて『ホンモノの偽物』について。

「偽物はわたしたちのためにつくられる。偽物をつくる人は、現代〔同時代〕のテイストにアピールできる」。

 本書のトピックは概ねこの至言に凝縮される。

 例えばスパニッシュ・フォージャーの手による絵画の場合、「皮肉なことにそのパネル画はあまりに中世風だった」。「顔はどれも首をかしげていて、口は弓のように曲がり、足はバレエを踊っているかのように外を向いている。また、フォージャーは中世の世俗的生活の非常に限定された面を描いており、チェスやタカ狩り、騎士やとがった頭巾の女性が目立つ。庭、音楽、遊戯、一角獣、どんちゃん騒ぎの光景だ」、つまりは当時の売れ線そのままに。そして決定的なことに「ひびが入っていた……が、そのひびは都合のいいことに人物をいっさい消さないように入っていた。……あまりにもこれ見よがし。あまりにも完璧。合点のいかない見事なディテールがあまりにも多い」。

 人工香料の中でバナナのフレーバーを特徴づける化合物のひとつに酢酸イソアミルがある。ところが、今日の市場の大半を占めるキャベンディッシュにはこれがほとんど含まれていない。かつてグロスミシェルなる種が市場を席巻した時代に、この香りに基づいて酢酸イソアミル・ベースの「バナナ味」は作られた。ところでこの種はウイルスにより絶滅して久しい、つまり消費者の大半はその味を知らない、にもかかわらずその香りに「バナナ味」を認める。「グロスミシェルが時代のバナナだったときにつくられた合成バナナフレーバーを味わうということは、前世紀のバナナの名残を味わうということだ」。

「本物」に触れたい、その切なる願いが「本物」をもはや「本物」ではあれなくしてしまう、そんなケースも歴史には散見される。例えばフランスはラスコーの壁画の場合、「かび、菌、バクテリアが壁で成長しはじめ、絵の一部を覆い、色素を侵食した。この恐ろしい急成長の原因は、ラスコーを愛する多くの来場者……が吐き出す二酸化炭素にあるとされた。増加する二酸化炭素が、来場者の体温と合わさって、洞窟を暖め、いろいろなものが成長しやすい生態系を生んでしまった」。この教訓を踏まえ、後に見出されたショーヴェ洞窟においては、はじめから公開の道は閉ざされ、厳重な管理にもとに置かれた。そして代わって設けられたのが、レプリカとしての「ショーヴェ洞窟」だった。壁面はモルタルと樹脂、温度と湿度は空調でコントロール動線は整理され、非常口も設置、そんな「巨大なコンクリートの小屋」をテーマパークと謗ることはたやすい、しかし筆者は強調する、その「目的は、来場者に旧石器時代について伝え、芸術に感嘆してもらい、次々と人を捌くことだ」。その「美的、工学的」観点において、このレプリカは紛れもなく「それ自体の芸術的な空間を生み出している」。

 

「偽物」の特異性は、しばしばそれが「ホンモノ」よりも「ホンモノ」である点にこそ存する。

「ホンモノの偽物」について考えると何が窺えるといって、人工香料の比喩そのままに、「ホンモノ」を「ホンモノ」たらしめる凝縮されたエッセンスがこびりつくそのさまである。例えば人工ダイヤモンドを見れば、その宝石を宝石たらしめるものが例の強固な炭素原子の配列にないことも、硬度を生かした工学的な用途にないことも、ましてや天然と人工とを問わず放たれる輝きにも透明感にもないことも知れる。研究に取り組んだジェネラル・エレクトリックの幹部は70年代にこう予言した、「ダイヤモンドをつくればつくるほど、値段は安くなる。すると神秘性が消え、価格はほぼゼロになってしまいます」。そして今に至るまで、その成就は日の目を見ない。

 誰も「本物」それ自体を知ることなどできない、だからこそ、「ホンモノ」を欲する、そしてしばしば、「わたしたちのためにつくられ」た「偽物」、「本物」よりも「ホンモノ」らしい「偽物」、「ホンモノの偽物」に手が延びる。

 ここでもまた、現代をかたち作るだろう例の標語にたどり着く。

 人は誰しもが見たいものだけを見る。