All the Things She Said

 

 ちょうどそのころ、国語の授業で作文の宿題が出た。課題はなんと「わたしの街」!

 ぼくは紋身街のことを書こうとして、またもや愕然とした。口のなかが干上がり、原稿用紙に汗がぽたぽたと滴り落ちた。あらためて自分の生まれ育った街のことを書こうとしても、心が浮き立つような思い出がほとんどなんにもないのだ。父ちゃんは一杯八十五元の排骨飯や鶏腿飯を売ることにうんざりしていて、不機嫌に煙草を吸い、ときどき母ちゃんをひっぱたく。母ちゃんはときどきぼくをひっぱたく。店の客筋も微妙だ。探偵の孤独さんは謎めいていて、チンピラの鮑魚は腰抜け。彫り師のケニーはただの太っちょで、刺青がなければそのへんにいる宅男となにも変わらない。阿華は面白いやつだけど、女にだらしない卑怯者だ。ニン姐さんの猫がしょっちゅういなくなること? そんなのだめだ! 記憶にあるいちばん面白い出来事といえば、喜喜が変質者と間違われて警察にしょっぴかれたときのことくらいだ。母ちゃんにたのまれてぼくの体操服を学校までとどけてくれたシーシーは、全身に刺青を入れた不審者として通報されてしまった。ぼくは校門のところから、パトカーに押し込まれるシーシーを見ていた。

 認めざるを得ない。もしこれが「わたしの街」なら、紋身街なんてくそだ!

 

「くそだ!」

 おそらくは、紋身街に集う面々が抱く感情をこの一言が要約する。アメリカのリアリティ・ショーをきっかけにいつしか刺青の聖地と化したこの街に人々が求めるのは、その彫り物を契機に人生が書き換えられる、その経験だった。

 いみじくも、どう見ても黒としか写らないその毛並みに反してなぜか小白と呼ばれるその地域猫がその寓意を明かす。その猫は刺青によって真っ黒に変身したという。

「黒がいちばんほかの色に染まらないからだね? 白だと汚されちゃうもんね」。

 いかようにも染まる白に黒を刻み込むことで飛躍leapをもたらす、それは限りなく書くという行為、テキストという営みが持つ作用に似る。

「あなたにとって刺青は物語でしょ?」

「あたしの物語を消すために、あなたの描く物語が欲しい」

 たとえ紋身街がどんなに「くそ」だったとしても、「物語」で上書きしてしまえばいい、リープをかましてやればいい。

 幸か不幸か、「ぼく」は幼くしてその自由に気づいてしまう。

 

 後にして思えば、その原体験は紋身街で口伝に聞かされた芥川龍之介地獄変』だった。あらすじといえば、「自分の娘が火に焼かれるのを黙って見てる絵師の話」。「ぼく」ははじめ「あきれ返ってものが言えなかった。絵を描くために血を分けたじつの娘を焼き殺す父親だって?」

 しかしどうにも「狂ったやつらに火をかけられた哀れな娘のことがガッツリと脳みそに食らいついて」離れない。「まるで土に埋められた死骸のように、芥川龍之介の呪われた小説はぼくのなかで分解され、九歳の幼い精神に吸収され、その後、芸術という言葉や概念にいつも影のようにつきまとうことになる」。

 一度刻んでしまえばその身から決して離れることがない、デジタル・タトゥーならぬアナログ・タトゥーのこの機能、刺青は果てしなく言葉に似て、言葉は果てしなく刺青に似る。

 

「この世界はそこらじゅうに物語が蝶々みてえに飛んでるそうだ。その蝶々を捕まえられるやつが小説家になる」、あるいは時に歴史家に。

 セデック族の血を引くある学校教諭に言わせれば、「抗日運動という言葉で片付けてしまえば、霧社事件はすっきり理解できる。だけど、それでは物事の本質が見えなくなってしまう」。通説に反して、彼らが語り継ぐ記憶に従えば、「ぼくのご先祖様たちは、結婚式の席で日本人に礼儀を尽くした。いちばん貴重な鹿の心臓を食べてくださいと差し出した。でも、日本人はそんな汚いものが食えるかと言ってセデックを侮辱した」、契機はほんのささいな個人間の行き違い、しかしバタフライ・ハンターの手による教科書は、その経緯を決して記録しようとはしなかった。単に原住民の反乱として「物語」は、白紙上の黒インクをもって、瞬く間に上書きされた。

 刺青というスティグマと同じ、一度かけられた「その呪いが解けることは永遠にない。だけど、すこしだけ痛みを和らげることはできる。自分が表現したことを他人と共有できたとき、黒い呪いは白い呪いに変わるんだ」。

 

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