Ill Communication

 

 

 本書では、「神ならざる者たち(Not-God)」[原題]という言葉が、アルコホーリクス・アノニマス(以下AA)の歴史を詳述し、さらにこの言葉がどのような意味をもつのかを解釈していくための鍵になっている。……

「神ならざる者たち(Not-God)」とは、まず「あなたは神ではない(You are not God)」というAAプログラムのメッセージを意味している。……無限でもなく、絶対でもなく、神でもないというのは、AAがメンバーに向けた基本的で最初のメッセージである。この洞察を掘り下げるなら、すべてのアルコール依存症者の問題は、何よりも神のような力、とくにコントロールを要求しているということになる。しかし、このメッセージが主張するように、少なくともアルコール依存症者は、自分自身をさえもコントロールできないのである。アルコール依存症からの回復の最初のステップは、他人には明白なのに、強迫的な飲酒者自身によっては否定されるこの事実を認めて、受け入れることでなければならない。……

 しかし、AAはプログラムであると同時に仲間たちとの共同体fellowshipでもある。ここに「神ならざる者たち」の第二の側面がある。アルコール依存症者は神ではなく、絶対ではなく、無限でもないから、彼らは本質的に限界をもつ存在なのだ。神ならざる者たち、まさにこの限界から、アルコール依存症者が自分の限界を受け入れることから、癒しと全体性の回復が始まる。

 

 そのはじまりは、心理学や生理学の緻密な設計に由来するものではなかった。

 1934年秋のニューヨーク、ひとりのアル中が向かい合う友人、やはりアル中に語りかける。家の主からいつものように酒を勧められて断る。曰く、「もういらないんだよ。宗教なんだよ」。主は驚いてろれつの回らぬ口で言う。「酒狂いが宗教狂いになったのか?」ところが不思議なことに、飲んだくれのこの主、通称ビル・Wはこの日の対話を最後に生涯にわたる断酒を果たした。「共通の苦しみという親密さによって、一人のアルコール依存症者がもう一人のアルコール依存症者に話をした」、後に振り返っても、はじまりのこの日にその場で起きたことと言えば、種も仕掛けもなく、ただこれだけのことだった。そして今日に至るまで、「アルコホーリクス・アノニマス」はこれ以外の何の秘儀を隠し持つこともない。にもかかわらず、医師からも見放され、神からも見放され、「ほかの誰からも理解されない、あるいは誰も理解できないという強い確信による、孤独の痛み」を抱えた者が、唯一同じ「孤独」を知る者との分かち合いの回路を通じて事実として癒しの道筋を手にする。

 

 ここに忘我をめぐる二つの仕方が観察される。ひとつは、アルコールやドラッグによるトランスとしての忘我。そしてもうひとつは、「我」への固執を手放して、「我々」へと解消されるという仕方に基づく忘我。「我々」は依存症であることをやめたわけではない、単に依存の対象をアルコールからフェローシップへと置き換えたにすぎない。

「酒のない生活を本当に続けているアルコール依存症者は、ボトルや温かみを求める代わりに、他者を求めることと他者に手を差し伸べることの両方をなす」。

 筆者がAAのクロニクルに着目するのは、単に依存症のもたらす社会的な機会逸失のみをその理由としない。

啓蒙主義の出発点であり同時に到達点でもあるものは、ひと言で表現できた――自律(autonomy)――人間の個人ひとりひとりが本質的に独立していることを示すこの言葉で。人にはすべて分別があり、自分で目標を設定し、それを達成するために理性を用いるのだった」。

 そんな人間像の破綻を二重に明らめたのが「アルコホーリクス・アノニマス」だった。「強さが弱さからこそ生じる」。「自律」をもってはまずもって克服されることのない依存症が、名前すら持たない者anonymousによる共同体という仕方をもって乗り越えられていく。

 そしてここに歴史の持つ皮相な、悲愴な側面が浮き上がる。原著の上梓は1979年、アメリカがベトナムの失敗、経済の低迷に打ちひしがれる最中のこと。そしてその翌年、新たな大統領を戴く。make America great againを掲げたこの男が与えんとした処方箋は、強いアメリカ、強い個人、すなわち自己責任。かくして台頭したネオリベラリズムに由来する分断の傷は今日へと引き継がれる。切り離された世界の中で、「我」が掲げうるスーパー・ヒーロー、生ける神といえば例えばレーガン、例えばトランプ、文字通りの代表、すなわち弱々しく孤独に打ち震える「我」に代わって表に出る、どうしようもなく惨めで稚拙な誇大妄想狂をもってしかありえない。無論、「我」の映し鏡は未来永劫いかなる出口をも指し示すことはない。

「お互いの弱さを開示して知らせる場で分かちあわれる正直さ(shared honesty of mutual vulnerability openly acknowledged)によって苦境を乗り越えていく」、それはアルコール依存症者に限らない、「神ならざる者」がこの他にいかなる世界の解決法を持つだろう。

 

 疑いなく本書は今日においてなお読まれるべき価値を持つ。

 もっともこの評が賛辞になっているのかは知らない。翻して言えば、それは本書の課題が何ら克服されていないという惨事の証なのだから。