アナザーラウンド

 

 酔っぱらうことはほぼ普遍的なことである。世界のほぼすべての文化には酒がある。例外的に酒にあまり熱心ではないふたつの文化――北米とオーストラリア――は。酒に熱心な人々が入植してできたものだ。そして時代ごとに、場所ごとに、酔うことは違った意味を持つ。それは祝福であり、儀式であり、人を殴る口実であり、決断方法であり、契約の締結であり、ほかにも何千もの独特な目的で用いられてきた。古代ペルシア人は、重大な政治的決断を行なうにあたっては二度話し合った。一度は酔っぱらって、もう一度はしらふで。二度とも同じ決断に至った場合、行動に移した。

 本書はこうしたことを扱う。アルコール自体ではなく酔っぱらうことについて、そこに潜む危険性と神々についての本である。シュメール人のビールの女神であるニンカシから、メキシコの酔っぱらった400羽のウサギまでもが登場する。

 

 各ページ、いやもしかしたら各パラグラフごとに差し挟まれるだろう、適度に滑るブリティッシュ・ジョークと、そしてユーモアとウィットをもって施された脚色。

 さりとて、あることないことを吹聴するでもない。在野ではあるようだが、語源学や文献学としてはかなり異例のヒット作を物したライターとして、鼻につくほどの博覧強記のソースに基づいて、あくまで、あることと、そしてあることを、面白おかしく切り取っていく、終始まるでアルコール片手にキーボードをクリックしたかのように。

 

 とはいえ、そんな筆致でしかこの主題を展開しようもないことは、本書を一瞥すれば、誰しもが了承せざるを得ない。

 例えば、「彼は恐ろしい、まるでビールを知らないように」ということわざを持つという、中東地域よりお越しのIさんとEさんの場合。

 あるとき、この両者がどちらが酒に強いかをめぐって飲み比べをはじめる。この勝負を制したのはIさん。Eさんが酔いつぶれている間に、Iさんは彼女が管理する財産をすべて持ち出してしまう。

 あるいは、スカンジナビアより参戦のOさんの場合。

 この方は「ワインしか飲まなかった。それどころか、ワインしか摂らなかった」。当時においては、ワインはドイツやフランスから輸入するよりない超高級品、ワインしか飲まなかったという事態は、まさに彼が最高位に座することを物語る。ところがこの殿、あるときご乱心で詩の霊感宿れるハチミツ酒、ミードが飲みたくてたまらなくなってしまう。その挙げ句、秘蔵する城に潜り込むべくあまつさえトンネルを掘るに至る。そして管理する娘を誘惑し、結婚を条件にミードをせがむ。しかしいざ実飲したOさん、約束を反故にしてトンズラ。追っ手を辛うじて逃れて自陣へと戻ったOさんは、器に勢いよく例の酒を吐き出した。「だが実際は、あまりに必死で、かつあまりに詩の熱情に燃えていたため、詩のミードをお尻からいくらか漏らしてしまっていた」。

 ところでこの方々、なんとも困ったことに神々なのだという。Oとはすなわちオーディン北欧神話最高神であり、このエピソードは詩才、すなわちことばを司る力をいかにして手に入れたかをめぐる英雄譚を指している。Iとは豊穣の女神イナンナ、Eとは知恵の女神エンキを指し、先のくだりは、メソポタミア神話において、いかにして文明の知が人々にもたらされたか、を語り継いだもの。このイナンナ、豊穣の女神とは婉曲に過ぎる、世界中遍く用いられる土と種の暗喩の通り、真相を言えばもちろんセックス・アイコン、どころか酒場の立ちんぼ、「壁を背にして立っているときは1シケル。かがんでいるときは1シケル半」、明朗会計のリアル女神。

 

 神様からしてこのていたらくなのだから、人間の酔っぱらいと来た日には何をか況や。

 アルコールが人間を狂わせる、そんなことくらい昔から誰だって知っている、それでもなお、やめられない。だからこそ、本書のタイトル通り、時に酔っぱらいが歴史を作ってしまうこともある。

 蒸留酒、わけでもマダム・ジニーヴァが作り出したハイ・ジン改め廃人どもを持て余したイギリスは、流刑地を新大陸に求めた、つまりはオーストラリアとアメリカに。

 豪州の開拓者シドニー卿は、アルコール・フリーの大陸を夢見ていた。輸入するには本国は遠すぎる、醸造技術さえ持ち込ませなければ、この地で彼らは必ずや更生するのだと。ところがこのプランは早々に頓挫する。囚人たちを護衛する船員たちが、酒抜きの生活に耐えられなかった。仕方なく彼らに解禁するとあとはご明察の通り、ラム酒横流しがはじまる。金など持ち合わせるはずもない彼らの支払い手段といえばわが身よりない、労働が逆説的に促される。かくして以降、長きにわたりこの地はラム酒によって統治されることとなる。

 対してアメリカでは、そんなドライな夢はもとより描かれることすらなかった。なにせ建国の父ジョージ・ワシントンからしてウィスキーの最大手メーカー経営者と来ているのだから。ところが、そんな国の憲法にある年、禁酒の修正条項が盛り込まれる。もちろんその顛末は周知の通り、やがて撤廃を余儀なくされる。

 

 分かっちゃいるけどやめられない。

 飲むなといくら言われたところで、人々は今日も酔っぱらう、そうでもしなければやっていられない現実が癒されない限り。

 ほぼ有史以来、ハード・ドラッグを手放せないこんな世界を真面目に論じて何になる?