Lucy in the Sky with Diamonds

 

 私は、人間の大きな脳、高度な文化や技術について考えた。人間はなぜ言葉を話すのだろう。子どもを育てるにはなぜ村が必要なのだろう。これまでずっと、子育てするには必ず村が必要だったのだろうか。人間はなぜ、ときには母体に危険が及ぶほど難産なのだろう。人間の性質についても考えた。人間はなぜ、利他的に行動したかと思えば次の瞬間に暴力的になったりするのだろう。だが、私が最も疑問に思い、主として考え続けてきたのは、人間はなぜ、四本足ではなく二本の足で立って歩くのだろうということだった。

 考え続けているうちに私は、自分が疑問に思っている多くのことがすべて関連し合っていることに気づいた。すべての根っこは、人間の特異な移動方法にあるのだ。二足歩行こそ、われわれを人間たらしめている固有の特徴の源だったのだ。二足歩行こそ人類の証明なのだ。……

 本書は、いかにして二足歩行がわれわれを人間たらしめたかを描く物語である。

 

 例えばミーム提唱者のリチャード・ドーキンスに言わせれば、「二足歩行は猿まねから始まった」。彼のツイートによる限り、「二足歩行が最初はトレンドとして始まり、文化的にクールなやり方になって一気に広まり、ついには次第に肉体的変化にまでつながった」。

 また、ある研究者による仮説では、「直立姿勢のほうが草原で涼しく暮らせたから」。また、別の研究者に従えば、「二本足で移動する個体のほうが四本足で移動する個体よりも消費エネルギーが少ないため、厳しい時代を生き延びるのに有利だった」。世の中というのは果てしなく広くて、「直立して性器を見せつけるオスのほうがメスに人気があったから」だとか、「人類の祖先は殴り合うために手を自由にする必要があった」だとかを真顔で唱える人もいる、らしい。

 筆者の専門は古人類学、掘り出された化石の骨格から、数多の仮説への反証を用意してはくれる。しかし、進化論的な決定打となるような何かしらを本書で見せてくれることはない。

 所詮は素人考えに過ぎないが、ある面でそんなものがそうそう見つかるとも思えない。自然淘汰において著しい優位性が認められるのならば、鳥類はとりあえず脇に置くにしても、二足歩行が人類の半ば専売特許になっているというのは到底信じがたい。単に捕食関係のみを参照すれば、逃げるにせよつかまえるにせよ、人間よりもはるか瞬発力に長けた四足動物など、現にいくらでも存在している。道具を使うというならば、チンパンジーでもカラスでもそれなりにできているではないか。

 

 はなはだ奇妙なテキストで、進化論の最前線を望むならば、本書はいかにも煮え切らない。

 しかしとにもかくにも事実、この二本足で歩くということには何かしらのインセンティヴが設定されているらしい。

 例えば「1日に30分歩くと冠動脈疾患のリスクが18パーセント下がる」し、たとえ乳がんを患っても「運動(週11時間のウォーキングだけでも)によって死亡リスクが約40パーセント低下する」。もっとも有酸素運動による脂肪燃焼効果はこれらのエフェクトを説明しない。なにせ効率よくできている人体は、グリコひとつぶで300メートルも動けてしまうのだから。しかしこの二本足でのウォーキングはマイオカインを生成させる。結果として、「特定の種類のがんや心疾患を予防するだけではない。自己免疫疾患も防げるし、血糖値を下げることによって2型糖尿病の予防にもつながる。不眠を改善し、血圧も下げる。コルチゾール血中濃度を下げることでストレスを軽減する」。

 そればかりではない、「ウォーキングは老化の進行を遅らせることができるだけでなく、若返りも可能にする」。ここでもまた、マイオカインが鍵を握る。とあるモニタリングが示すところでは、「散歩したグループでは、海馬の体積は平均して2パーセント増加していた」。それに比して、対照群の海馬は1から2パーセント程度の減少が観察された、という。さらには、「ウォーキングが鬱症状や不安神経症を緩和することを裏付ける証拠がいくつか提出されている」。

 

 人類学関係ないじゃん、としか思えないみのもんた立川志の輔まがいのごたくばかりを並べていても芸がない、と筆者もどうやら勘づいたらしい。紙幅の水増しはもういいやと、最終章に至ってようやく「人類の化石記録をもう一度検討してみよう」と気を入れ替える。

 とあるホミニンの標本においては、「内踝(足首の内側にある突起)が異様に小さく委縮し、足首の関節に奇妙な角度がついている」。これは「子どもの頃に足首を骨折して適切な治療を受けられなかった人に見られるものと同じである」。にもかかわらず、「傷を癒やし、大人になるまで生き延びることができたのだ」。また別の標本でも「骨の炎症によって痛みに苦しみ、弱っていた……だが、彼はその状態のまま生き続けた」。ある者は脛腓靱帯損傷、ある者は腰部の関節炎、ある者は足首の圧迫骨折、またある者の椎骨には腫瘍痕……と、このリストを連ねはじめたらきりがない。

 古人類学界不世出のアイドル、アウストラロピテクスのルーシーにしても傷だらけだった。「彼女の大腿骨には、臀筋が付着していた箇所に感染を起こしていた跡があ」ったし、「背骨にも問題を抱えていた。……腰が曲がっていたのかもしれないし、だとすれば歩行能力にも問題があっただろう」。それでも彼女は骨端線が閉じる程度にはその生をつなぎ止め続けることができた。過酷な環境にあって、まさか誰からのヘルプを得ることもなく達成できたとは考え難い。骨盤の形状が示唆するに、この種においては助産師の存在なくして赤子を取り出すことも想定されない。

 

「利他的に行動する能力は、危険な世界で生きる二足歩行動物の脆弱さから生まれた」。

 四本足から二本足に移行することで人類は何を手にしたか。

 それはすなわち、他者へと差し伸べる手だった。

 

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