世の中に切腹愛好家多しといえども、実際に生の切腹を見たことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとりなのだった。……
うむと突き刺したとたんに、彼の顔が、さーっと青ざめた。青ざめて、活きている人の顔色とは思われないものになった。驚いた。人のからだの自然の反応だ。死ぬことについての。斬られ、えぐられ、断たれて、滅ぼされることについての。人のからだが、挿入した刃物をみとめ、受け止め、理解して、その場で反応したのである。
うむと突き刺したとたんに、あたりの空気も一変して血腥くなった。粘っこい血腥さがあたりに充満した。
もっとも「サムライとして、しないではいられない切腹、瓢箪に油を塗って切るような切腹など、ここにありはしない。ここにあるのは、密室で行われるはずの性的なプレイである。腹を切ることを考えて勃起する。それが刀だ。腹を切る。それが挿入だ。血だらけの腹のまま、勃起したペニスを膣に挿入してえぐる。刀で腹をえぐるのと、ペニスで膣をえぐるのとはモノこそ違え、行為も意義も同じである」。
ちなみに、「切腹」を果たしたこの彼は医師だった。弁えて急所は外す、とはいえ血は幾筋も滴り落ちずにはいない。別室へと引っ込み、自ら傷口を縫い合わせる。
誰に命じられたでもない、愛好家向けの雑誌の求めといえば言えて言えないこともない、しかし、同伴した筆者の眼差しはあくまで彼の興奮を倍加する装置に過ぎない。彼はただ彼のために刃を立てる。『阿部一族』の切腹と重なるところはない。
「鴎外が好き」。
『阿部一族』が著されたのは大正2年のこと、言うまでもない、明治天皇の死に続いた乃木希典の切腹を受けてのものだった。小説に史実のソースを与えた時代の倫理に即せば、「死出の山三途の川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。その許しもないのに死んでは、それは犬死である」。「殿様」細川忠利もさぞや煩悶したに違いない、鴎外はそう推察する。「許す」と言わぬ結果、「恩知らず」「卑怯者」との中傷を浴びる程度ならば、側近もお世継ぎに仕える道に甘んじたかもしれない。しかし、「その恩知らず、その卑怯者をそれと知らずに、先代の主人が使っていたのだと言うものがあったら、それは彼らの忍びえぬことであろう。彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう」。
他の18名には与えられた「許し」は、果たして忠臣中の忠臣、阿部弥一右衛門には降りなかった。命など惜しくはない、さりとて「許し」なき犬死を選ぶわけにもいかない。そうして他の切腹を見送った彼の耳にまもなく「けしからん噂」が漏れ聞こえる。「許し」なきことをいいことに生き残ろうとはなんたる恥知らずか、と。畢竟、彼は己が腹に刃を立てる。
天皇睦仁死するの報に触れて、軍医として官僚機構の頂にあった鴎外に去来した思いはいかばかりだっただろう、近代なきこの国にあっては「殉死」が選ばれたとしてもあるいは当然のこととして受け止められたかもしれない。
『阿部一族』において、切腹を控えたその日、酒にほろ酔い眠りこける内藤長十郎に、「もう起こしてやってはどうじゃろの」と母は言い、妻は「あまり遅くなりません方が」と応じる。伊藤はそこに「酷薄な声」を聞く。「酷薄な声であった。日本の声であった。日本語であった。日本的な女たちの酷薄な声であった」。
筆者には鴎外から別なる「声」のこだまが響く。その「声」の主は「同じ女」、「いかにも知的で我の強い、当時の日本的でないような女」、「エリスでも、エリスのモデルでもない女」、「よく読み、よく書き、よく考え、好奇心旺盛で、物怖じせず、恥ずかしがらず、自分と自分の意見に自信を持ち、はきはきと発言する女」。
彼は「その女を崇拝した。しつづけた」。筆者はその影を『ぢいさんばあさん』のるんにみる、『最後の一句』のいちに見る、『安井夫人』のその当人に見る、
鴎外のメンターとしての「女」は。やがて筆者のメンターともなる。そしてついに筆者はここまで言い切るに至る。
「るんもいちも安井夫人も、わたしでないわけがあるものか。そういうふしぎな自信がある」。
英語で「一族」の置き換えとしてまず連想される単語といえば、family。映画版『阿部一族』の英語圏ヴァージョンにはどうやらThe Abe Clanとの訳題を与えられているらしいのだが、あくまで素知らぬふりをして、familyなる単語をめぐる数奇な由来をひもといていく。
今日においてその語と密接にひもづけられた概念としての家や血族をあらわしたのは、インド‐ヨーロッパ祖語においては専らdomoだという。domesticやdame、少し変わったところではcondominiumあたりもルーツをたどれば、このdomoに行きつくらしい。
ではfamilyの語源といえば、ラテン語famulus、その意は家来、奴隷。細川忠利の側近はまさに「殉死」をもってfamilyの結合を証した。乃木希典の「殉死」は、万世一系、神聖不可侵の血すらも凌駕せしめた、のかもしれない。
ところで『阿部一族』は、弥一右衛門の「犬死」をもって終わらない。ストーリーにはまだ続きがある。
「殿の一回忌にて、儀式はとどこおりなく済んだが、その間にただ一つの珍事が出来した。それは阿部権兵衛が殉死者遺族の一人として、席順によって妙解院殿の位牌の前に進んだとき、焼香をして退きしなに、脇差の小柄を抜き取って髻を押し切って、位牌の前に供えたことである」。
ここに本書二つ目の「切る」をめぐる、性交のメタファーならざる用法が登場する。「切腹」という名の挿入をもって家臣は亡き主君と合一し、同性間の疑似生殖をもって命を差し出し命を得て、ここに永遠のsagrada familiaを築いた。対してこの刹那、権兵衛が切り裂いたのは、まさしく武士の武士たる所以、familyだった。
鴎外もまた、シーンを描くこの瞬間、「酷薄な声」と袂を分かつ。切らせたのは誰あろう、「女」に他ならない。
familyを振り払った鴎外は、にもかかわらず、いかにも奇怪な「遺書」を残す。
「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」。
遠く独逸の空の下、一度は「女」の導きによってfamilyを切った鴎外にはなお、郷里の「石見」が残った。
そしてカリフォルニアの大地にて、「女」を仰ぎ、「女」となった筆者もまた、homeを見つける。
死にゆく夫はそのとき、リハビリ・メインの老人施設にいた。「立ち上がれず、寝返りもうてず、お尻には大きな褥瘡があり、排尿はカテーテルに頼り、便はおむつに出していた。ベッドから車椅子に移動させるためには、二人がかりで、力任せに夫を持ち上げて下ろさなければならなかった。そしてまた、二人がかりで持ち上げてベッドに戻さなければならなかった。……
あまりに不幸だった。夫はやがて院内感染の肺炎にかかり、ER に戻され、それからICU、そして一般病棟と繰り返して、また老人施設に戻り、さらに、さらに、不幸になっていった。……
あまりに不幸だった。それで、わたしは、とうとう口に出したのである。
Let's go home!」。
そして同じ頃、詩人にとっての「石見」にして『阿部一族』の舞台たる熊本を地震が襲う。
「贖罪のために看取っているのだと思っていた。でもいざ死んでみると、どうもそればかりとは思われない。何か別の理由があったんじゃないか。そう思えてしかたがない。でも終わった。理由はどうあれ、死んだら、どうでもよくなった。終わった、終わった。それが死だ。さあ心おきなく帰ろうと立ち上がったら、帰るホームが、地震でぐちゃぐちゃになっている」。
「我と人の間に、線を引けない。人は人と、話したがらない。若い人が腰を屈めて、何かを憚るように、人と会話する。話しかけられても、人の顔を見ないようにしゃべる。助けを求められても、人は困ったような顔をして見過ごしていく。人は、人の目を気にしないではいられない。人の目を気にして生きているのに、人という人を好きではない。それが、国を出て以来、経験してきた日本だ」。
それでもなお、筆者はその「日本」を書く、鴎外がかつてそうしたように。
「書くことで、鴎外が、おのれを生きる、生きて窒息しているこの世界を、とんとんとんとんと整理したがっていたように見えてしかたがない。書かないではいられない、どうしても書かずにはいられない。これがこの世間の秩序である、秩序であるはずであると、鴎外が悲鳴をあげてしがみついているように思えてしかたがない」。
そうして彼ら詩人はhomeを見つける、「書くこと」、それも日本語で「書くこと」のうちに。