アメリカズ・ゴット・タレント

 

進駐軍慰問」のショー。

 こう聞くと、どんな「ショー」が思い浮かぶだろうか。(中略)

 そのなかで脚光を浴びたのが、しゃべりも物語も必須とせず、体と道具を駆使したパフォーマンスで客をつかむことができる芸の数々だった。

 ショーのプログラムに必ずといってよいほど入ったのが、戦前から欧米の舞台芸能を習得してきた人びとやその弟子によるダンスだった。ジャグリングや曲独楽といった曲芸、仰向けに寝転がって樽などを自在に操る足芸、綱渡りや逆立ちや跳躍を駆使した離れ業、ソロやチームでの自転車曲乗りなど、アクロバティックな芸も人気があった。ボクシングや野球をネタにしたコントがほぼパントマイムで演じられた。また奇術も定番で、寄席芸でもある紙切りのほか、獅子舞、即興の漫画描き、百面相、人間ポンプ、居合抜きなどもあり、「見るだけでわかる」芸のオンパレードになった。(中略)

 江戸時代からの伝統を受け継ぐ太神楽や手妻(日本手品)の演者たち。大正期から日本で演じられてきた中国の奇術師やアクロバット師。十代から奇術一座やレビュー団に入って修行を続けてきた、芸界の「職業婦人」たち。子どもの頃にアメリカのサーカスに入り、何十台も連なって走るサーカス列車に乗って巡業した経歴をもつ軽業師。ニューヨークやシカゴ生まれの自転車曲乗り姉妹や、サンフランシスコ生まれのアクロバティック・ダンサー姉妹。トンチを利かせて筆を走らせ、あるいはハサミを絶妙に操って、アッと驚く絵や図をつくりだした男たち。「好き」でしていたことが「商売」になることを発見し、その機会を鋭敏に捉えた奇術師やタップダンサー。歌や踊りで家族の暮らしを支えた少女や少年たち。米軍慰問ショーでの人気を糧に、1960年代のアメリカ芸能界を歩いたコメディアンや曲芸師やダンサーや歌手……。こういう人たちが、「進駐軍」の将兵をビックリさせた。笑わせて、またニッコリとさせた。興奮させ、場合によっては退屈させ、さらには気味悪がらせもした。そして、感服させる芸をやってのけた。

 

 今も昔も変わらない、タケシ・キタノの映画なんざ誰も見ちゃいない傍らで、殿擁する『風雲!たけし城』は世界中の拍手喝采をさらう。飛んだ、跳ねた、落ちた、字幕すらなくたって笑える。これぞまさに「見るだけでわかる」コンテンツの強みである。

 戦後のどさくさ、三食もままならない、ものづくりのための基盤も確保されない、そんな時代に唯一頼れる我が身ひとつで、世の羨望の的となるほどの大金を稼ぎ出してみせる。紛れもないアメリカン・ドリームがそこにあった。そのさまはまるで戦前より引き継がれてきた、日本芸能史のタイム・カプセルのような観すら呈する。

 

 もとより興行で身を立ててきた人々が、進駐軍向けに改めてショーを提供したばかりではない。苦難の時代にあって、アマチュアが起死回生を期して殴り込みをかけて新たなマーケットを切り開く、そんな局面も時に訪れる。

 その奇術師を長谷川智という。戦前はあくまで一介の「若き奇術研究家で、寄席やお屋敷で演じていたわけではなく、また奇術一座での巡業とも無縁だった」。この精神的指導者に教えを乞うたフォロワーたちが、次々とショーのスターの座を射止めていく。その弟子のひとりがマギー信沢、名の示す通り、マギー司郎の師にあたるという。スプライトがキリンレモンに変わる、横縞が縦縞に変わる、そんな匠の技ひとつにもうかつにも戦争の影を読み込んでしまいたくもなる。

 

 たかが奇術さえも翻弄されずにいない、そこに戦争の悲劇がある。

 難波嘉一というアクロバット師がかつていた。「頭で立って階段を上」る、そんな業で鳴らした彼の名が日本の文献に登場することはほぼない。しかし他方、全米のサーカス・シーンではKaichi Nambaとして遍く知られる存在だった。もっとも、そのキャリアは開戦をもって途絶を余儀なくされる。敵国人として収容所の中で空白の数年を過ごし、戦争の終結を待って日本へと送還され、そして皮肉にも主たる舞台は慰問ショーとなった。

 しかし母国での芸の受容には、忸怩たる思いを抱かずにはいられなかった。日本の客や興行主にとってあくまでそれは「珍芸」の類、物笑いの種に過ぎなかった。かつてかの地で注がれた畏敬の念はそこになかった。

 晴れて彼のカムバックが認められたのは1957年のこと、ブランクをものともせず1960年には伝説の「エドサリヴァン・ショー」への出演を果たしたという。戦争が、日本が、いかに彼から時間と尊厳を奪い去ったことが窺い知れよう。

 昔も今も変わらない、人を嘲ることでしか笑うことができない、実に日本人なる語とクズの別言という他にいかなる含意をも持たない。

 

 芸は身を助く、しかし、戦争はその機会すら奪い去る。

 芸は身を助けなどしない、それがきっと戦争というもので。

 不要不急のその芸を、ところが進駐軍は求めずにはいられなかった。

 たぶんそれを平和と呼ぶ。

 

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