バッティングセンターに行ったことはありますか?
恐らく、この本を手に取った方の多くは「はい」と答えるでしょうし、一回も行ったことがなくても「バッティングセンター」という存在を知らない人はいないと思います。……
ですが、バッティングセンターそのものの歴史は、これまで驚くほど置き去りにされてきました。その存在が当たり前すぎて、そもそも誰も知ろうとしなかったのかもしれません。
そんなバッティングセンターが、現在存亡の危機に瀕しています。……
バッティングセンターはなぜ作られて、なぜ日本で広まっていったのか。そしてこれからどこへ行くのか。考え始めたらわからないことだらけ。バッティングセンターのオーナーさん達に話を聞いて、自分の中で膨れ上がってきた疑問を解消したくなっていました。
この本一冊まるごとが、その取材報告です。
本書でそのルーツが明かされることはないが、ベースボールの祖国アメリカでバッティングセンターにあたるものとして、Batting Cageなるサービスがある。投げ出された球をだだっ広いフィールドに向けて飛ばす、要するに、ゴルフ打ちっぱなしの野球版をイメージすればいいらしい。
とはいえ1ドル360円の時代である。日本式のバッティングセンターの父はおそらくはそんなものが存在していることなど知る由もなかった。きっかけは夜間学校機械科の自由課題でトスマシンを開発したことに端を発する。これを娯楽に転用したらあれよあれよの大繁盛、高度経済成長の波に乗って瞬く間に全国各地へと広まっていった。
本書でもしばしば語られるように、コスパを見ればどう考えても割のいい投資とは言い難い。相応に広大な土地を要する、マシンのメンテナンスも欠かせない、一度にバッターボックスに入れるのは基本的にはひとりだけ――できない理由、稼げない理由探しがこれほどまでに容易なベンチャーが、いざ仕掛けてみたら莫大なニーズを掘り当ててみせる。まさに好景気の余裕のなせる業である。
いかに企業努力を重ねたところで収益性には限界がある、半ば道楽のようなこの産業が今日までなんとか生き長らえるには、幾度かの望外の僥倖に恵まれてこそのことである。
そのひとつが「ストラックアウト」だった。はじまりはもちろん『筋肉番付』の人気コーナー、高視聴率番組という名の最高のコマーシャル・フィルムが毎週のように流れていたというのだから、スポンサードしているわけでもないのに、この宣伝効果たるやバッティングセンターに客足を戻して余りあるものだった。しかも「今日の感覚だと、それだけ流行した遊びであればテレビ局が著作権で権利を囲って収益化しそうなものだが、そういった動きはほとんどなかったという」こともおそらくは普及を大いに手助けしたに違いない。
つくづくそうした広告代理店的なそろばん勘定を免れたところで、バッティングセンターという商いは営まれることを宿命づけられているらしい。
しつこいけれど繰り返そう、普通に考えればこのビジネスはビジネスと呼べるかすらも怪しいほどに割に合っていないはずなのである。どこまで行っても、見込める稼ぎは1プレイ2、300円がせいぜいなのだから。
ところが今、このバッティングセンターが思わぬ仕方でバズっている、それも野球とはおよそ縁の遠そうなタイの国で。
その起業家に明確な勝算があったわけでもない、バンコクに滞在する推定10万強の日本人相手に競合他社のいない独占マーケットを築ければなんとかなるかもしれない、その程度の目途でとにかくはじめてみた。現地のスタッフに施工を頼みはしたものの、実物を見たことのない彼らに与えられた図面の行間から完成型を想像しろというのがそもそもからして無茶だった。かくしてオープンは4か月も後ろ倒しにずれ込んだ。
ところがいざはじめてみると、濡れ手に粟とは程遠くも「家族3人で生活できる程度」の儲けを叩き出すようになる。それも現地駐在の日本人が減少の一途をたどっているにもかかわらず、である。このインタビューの段階で、顧客に占める日本人と外国人の比率はおおよそ6:4。しかもこの4に含まれるのはアメリカや韓国に限らない、ローカルのタイ人がじわりじわりと数を増しているというのである、プレイ料金は1ゲーム100バーツと決して安くはないにもかかわらず。
そのゲートウェイは思わぬところに開いていた。
「タイ人はね、『ドラえもん』とか『タッチ』とか、日本の漫画が大好きなんですよ。……
そういう漫画の中には、大体野球が出てくるじゃないですか。だから、“あの漫画に出てくるスポーツをやりたい!”という感じで遊びに来るんです」
大谷翔平もイチローもダルビッシュ有も知らない子どもたちでも、のび太やジャイアンなら分かる。
まさか藤子不二雄やあだち充がこんな未来を予想して執筆していたはずがない。
もっともいかに野球の普及を謳ってみたところで、「ただ、やっぱりルールがわかっていないので、バットの持ち方がおかしいし、酷い人だとホームベースの上に立つ人もいる。なので、初めて見るタイ人のお客さんには、やったことありますか? と声をかけるようにしています」、このレベルではある。
しかし、奇跡的な綱渡りをもって今日までなんとか存続してきたこの不採算カルチャーが、遠く異国で密やかに花を結びつつあるというのだから、つくづく世の中というのは何がどうつながっているのか、分からない。
商社マンたちが見向きもしないだろう、このベンチャーと斜陽産業のコラボレーションは教えてくれている、明日のことなんて、結局誰にも分からないのだ、と。