aqua vitae

 

 泡盛は、一般的にタイ国産のインディカ米と黒麹菌(学名アスペルギルス・ルチュエンシス)を使って造るが、タイ米硬質米のため蒸してもサラサラしていて黒麹を繁殖させやすく、発酵管理がしやすい利点もあるという。

 この黒麹菌から出るレモンのような酸味の強いクエン酸が、醪の雑菌繁殖を抑える作用をする。その結果、気温が高い沖縄では黒麹を使えば、一年を通しての酒造りが可能になる。清酒の世界が晩秋か初冬の時期に酒造りを始めるのを「寒づくり」と呼ぶのと対象的〔原文ママ〕な世界といえよう。

 九州の各地ではこの黒麹菌が変異した白麹菌や清酒と同じ黄麹菌で焼酎を造ってきた。……

 泡盛はこうした焼酎とちがって年月を経て熟成させると、香りはより芳醇に、味わいはさらに甘く、まろやかに化けていく。現在3年以上熟成させた泡盛は古酒と名乗ることができるようになっている。

 しかし、沖縄では先の大戦で本島が焼きつくされるまで中国の康熙年間(1662~1722年)に造られた300年近い超古酒も存在していたのである。……

 琉球王国600年の歴史をもつ民族の酒であり、大戦後の瓦礫のなかから復興した奇跡の酒。そんな琉球泡盛について平和を求めるシンボルの酒として再生に尽力してきた人びとのドラマをこれから語り継いでいきたい。

 

 蒸留酒を英語では専らspirit(s)と呼ぶ。水であって水でない、濃縮されたアルコール液を精神になぞらえてそんな名が与えられたのだろう、と推察される。

 

 筆者はひたすら現地に足を運んでは作り手たちの声に耳を傾けていく。とあるメーカーでは旧来よりの伝統に則ってステンレスタンクではなく甕で発酵を促し、他方、別のメーカーは細かなデータ採取を積み重ねて、今や27種類もの泡盛を作り分けるようになった。なるほど、そうした情報に基づいて独自のこだわりが凝縮された銘柄をググって通販で買ってみる、それもよかろう。

 しかし本書のファインプレイは、酒それ自体よりもむしろ酒場に専らその焦点を求めたことにこそある。うまい、まずいと愚痴りながらひとりしかめっ面を浮かべて晩酌に興ずるのではなく、居酒屋というサードプレイスで誰かと泡盛を分かち合うその場面をクローズアップしてみせた、このことが奇しくもスピリットのスピリットたる所以を浮き上がらせる。

 

 とある居酒屋の主のモットーは、「イチャリバチョーデー(一度出会えば兄弟も同然)」。南米移民の末裔が留学や出稼ぎで沖縄へと舞い戻ってこれば歓迎会を催し、「障害者も健常者も貧乏人も裸の人間になれる宿にしたい」との理念に共鳴すればジャズコンサートを企画してそこで得られた500万もの収益金を提供してしまう。

 もちろん、店主の理念だけでこれらが成り立つはずもない、それを支える人々があってようやくかたちになる。常連客のひとりは言う、「手伝うのは、ここが自分の店という気持ちから。……だから、初めての人、よそから来た人を、我々常連みんなで大事にするんだ」。

 そんな彼が1997年に立ち上げたのが、「百年泡盛プロジェクト」だった。その名の通り、巨大な甕に注がれた泡盛100年の熟成に供しようというのが企画の趣旨で、無論、眠りが解かれたその酒を協賛者自身が口にすることはまずない。しかしその意義を説いて言う。

泡盛を百年熟成させるというのは、そのあいだ沖縄が平和でありつづけるということ。あの戦争がなければ自分たちだって数百年ものの古酒を呑むことができたのだから。古酒を造りつづけることは戦争をしないという強い意思表示の表われでもあるのです」。

 

 また他の居酒屋を彩るのは壁一面のポラロイド、「酔顔」と書いて「すいがん」、ひとまず名づけられたその字面を、ふと誰かが「よいかお」とも読めることに気づく。彼ら「よいかお」はやがてマラソン大会に参加するために合宿を組むようになり、喘息持ちの店主は彼らに促されるまま自らも参加して程なくその魅力にのめり込んだ。その興奮をブログに綴る。

「マラソンは過去を振り返り、未来を見据えることができる。スタートからゴールまでの42.195キロの中で人生を感じる。それはまぎれもなく実感する『ホントの世界』そこに『ウソの世界』はない、一歩踏み出すとホントの自分しかない、誰のせいでもない、言い訳もできない。

 現実から勇気を出して一歩飛び込むことで新たな自分を発見できたことに感動する。そして純粋になり、素直になる。そのとき人は清々しくなれる。人が好きになれ、人が恋しくなる。ジョガーたちの様子はまさにそんな感情が噴き出したように見てとれる。まさにそこに、『平和の輪』ができる。誰が作ったものではない、一人ひとりの人間が主体的につくられた、本物の『平和の輪』である」。

 そんな彼が言うことには、「泡盛の名前や味にこだわらず、気に入った酒を呑んで心地よく酔って人と楽しく語りあう文化というものもあるのではないか」。時に蔵元へと自ら足を運び、40種類以上の銘柄をラインナップする店主が辿り着いたのがこの境地だった。この気づきをもたらしたのは、常連たちの「よいかお」だった。

「酒呑みは誰でも熟成された酒を好む。だが熟成された人間になれば、どんなまずい酒でも腹に入れば熟成された酒のようにうまくなる」。

「熟成された人間」は、スピリッツに培われた「平和の輪」から生まれ出る。

 

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