忘れな草をもう一度

 

 近年、メディアで「限界ニュータウン」という表現を見かける機会が多くなってきた。……

 一方で、その郊外型ニュータウンのさらに外側、農村部の間に忘れられたように残されている小規模な住宅分譲地については、広く語られる機会は少ない。ましてや市街地から遠く離れた山間部に点在する別荘地などにいたっては、そこに土地を所有している当事者でもなければ、関心を持つどころか、そもそもその存在すら目にする機会もないのが普通なのではないかと思う。僕はそのような、家屋もまばらでほとんどが空き地のまま放置されているような超郊外の分譲地を、主に「限界分譲地」と呼称しているが、これもまた都市問題の用語として定着しているとは言いがたい。……

「限界ニュータウン」「限界分譲地」をテーマに語ると、どうしてもそこに住む人の苦労や悲哀などがクローズアップされがちだが、一方でその限界ニュータウンの家々の間に残る空き地は、そこに住むわけでもない都市部在住者の所有地であり、そんな不在地主もまた、いつ売れるのかもわからない「負動産」を抱え込み、時には悪知恵を働かせた業者の口車に乗せられ、不毛な維持費を捻出して所有し続けている。その土地を買いたい人よりも、売りたい人の方が圧倒的に多いような限界分譲地は、問題の根源はむしろそうした不在地主側の事情にあることが多いと考えている。それは不在地主に非や落ち度があるという話ではなく、むしろ正確な情報から遮断されているところにあると言った方が正しいかもしれない。

 

 これら「限界分譲地」が、ペンペン草も生えないような荒れ地ならばいっそよかった。ところが筆者が自ら住まい訪ねて歩く千葉県北東部の「限界分譲地」には、幸か不幸か、ペンペン草くらいは生えてくるのである。それどこか、何の手入れもしなければ雑木すらも伸びてくる。場合によっては、隣地や道路にまでその根を張り、そのことで住民や自治体からのクレームも所有者に入ることとなる。さりとて、そんな塩漬け物件のためにわざわざ自ら足を運んで草むしりに汗を流すような殊勝な人物というのもそう多くはない。

 目ざとい商人がこの窮状をビジネス・チャンスに変えてみせないはずがない。この草刈りを1万円前後の価格で承る業者が台頭し、「千葉県郊外においては、いまやひとつの地場産業として成立していると言っていい」。

 そしてそんな彼らは、しばしば管理する土地売買の仲介も引き受けていたりもする。しかし冷静に考えてみれば、少しばかり奇妙な話なのである。こんな二束三文の土地を斡旋したところで、実入りなどたかが知れている。にもかかわらず、仮に契約が成立した場合に、新たな所有者が引き続き自社に草刈りを依頼してくれるとも限らないのである。それではみすみす自らの食い扶持を売りに出しているようなものではないか。

 もちろんそんなお人好しでは、生き馬の目を抜く不動産投機の世界を生き抜くことなどできやしない。だから彼らは、バブルの記憶にとらわれて損切りできないクライアントの言い値のままに、実勢価格をはるか乖離したプライスタグをかけ続ける。彼らにしてみれば、「いくら草刈りをしても絶対に売れないような条件の悪い土地の所有者こそ格好の上客とも言える」。

 

 差別化戦略も何もないこの「レッド・オーシャン」にひどく感銘を受ける。まさにこの商魂を煮凝りにしたような新規ビジネスの胎動こそが、本書全体を要約するような、「限界分譲地」の「限界分譲地」たる所以ではなかろうか、と。かつて千葉の僻地にすらも一攫千金を夢見ずにいられなかったのと同じ仕方で、バブルの焼け跡にすらも、ベンチャーは芽を出さずにはいられない。後は野となれ山となれと売り抜けたきり知らん顔の昭和のデヴェロッパーの尻拭いをするために、令和の世にも新たな業種が生まれてくる。上げ潮の時代には上げ潮の、下げ潮の時代には下げ潮の、それぞれの社会のニーズとウォンツに根ざしたベンチャーがそこに生まれてくる。実体といえば単に過去のツケを支払っているだけ、未来が食い潰されているだけで何ら生産性はない、しかしこの新陳代謝にはどこか感動すら催さずにいられない。

 人口減少が約束された社会にあって、交通網も教育環境も縮小傾向のこれら限界自治体に、大口の雇用を生むような金の卵が転がり込む公算は今後も決してないといっていい。私がいかに白々しく褒めそやすふりをしてみたところで、入ってくる金額など契約1件につき年一桁万円の、しょぼくれた「限界分譲地」にお似合いの、しょぼくれたビジネス・モデルである。エスキモーに氷を売るイノヴェーション性はかけらもない。しかし、何はともあれ、小さなパイを奪い合うその社会で適者生存を図るアントレプレナーは時代時代に誕生していく。

「今も昔もこの千葉県郊外は、かつては投機の実験場となり、その後は廉価な住宅の供給場となり、そして今はその大きく下落した地下を逆手に取った投資の入門場となるなど、いつの時代も、首都圏の不動産市場に翻弄され続けている土地といえるのかもしれない」。

 紛れもなく、この光景は衰退国の行く末を暗示している。

 

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