踊る大捜査線

 

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)

 

 1995年。この年が、阪神・淡路大震災が起きた年であり、オウム真理教による地下鉄サリン事件の年であるということは誰もが知っている。1995年は、主にこの日本戦後史における最大級のふたつの事件をもって「戦後史の転機となった年」とされる。……

 だが、自然災害である震災と、人為的な集団犯罪であるオウム真理教事件が重なった年という偶然だけをもってして、軽々に1995年が戦後史の転機であると論評することは避けたいと思う。戦後50年という数字上の区切りにもまた、それ以上の意味はない。

 では、1995年は何の転機でもないのかというと、それもまた違う。……

 ただ当時の日本人が抱いていた、「何が起きても不思議ではない」「これまでの常識は通用しない時代」という漠然とした予感に、震災とオウムというふたつの厄災が重なることによって「変動期の到来」という強い印象が突きつけられたのだ。

 1995年とは、それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会となった転機の年なのである。

 

 個々のトピックをさらっていくだけでも相応の面白さはある。

 バブル崩壊の傷跡が長期化する兆しを示していたこの時代――まさか失われたn年が今なお更新され続けようとは夢にも思わなかっただろうにせよ――、叫ばれたことばのひとつが「価格破壊」、マクドナルドのハンバーガーが210円から130円へと引き下げられたのが1995年。「ステイタスから実用へ」のクルマ需要の変化を象徴するように、いわゆるヒット商品番付上位に「都市型RV」が姿を表わしたのも同じく1995年。他方で、WTOの促す貿易競争に思わぬかたちでさらされた焼酎市場は、この年を転機に、ブランディング、差別化への道を歩みはじめる。

 95と聞けば必ずや脳裏をかすめるだろうアイテムがWindows95、しかし今あの秋葉原狂騒曲を振り返ってみれば、何のことはない、MSPCメーカーによって仕掛けられた「50億円が投じられた手の込んだ広告キャンペーン」に過ぎない相が浮上する。うっかりするとネット社会の幕開けを告げるトピックとして捉えられてしまうだろうこの事象、しかし実は、「インターネット普及をマイクロソフトが見抜けないままリリースされた商品だった」。

 

 後世からの答え合わせで埋め尽くすというたやすい作業で本書を片づけることもできただろう。個々の記述を取ればごく簡潔、総花的なダイジェストと言って言えないこともない、だが、奇妙なまでにそうした読後感には落ち着くことを知らない。たぶんそれは、1995年の日本を生きていた筆者の手による私小説性が端々に映り込んでしまうから。奇しくもこの年のアニメ『エヴァンゲリオン』は己がセカイを延々さまよい続ける他ない少年を描いた、そんなさまをどこか筆者自身と同期化させていたのかもしれない。

 どうしたわけか、とりわけ私の個人的な心象はわずか四行の記述によって支配されて離れない。それはシングル・イシュー選挙の先駆け、青島幸男をめぐる余談。

 ちなみに、お台場にフジテレビが引っ越してくるのは1997年のことだ。移転を記念してつくられたドラマは、都市博の中止により空き地だらけとなったこの場所を走り回る刑事の活躍を描くものだった。主人公の名前は青島。都市博を中止し、湾岸の埋立地の発展を遅らせた原因を作った都知事への当てつけからつけられたものだった。

 カーキのコートをまとった織田裕二扮するこの男は、民間から転じて晴れてベイエリアにて刑事の職に配属される。ただし彼が日々直面させられたのは、「ホンテン」との言い回しに象徴される、一般企業と何ら変わるところのない、トップダウンのためのトップダウンと縄張り意識の権化としての警察組織。タイトルからして『夜の大捜査線』のサンプリング、ただし、過去の刑事ドラマの系譜に連なるべき物語性はもはやそこにはない。経済成長の夢破れた埋立地で、体現すべき正義などとうに形骸化したその焼け跡で、ひたすらにパロディのダンスは空転を重ねる。

「社会変革の期待に満ちた1995年。ここから始まった新しい時代。それは、おそらくは、さらに進んだテクノロジーとさらに進んだ消費社会のロジックによって駆動される何かでしかない」。実のところ、本書におけるこの結語は、1997年のたった一本のドラマに集約され、そしてそこから派生する、ひたすらの焼き直し性を示唆するに過ぎない。「テクノロジー」と「ロジック」による演算機械が織りなす、一切がタッチパネルで置換可能な平板世界は今なお続き、これからも続く。

ジャイアント・キリング

 

 勤勉で、おおいなる才能を持つ芸術家たちがいた。彼らはジョットとその後継者たちのまばゆい光を浴びながら、幸運の星、そして均衡のとれた気性とともに授けられた豊かな才能を、世に示すべく精進を重ねていた。万物に宿る偉大なる自然を模倣することで、至上の知識を手に入れようと奮闘していたのだ。そのいっぽうで天の支配者たる偉大なる神は、地上にそのような芸術家たちの空虚で実りのない努力が空回りする様子、光と闇を隔てる距離よりも真実から遠ざかってしまった人間たちが、身の程知らずな考えを持つのを天から眺めていた。そして彼らの過ちを正すべく、意を決してひとりの天才を送り込む。

 

 ――と、書き出しからしてこのフル・ボリューム感、現代の長文叙述においてはまずお目にかかれないだろう。いずれのページをめくっても、ひたすらに絢爛豪華な形容表現、この過剰性が本書全編を貫く。

 16世紀に書かれた伝記を今日あえて手に取ることの意味を考える。もちろん直接当事者による証言をさらう価値もあるだろう、現存しない作品についての糸口を拾うこともできるだろう、しかし、それらは本来において高度な文脈クリティークを要するに違いない、研究者向けのアプローチでしかない。

 だとすれば、と私のごとき門外漢にとっての値打ちを考えると、必然まさにこのハイ・カロリーな文体にこそ行き着く。確かにこのテキストはジョルジョ・ヴァザーリという弟子によって書かれた、ミケランジェロ・ブオナローティの筆によるものではない。しかし、このテキストが広く受け入れられ今日へと引き継がれたからには、人々がミケランジェロに読み解いただろう同時代の美意識が相応に反映されているには違いない、言い換えれば、ミケランジェロが体現せんとした美意識のいくばくかが本書に含まれずにはいない。

 事実、かのダビデ像が湛えるだろう、映えに映えまくる荘厳のたたずまい、あたかもゴリアテを模したかのような。もちろん、ここでもミケランジェロが当時における荘厳を表現したのか、作品をもって荘厳が再定義されたのか、という議論の余地はあるだろう。しかし、いずれにせよ確かなことは、「この彫像は……古代の作品をも超えた栄冠を手にしている。……脚はみごとにひねられ、引き締まった脇腹は神が作り出したかのようで、その優美な立ち姿にはなにものもかなわない。これほど美しい脚、手、そして頭部が作り出されたことがあっただろうか。一目この像を見れば、ほかのいかなる芸術家が手がけたどんな彫像も作品も、見たいと思わなくなるだろう」という評から滴り落ちるこの過剰性が、同時代あるいはそれ以後の見る者、読む者の納得を呼び起こすことができた、というその事態に他ならない。

 

 いかに神から遣わされた天才といえども、地上の子、歴史の子でしかあれない。

 時代精神への応答をもって、天才は唯一その定義を持つ。

味覚の生理学

 

 

 

「お茶」とは、日本人にとって、とてもなじみ深い飲み物です。緑茶だけでなく、ほうじ茶や紅茶、ウーロン茶など、日に一度は口にする人が多いと思います。日本人の日常生活において、お茶は切っても切り離せないものですが、そのお茶の奥深さを知れば、もっと楽しく、もっとおいしくお茶を飲めるようになります。

 本書では、そんなお茶の魅力を紹介していきます。そのおいしさの秘密はどこにあるのか? これまであまり語られてこなかった科学的な知見も踏まえて、わかりやすくお話したいと思っています。

 経験的に感じている人は多いと思いますが、お茶は淹れ方によってその味が大きく変わります。せっかく飲むのであれば、よりおいしいお茶を淹れたいですよね。科学的な分析からわかった、確実においしく淹れられる方法もお教えします。

 

 例えば144ページ、クロロフィルの構造式が示される。クロロフィルは「ポルフィリン環(五角形のピロール環が4つある環状構造)の中心にマグネシウム(Mg)を配した構造となっています」。さらにそこに酸化が起きることで、「ポルフィリン環からマグネシウム(Mg)が離脱してしまいます。酸化によって葉緑素はフェオフィチンという分解物に変換され」る。

 高校有機化学の授業あたりでこんな話を聞かされれば、さぞや地獄に違いない。でもこれが「緑茶を淹れて急須に残った茶葉が、しばらく時間が経つと緑が薄れて茶色っぽく変色している」現象の説明だとしたら?

 例えば煎茶の淹れ方、「限りなく玉露の風味に近づけることもできれば、番茶に近い味にもなる」。抽出時間は2分ほどが最適、と筆者曰く。なぜならば、「うま味成分(アミノ酸類)は水に溶けやすいため短時間で抽出され、渋み(カテキン類)はより高温で抽出されるため、抽出時間が長くなるにつれてなだらかに増加していった」。あるいは湯温、「カテキンは湯温の上昇に比例して増加していくのに対し、アミノ酸は水に溶けやすく、水温が低いぬるま湯の段階でほぼ抽出され尽くしてしま」う。おいしいお茶の淹れ方を試行錯誤することと、水溶液の実験は限りなく似ている。

 

 食い扶持に困らない、何なら同じ仕事で23倍の給与を受け取れる、そんなインセンティヴが強力に作動するならば、日本の公用語はとうに英語か中国語に切り替わっている。喋りたいと思わせてくれる誰かに優って有能な講師がどこにいるだろう。原著で読みたくさせるテキストに優って効果的な語学参考書がどこにあるだろう。

 味覚の科学も同じこと、おいしいからはじまって果てしなく広がる学問のかたちがそこにある。役に立つ、実用性がある、それしきのインセンティヴが世界をどれだけ潤してくれただろう。

 何もかもがしゃらくさい世界の中で、せめて人には一杯の茶の癒しを求める自由くらいはある。そうしてたまさかはまり込めた何かを探究する自由くらいはある。そして、そこから引き継がれる知識が、もしかしたら、ある。

セロリ

 

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

 

 

 交換留学生としてかつて暮らしたその街に改めて舞い降りる。「返還まであと1年。そろそろ香港に戻る頃だろうと思った。……資本主義路線を歩みながら、国家としては社会主義の面子を絶対に捨てない中国。何よりも管理されることを嫌う香港。その二つが合体するという、世界で初めての実験に立ち向かおうとしているのだ。それを他人の口からお祭り騒ぎのニュースという形で聞かされるのだけは耐えられなかった。どうしても自分の肌で感じたかった」。

 

 それから23年、本書にも後に訪れた未来を窺わせるような記述はちらほらと見える。

 かつて日本に留学していた友人は、同胞への苛立ちを隠せない。

香港人は経済活動が自由だったから、自分たちは自由を知っている人間だと思っている。でも経済の自由と政治の自由の違いが全然わかっていないんだ。……中国は、香港人民がこれほど支配しやすい人たちだとは思っていなかったんじゃないから」。

 今日改めて時代の相を通じて眺める観察記録として優れたノンフィクションであることは当然に否定しない。がめつい、抜け目ない、えげつない……そのエピソードから浮かぶ形容詞はそのことごとくがネガティヴな響きを伴わずにはいない、ただし彼らは皆が皆、筆者をして「案外ハッピーだった」と言わしめる「記憶に残る天才」でもある。あるいはとうに喪失済みかも知れない、そんな香港気質のモニタリングとして読み解くことは、むしろ正統的なアプローチなのだろう。

 けれどもそれ以上に本書が傑出している点は、ふとした瞬間、その断片から鮮烈に浮き上がる叙事詩性にこそある。珠玉にあって一際きらめく、短編アンソロジー私小説の、たったワンシーン、ワンフレーズにあっさりと領されてしまう、あの感覚。

 

 スノッブがかった、ただしメイン客層は非西洋人という喫茶店でひとり日記を綴っていた筆者。そこにいかにも場違いなカップルが迷い込む。女が筆者に英語ができるか尋ねてくる。彼女が話すのは広東語ではなく普通語、対してオーストラリア華僑の男は広東語を少し解するだけ。女に依頼された翻訳は「私と結婚してほしい」。男の答えを筆者が媒介する。「30分前に友達の紹介で知り合ったばかりなんだ。答えられない」。「私には外国のパスポートがない。だからどうしても欲しいの」、そして筆者に懇願する、「こんなチャンス滅多にないのよ。お願いだから協力して」。押し問答の末、筆者は告げる。「私はこれ以上、彼に失礼をしたくない。こんなことを彼にいわなければならない自分が恥ずかしい」。落胆した女は席を立つ、男は追いかける、そして筆者は取り残される。

 たまらなく不快だった。最初は図々しくて自己中心的な彼女に対する苛立ちだった。それが、滅多にない移民のチャンスをモノにしようとしただけの素直な女性を、『恥』という言葉で辱めた自分の懐の狭さに対する嫌悪に変わっていくのを感じた。

 彼女は四十余年の人生の中で、今日初めて外国と接したのかもしれない。

 外国とはまったく縁のない工場で、来る日も来る日もティーバッグを作り続ける中年女。そこへ何の因果か、突然本物のパスポートを持ったアロハシャツの男が現れた。彼女が日頃抱いている閉塞感や焦燥感が、彼の胸ポケットめがけて爆発してしまったとしても、誰が彼女を笑えるだろう。

 

 そして運命の199771日が訪れる。人民解放軍の香港入城に臨む。「絶対に自分が立ち会ってじかに体験したい、と前から決めていた」。まるでタイミングを計ったかのように、突然の豪雨が襲う。ずぶ濡れの筆者の前に、ついに車列が通る。黒塗りの高級車、消防車、そして幌なしの軍用トラック。「人民は兵士の気を引こうと、必死に手を振り旗を振った。兵士は感情を乱さぬよう、わざと前だけを向いている。……/一度手を振ってしまった私は、たがが外れてしまったように手を振り続けていた。/自己矛盾に陥っていた。/人民解放軍が香港に駐留することには反対だった。/……沿道に一市民として立ち、しかも手など振ってしまったら、兵士の側から見たら歓迎する人民の一人に過ぎない。……/それでも手を振るのをやめない自分」。

 いい加減白状したらどうだろう。

 本当は人民解放軍が好きだったということを。

 

 

listen to the scientists

 

 

 CDC(疾病予防センター)のそもそものはじまりは1942年、「米国南部の地域でのマラリア防御を唯一の目的」として発足したその機関が、今や公衆衛生とはあまり関わりのなさそうな「『労働現場ライフスタイル計画』のスポンサーとなったり、それとは別に『職場における殺人防止』推進計画を実行したりもしている」。ゆえなきことではない、「感染症に罹っている患者は、別の患者からうつされたか、人間以外の感染源からうつったのかのいずれかである。いずれの場合でも、感染源を見つけるためになすべきことは、感染経路を逆に辿って発生源を突き止めることである。これはまさに字義どおりの捜査活動だ」。エピセンター、クラスターを割り出して絞り込んでいく疫学調査の有効性が、CDCをモンスター機構にまで押し上げた。

 このアプローチの効果は、以下の数字をもって如実に示される。

1900年の合衆国における三大死亡要因は、結核、肺炎、下痢性腸炎で、いずれも感染症だった。それが1992年には、三大死亡要因は心臓病、癌、脳卒中となり、感染症は姿を消した。その時点での、エイズも含む感染症による死亡者数は、全体のわずか5パーセントに過ぎなかった」。

 「自然界の病原体は、敵国の平均的な工作員よりもはるかに狡猾で人目に付かず、謎めいている……そう、この『謎』という要素こそが、こういう仕事を魅力的にしている基本要素なのだ」。1995年の彼らが魅せられた「謎」、エボラ・ウイルスを中心に、本書はCDCの来歴を追う。

 

 見えざる恐怖に震える人々の不安とは対照的に、「アフリカ産の三種類の出血熱ウイルス[エボラ、マールブルグ、ラッサ熱]は、人類根絶に邁進する全能の殺し屋などではない……実像は生命を宿さない化学物質である。物理的な実体であり、分子のレベルでは奸計に長け、遺伝暗号が命ずる奇策ならば何でもこなしはするものの、それでも化学と物理学の通常の法則に従うしかない粒子状の物質なのだ。増殖し続けるためには、感染相手にひどい害を与える前に別の人に乗り換えなければならず、そのあいだに簡単な物理的障壁を設ければその乗り換えを妨げることができる」。あくまでこれらは「貧困と劣悪な医療施設がもたらす病気」にすぎない。

 

 ただし、本書は単なる知識とインフラの勝利をめぐるテキストでは終わらない。

 所詮、一般的な診療において相手しなければならないのは、「自分の体を大切にしない患者、肺炎に罹るのは4回目だというのにタバコを止めようとしない喫煙家、食事の量を減らそうとしない肥満タイプの巨漢、運動をしない連中」……。なんという虚しさ、「医師が公衆衛生に引き寄せられるのは、概して、型どおりの一対一の診療を退屈と思うか無意味と思うか、もしくはその両方のせいである。……公衆衛生の対象は『群れの健康』であり、個人の健康ではなく集団の健康に的を絞る。目的とするのは、予防、免疫法であり、“集団”全体を健康にすることである」。

 選ばれし精鋭がエボラの発生源を探索すべく、コンゴ民主共和国はキクウィトの「ウイルス爆心地」を訪ねる。伝染の始点と目されるこの地で彼らはまず何をしたか、「一行は代わる代わるガスパール・メンガの史跡、不滅の炭焼き場に立って写真を撮りあった」、聖地巡礼に胸高鳴るオタクのミーティングさながらに。人命がかかっているのに何をやっている、と不謹慎を謗る輩もいるだろう。仕方がないのだ、「謎」解きが楽しくて仕方ないのだから、少なくとも、ストイックな職業倫理を示したところで、その誠意に応えようともしない患者という名のクズどもと向き合うよりはずっと。

 いつ見ても喜悦の欠片もない、追い詰められたような表情で報道陣の前に立っていることでおなじみの、さる医師は先頃断言した。「PCR検査を増やした結果、感染を抑えられたという証拠がない」、「無症状者にPCR検査をしても感染は抑えられない」、もっともサンプル数すら満足に調達できないこの国の彼に、一連の論理を裏付けるマザー・データの持ち合わせはひとつとしてない。

 疫学的な基本に背き続けるかくなる曲学阿世の徒と、「謎」に憑かれた嗜癖症者、いずれに己が命を預けたいと思うだろう。