怪人二十面相

 

 哲がきわめて異色だったのは、歌手でありMCでもあったということだけではなかった。実は哲は、一部のコアな映画ファンの間で《東宝特撮映画でおなじみの顔》として知られている俳優でもあったのだ。……

 しかし、哲の多様性はそれだけではなかった。歌手でもあり俳優でもあったバイリンガルの哲には、さらにもうひとつ別の顔があった。バンクーバーの青春時代、哲は、カナダの日系人に絶大な人気を誇った野球チーム朝日軍の主力選手として、広く知られた存在だったのだ。……

 野球、映画、ポップス。それらはいずれも戦後日本人の精神に多大な影響を与えたものであり、我が父、中村哲はその三つを自らの人生で体現した稀有な存在だったのではないか。

 日系カナダ人二世の中村哲が、野球少年から一転、いつなぜ日本にやってきて歌手となり、俳優となり、海外ミュージシャン日本公演のMCをつとめ、ネイティブの英語をあやつる国際派タレントとして異色の足跡を残すことになったのか。

 中村哲の波乱に富んだ人生の軌跡を追ってみた。

 

 声楽を学ぶ、といっても幼き日から英才教育を叩き込まれ、音大へと進み、などといういかにも今日の正統派キャリアには遠い。

 日活の養成所に入った動機も、俳優を目指したわけではなく、音楽の仕事をしていくために、ことばの訛りを抜きたかったからに過ぎなかった。

 戦時中には日本放送協会にその英語力を買われて、海外向け放送に抜擢される。その目的は、「ジャズやアメリカン・ポップスアメリカ民謡などの音楽を番組のメインにすえてGIたちの郷愁を誘い、……前線で戦う兵士たちの戦意喪失を謀」ること。かくして結果的に、本邦におけるディスク・ジョッキーの先駆を担う。

 瓢箪から駒が出る、その履歴を追いながら、ついそんな表現が頭をかすめる。

 今日的な尺度からいえば、高度な専門性を求めて然るべき段階を踏み、行き着くべくして行き着いた、と呼ぶには程遠い。しかしそんな亜流も亜流のカナダ産野武士が、三船や黒沢らの国内のレジェンドは当然、フランク・シナトラアラン・ドロンとすら共演を果たしてしまう。日本公演の司会を務めただけでも、ナット・キング・コール、ピーター・ポール&マリー、パット・ブーン錚々たる名が並ぶ。あるいは時に、「東京ローズ」の訴訟をめぐって、アメリカの法廷にも召喚されたこともある。

 そればかりではなく、日本におけるストリップの嚆矢、いわゆる額縁ショーにも携わっていたし、あの『戦場にかける橋』における斎藤大佐役のキャスティング・オファーも来ていた。しかし、このようなトピックでさえも、本書においてはわずか数ページで済まされてしまう。

 

 にもかかわらず、この濃密極まるけもの道を駆け抜けた猛者が、ひとたび家庭に戻れば「お父さんはレパートリーを増やそうとしない怠け者の頑固者」と妻から苛まれる日々を送る。

 なるほど確かに、彼が目指した音楽性はそのとき既に時代遅れのものだったかも知れず、そこにこだわる限りにおいて「レパートリー」に乏しいとの指摘にも一定の妥当性はあるのだろう。しかし、本書を読めば誰しもが思う、生涯にくぐり抜けた「レパートリー」において、これほどまでに多彩な顔を持った人はまずいない(野球、歌、映画と並べてみて、あ、いた、と私がうかつにも連想してしまったのが板東英二だったことは触れまい)。

 おそらくは専門性の細分化が進行していくのは、多分に漏れず芸能の世界においても同じことで、ありとあらゆるジャンルに手を伸ばした――というよりは伸ばされた――履歴も、個人の資質という以上に、混沌とした昭和のコンテクストが生み出したものには違いない。

 とはいえ、つい思わずにはいられない、周囲をいくら見渡しても決してめぐり合うことのないだろうこういう異形を拝むためにこそ、ショービズやテレビってあるんじゃないの、と。好感度とか素顔とかスポーツの感動とかほざいている広告代理店の惨めで卑しくみすぼらしい飼い犬どもに殺処分の他に何の用途があるだろう。日常の何もかもが退屈でクズすぎてたまらない、だからこそ、束の間の忘我を目指す。しゃらくさいSNSなんぞで接続しようもないような、アンリアルな偶像を降臨させる現代の神楽、それこそが「エンタテイナー」の本義に他ならない。