東京都八王子市。……登山客でにぎわう高尾山を見晴らす美山町の丘に、精神科病院「平川病院」(医療法人社団光生会)があります。この病院のなかに、キャンバスやイーゼルが立ち並び、油絵具やオイルクレパスの匂いがする風変わりな一部屋があります。それがこの本の舞台となる〈造形教室〉です。……
この〈造形教室〉には、主に同病院に入院・通院する人たちが参加しています。精神科病院ですから、みなさん何らかの心の病を抱えています。場合によっては、今日という一日を生きることさえ耐えがたいほどつらい、という思いをしている人もいます。ここでは、そのような人たちがアートを通じた自己表現によって自らを〈癒し〉、自らを支えるという、不思議で、また魅力的な活動が営まれています。……
私が試みたいのは、生みだされた個別の表現物(=作品)と、それを生みだす場の力を同時に捉えつつ、自己表現が表現者の〈生〉にいかにかかわるのかを読み解くことです。具体的には、次の二つの考え方にもとづきながら書き進めていこうと思います。
一つは、〈もの〉としての表現だけでなく、その背後にある〈こと〉としての表現も捉えるような考え方です。……
もう一つは(一点目を別様に言いかえただけになるかもしれませんが)、表現者という一人の人間の〈生〉と、表現された作品の両方を、なるべく同時に捉えるような考え方です。つまり、作品の特徴について語ることが表現者の〈生〉について語ることになり、表現者の〈生〉について語ることが作品の特徴になるような語り方を目指しました。
バルザックの小説に「知られざる傑作」なる短編がある。
物語の中心となるのはひとりの画家フレノフェール。老境の名匠のマスターピースを拝めるとあらばと、かのニコラ・プーサンは美貌を誇る自身の恋人をモデルとして差し出す。ミューズの降臨に創作意欲を燃えたぎらせるフレノフェールだったが、いざその完成品を見せられたプーサンは愕然とする。油絵の具がモザイク状に塗りたくられたキャンバスの一部に写実的な女の生足が顔を覗かせただけのその作品を絵画史上の最高傑作だと言うのである。ついにたどり着いたと恍惚に浸っていたフレノフェールであったが、プーサンの唖然とした表情を目にするやいなや、たちまちにして我に返る。
20世紀ならばシュルレアリスムというコンテクスト下で何かしらの受容を引き出すこともできたかもしれない、しかしフレノフェールの同時代人にそれを望むのはあまりに困難だった。
かくして誰からも理解されることのないだろう己の生涯にわたる徒労を知るところとなった老画家は、それから間もなく手許のすべての作品を焼き尽くし、そして自死を選ぶ。
受け手を持つことで作品ははじめて完成の時を見る。
『生きていく絵』を読みつつはたと連想していたのが、このバルザックをめぐる記憶だった、もっともそれはある種のアンチテーゼとしての。
そもそも一連の記述が〈造形教室〉という場の存在を前提としたものであるというバイアスが作用しているには違いないのだが、本書に登場するのは己が表現衝動とやらに突き動かされて、その並外れたエネルギーを絵画というかたちでぶつけてみた、というような人々をめぐる群像ではない。
「多くの場合、長い沈黙期間や助走期間を経て、仲間に支えられたり反発したり、あきらめたり立ちあがったり、といった紆余曲折を経た後に、ようやく描き出せるものです。/……ただ、表現という行為そのものが回復へと直結するわけではありません。むしろ、表現衝動を受け止めてくれる周囲の人々との関係性の構築という要素が、結果的に表現者を回復へと導いていくことが多いように思われます」。
ただ各人の内面のみにて〈もの〉は生まれない。それどころか、支えがなければ、過去の〈こと〉をめぐる記憶の蓋すらも開くことがなかったのかもしれない。場を持つことが、受け手を持つことが、〈こと〉と向き合うその証としての〈もの〉を生成させしめる。本書はそんな軌跡をひたすらに追う。
引用される表現のひとつに、「トラウマは自分のなかで物語化されたときに解放(治癒)がはじまる」というフレーズがある。トラウマが他者化されること、相対化されることを通じて、無化される日は訪れずとも、何かしらの〈癒し〉の瞬間にたどり着くというこの「物語化」という作法は、自己参照の鏡の迷宮においてはおそらくもたらされることがない。
たとえひとりきりの密室においてなにか〈もの〉が作られたところで、そこに「物語化」が果たされることはない、なぜならそこに物はあっても語りはないから。語りの不可能性に気づいたフレノフェールは必然、死を選ぶことを余儀なくされる。対して、語りの内側に留まり続けたニコラ・プーサンは、今日に至るまで古典主義の大家の名声をほしいままにする。
そしてバルザックの仮想よりも現実はたぶんより冷酷にできている。おそらく語りなき世界においては、〈もの〉すらも生み落とされることなく閉じてしまっているのだから。
本書にあってひときわ息を吞む作品がある。
杉本たまえ『日記』という。
一見すれば、壁面にパネルをランダムに貼りつけただけの、概ね悪い意味でのコンテンポラリー・アートの典型ともある面では映る。しかし、注解を通じてそこに籠められた〈こと〉を知るとき、テキスト越しであろうとも思わず圧倒される。
「この作品は、真白いポストカードに、杉本さんがその日に経験した『思い』を綴っては、誰にも読まれないように黒く塗りつぶしたものです。一見、ランダムに見える展示は、そのカードを一年分とりだし、カレンダーの日付け通りに配列し直したものです」。
そうして生まれた「作品」は、単純な黒と白のモノトーンを意味しない。たとえ何が書かれていたかが鑑賞者の目には届かずとも、鉛筆の圧が織りなす上塗りの濃淡はそこに感情的な強度との比例関係を読み解かずにはいさせない。『日記』と銘打たれつつも、カードが欠けている日も決して少なくはない。その空白は、あるいは「嫌なこと」を思い出さずにいられたその晴れやかさを意味しているのかもしれないし、あるいは逆に「嫌なこと」が閾値を超えてしまった、いわば黒よりも黒い白を意味しているのかもしれない。
その「嫌なこと」を可視化させることこそが表現なのではないか、そうした見解に一理がないとは思わない。しかしこの「塗りつぶされたカードは、誰かに見せるために『心のアート展』に応募され」たという〈こと〉それ自体が、千々に乱れた「思い」をめぐる既に見事な表現といえるのではないか。
「『苦しみ』の内実は語れなくても、いま自分が大変な状態であり、『苦しいこと』はわかって欲しい」。
「苦しいこと」に耳を傾けてくれる誰かがいる、その安全基地を持たずして、「苦しみ」を「物語化」することはできない。
ある者はことばに、ある者は音楽に、またある者はダンスに、「苦しいこと」なり「苦しみ」なりの何かしらを仮託する。それが〈造形教室〉においてはたまたま絵画なりオブジェであったというに過ぎない。
アウトサイダー・アート、何気なく人口に膾炙して久しいこのカテゴライズの不条理をつくづく思い知らされる、というのも、彼らがインサイドと感じられるその場がなければ、それらは〈もの〉としてのかたちをとることすらままならなかったに違いないのだから。
〈もの〉とは実にトポスの換言に他ならない。