Question mal posee

 

 私の人生の裏で糸を引く怪しいやつがいる。それは納豆だ。

 納豆の恐ろしい魔の手に私が気づいたのは、大学を卒業し、東南アジア方面へ行くようになってからだ。タイ北部のチェンマイに暮らしていたとき、国境を越えて出稼ぎに来ていたミャンマー少数民族シャン族の人と友だちになった。……そこに遊びに行くと、茶色くて丸い、薄焼きせんべいのようなものを見せられた。匂いを嗅ぐと、まるで納豆。このせんべいを砕いてスープに入れて飲むと、納豆の味がした。

 納豆はタイにもいたのだ。それからまた10年ほどが経ち、私は中国国境に近いミャンマーのカチン州へ行った。……ある日、立ち寄った村の民家で簡単な夕食が出された。それはなんと、白いご飯と納豆と生卵だった。……醤油でなく塩味だったことを除けば、匂いも味も粘り気も、まるっきり日本で食べる納豆卵かけご飯だった。

 納豆はミャンマーのジャングルにもいた。……

 私がひじょうにそそられている未確認納豆が二つある。

 一つは朝鮮半島のチョングッチャン。「韓国の納豆汁」と呼ばれることがあり、食べるとたしかに納豆の匂いや香りがする。……

 もう一つの謎めいた未確認納豆は、なんとアフリカで報告されている。ナイジェリアでは「ダワダワ」、マリやニジェールなどでは「スンバラ」と呼ばれる納豆似の発酵食品があるという。こちらは納豆の原料が大豆ではなく、別のローカルな豆らしい。……

 この遠近二つの未確認納豆の正体を突き止めれば、納豆の真実が今度こそ白日のもとにさらされるだろう。その暁には、「納豆」の概念どころか、人類の食文化ワールドが大きく揺り動かされるに違いない。

 

 あれ、と不意にすべての糸が繋がってしまう瞬間が訪れる。

 本書に臨むにあたっての筆者の事前の見立てでは、納豆とはすなわち「辺境食」。食材の調達が相対的に容易な海辺ではなく、主に山間部や盆地で食べられる貴重なたんぱく源として位置づけていた。ところが現地を訪ね歩くにつれて、この読みが必ずしもはまらないケースにしばしば出くわすようになる。

 そうしてちょうど本書の中盤あたり、韓国北部スンチャンの製造メーカーを訪れた際のこと、韓国版の納豆としてチョングッチャンを追いかけていた筆者は、大いなる誤解を犯していたことに気づかされる。日本のようにそのままで食されることはなく、専ら汁物に加えられるこのチョングッチャンは実は、味噌や醤油の同類の調味料なのではなかろうか、と。はたと氷解したこの感触を伝えると、返ってきた言葉は、「僕からすると日本人がどうして味噌と醬油と納豆を区別するかわからない」。

 それぞれが独立に開発されたのか、はたまた伝播したものなのか。この旅はそもそもが納豆のルーツを探るというよりも味噌の来た道を追う。そう捉え直すとき、何もかもが腑に落ちる。

 パルキアなる豆を用いて作るナイジェリアの伝統製法では、ごわつく殻を取り除くために砂を絡ませる。ひとまず完成した「ダワダワ」に持ち込んだ醤油をを垂らして米にかけて食べればもちろん「砂一粒でも嚙んだとき歯にガチッと当たる。味自体は納豆の醤油がけで美味しいのだが、これでは食べた気がしない」。現地人はもちろんそんな食べ方をしない。塩を絡めて臼でつき平べったく延ばして乾燥させ、その上で調理の際にはスープに溶かす。砂利は自ずと底に沈殿するだろうから、おそらくはそこまで食感がネックになることはない。

 かつて世界を股にかけて周った植物学者、中尾佐助が西アフリカを尋ねた際に目撃した「ダワダワ」を評して曰く、「ミソのようなもの」。セネガルにおける「ネテトウ」のライバルといえば、アジノモトやマギーといった化学調味料

 論より証拠の最たるものといえばこの表紙だろう。匂いという無二の情報を抜きにして、あくまで見た目のみに従って、器に盛られた褐色の塊を示されて、納豆か、味噌か、と問われれば、ほとんどの日本人は後者に軍配を上げるだろう。

 それを納豆と呼んでしまったところから、本書のラビリンスは生じる。麹やカビを用いて長期間を要する発酵に頼るのではなく、草木に遍く納豆菌の働きによってごくショート・スパンで植物性たんぱく質の分解を促した簡易調味料。そう咀嚼した方がどうにも納得度は高い。

 

 それを納豆と呼ぶべきか、味噌と呼ぶべきか、そんなことはしかし、本書を読み進むにあたっては、実のところ、さしたる問題にはならない。ゴールよりもプロセス、ツアー会社系の観光では現状パッケージングされることもない、人類学系のフィールド・ワークともニュアンスを異にする、いかにも絶妙に盲点へと滑り込む辺境をめぐる紀行文として十二分に興味深く完成されているのだから。

 ブルキナファソにハイビスカスの種で作る「ビカラガ」を追う筆者と相方は、そこに「天国」を見ずにはいられない。

 首都ワガドゥグの飲み屋街のスタイルでは、「ビールはバーで注文し、つまみは店の前に出ている屋台やお盆にのせて売り歩いている人から買う。/たいていは肉だが、牛、羊、豚、鶏と何でもある。…そのどれもがびっくりするくらい美味い」。乾燥した大地のオープンエアで流し込むビールはまさしく「旱天の慈雨」。

「ビカラガ」を求めてフールー村を訪れる。事前のリサーチでは貧困にあえぐその姿を想像していた。ハイビスカスを用いるのもその末の窮余の一策に過ぎない、そう考えていた。ところが実際に足を踏み入れて筆者は驚愕を禁じ得ない。そこは「飲んだくれの村」だった。朝から路上でヒョウタン片手に微発泡のどぶろくを傾けている。彼らが言うことには、「今は乾期で仕事がないから酒を飲む」。

 果たしてここに、アルコールというハード・ドラッグに溺れる堕落の退廃を見るべきか、はたまた酩酊のイリュージョンによってもたらされる恍惚の桃源郷を見るべきか。

 そして、この光景にあまりに据わるフレーズとたまさか出会う。

「苦しみ働け、常に苦しみつつ常に希望を抱け、永久の定住を望むな、この世は巡礼である」。

 時を同じくして読んでいた別のテキストからの重引、もとはアウグスト・ストリンドベリのことばだという。

 

shutendaru.hatenablog.com

 

shutendaru.hatenablog.com