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〔ジョージ・〕オーウェルが本屋になることをためらった気持ちはよくわかる。テレビドラマ「ブラック・ブックス」でディラン・モーランが見事に演じてみせたような、怒りっぽくて気難しい人嫌いの書店主、というステレオタイプは、おおむね事実のようだ。もちろん例外はあって、このタイプにあてはまらない本屋もたくさんいる。しかし悲しいかな、ぼくはまさにこのタイプなのだ。もっとも最初からこうだったわけじゃない。今の店を買う前は、かなり素直で人なつこいたちだったと思う。一日中くだならい質問を浴びせられ、商売はいつも火の車、スタッフとは口論が絶えず、客はしつこく値切ってくる。そのせいでこうなってしまったのだ。どれかひとつでも変えられないかって? 無理だね。……

 うちで働いてくれた連中は口をそろえて、ここのお客とのやりとりを書き留めれば本が一冊できるねと言っている――ジェン・キャンベルの『本屋でお客が言う変なこと』がそのいい証拠だ。そこで、悲惨な記憶に苦しめられつつ、将来何かを書くときの助けになればと備忘録のつもりで、店であった出来事を書きつづりはじめた。始まりの日が気まぐれだと思われたとすれば、実際そうだからだ。たまたま書きはじめてみようと思ったのが25日で、備忘録は結局、日記になった。

 

 よく言えば英国式のウィットとユーモア、ストレートに言えば気が滅入る。

 このテキストをカラフルに彩るのは、開くページ開くページ、よくもこれだけとヴァリエーションに事欠かない、どうしようもない客と、そしてどうしようもない客。

 例えば215日のオープニングを飾った一本の電話。「恥ずかしいと思わんのか。こんな紙くずを送りつけておいて、よくも本屋だとほざくな」とカスハラ全開のクレームをまくし立ててはくるが、よくよく聞いてみるとどうやら別の店を間違えてかけてきたらしい。そうと分かった上でなお、捨て台詞は「必要な措置を取るからそのつもりで」。

 33日には、アマゾン経由で買われていったテキストがメモ書きとともに返送されてきた。曰く、「残念ながら期待外れです。もっと写真の多いものを希望。交換または返品願いたし」。本を読むという以前の、人としてのベーシカルなリテラシーが足りているようには思えない。

 44日の電話注文は、とある三部作の1巻目をかつてこの店で送料込み7.20ポンドで購入したという顧客から。市場における稀少価値やコンディションを反映したものなのだろう、その2巻目については200ポンドの値がついている。ついては、と電話越しにねじ込んでくることには、1巻目と同じ価格で2巻目も買いたい、つまりは96パーセントオフにしろ、と。

 お客様は神様です。

 んなわけねえだろ。

 

 ただ字面で記されている通りを忠実に読み解こうと試みるならば、本書はいかにも痛々しい。ビジネスという観点では、早晩書籍というジャンルを飲み尽くしていくだろうamazon.comの脅威に比すればモンスター・クレーマーどもなどまだまだかわいいものだし、バイト店員たちにしてもなかなかにファンキーな逸材が揃っている。

 日々悩みや不安に苛まれる自画像、それもあながち嘘ではなかろう。しかし、そればかりでは人間どこかで破綻する。一見すればコルチゾール全開のテキストをかいくぐるように、その行間に目を凝らす。

 例えば32日の独白、「いずれにしても、ぼくは防犯カメラというやつが大嫌いで、店でそんな人権侵害のような監視をするぐらいなら、たまに本がなくなるほうがましだと思っている。『1984年』じゃあるまいし」。どうしようもない客たちにひたすら毒づきながら、それでもなお、筆者は彼らを信じていられる、その最低限のラインが決壊しない程度には、古本屋という商いは彼に何かしらの幸福感を担保している。

 このテキストにおいて、日付に続いて記録されるのは、「ネット注文数」と「在庫確認数」。そこにはしばしばギャップが認められる。それは、『種の起源』をフィクションのコーナーに、『19世紀の植民地運動』と『サダムの戦争』と『ウェリントンの連合軍』を第2次世界大戦のセクションに振り分けて悪びれるところのない従業員による管理が招いたものに過ぎなのかもしれないし、普通に想像される通り、単に万引きの被害を示唆しているのかもしれない。しかし筆者は頑として、カメラを設置しようとはしない、ジョージ・オーウェルの著作物以下の、この終末期の社会にあってすら。

 ある秋の一日、少年が4ポンドを握りしめてひとり来店する。ママの誕生日プレゼントを買いたい、というので一緒に選ぶ。値切ってくる客へのイライラは尽きない、けれども少年の思いに応えるとなれば、6ポンドの本をおまけするくらい訳はない。

 また別の日のこと、ティーンエイジャーが差し出したのは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。「ぼくが彼と同じくらいの年で、もがきながら大人になりかけていたころ、この小説ほど影響を受けた本はない。サリンジャーが描いた、そこで生きていくことを強いられた社会と折り合いをつけられずにいるホールデン・コールフィールドの人物像は、1951年に初めて出版されてから何十年ものあいだ、数え切れない10代の読者たちから共感されてきたのだ」。ここに新刊ではないあえての古本というメディアに固有のロジックが働く、それはつまり、人から人へと「共感」が引き渡されてきたことを証している。