To Feel the Fire

 

 私が育った幼少の頃、明治末から大正にかけて、男女ともにパンツというものを用いなかったので、本人が望まぬことながら、堂々と或はチョロリと心ならずも拝見したことあり。私の珈琲研究も全く本人の志望からでなく、事情止むを得ず、ついつい長崎学から日本版画史へと私を導いてくれ、その結果として珈琲史も纏まり、日本の版画家として日本版画の伝統を護持しながら、新しい版画を作り得るようになったもので、謂わばこれが私の生涯の仕事となったのである。

 

 このテキストの圧巻の労作ぶりは、126-7ページの見開き「かうひい異名熟字一覧」によって知ることができる。

「コッヒー」、「コーピ」、「コオヒー」、「コーシー」程度の、訳語が定まらぬ時代の表記のブレなどささいなもの。「過稀」、「歌兮」、「架菲」、「膏喜」などなど当て字もまちまち。筆者曰くの「我が国最古の珈琲文献」、1783年の紅毛本草『阿蘭陀海上薬品記』からして、「バン」、「ボウ」、「ビユンナア」、「ビウニウ」、「ビユンコウ」と各国語における呼び名が飛び交い、それぞれに宛がわれた漢字に至っては、「波旡」、「保宇」、「比由爾宇」、「比由旡那阿」、「比由旡古於」ともはや収拾がつかない。

 かくして全61バージョンの「異名熟字」がこのチャートには掲載される。さらには、そのすべてについて、原典や発行年度まで付記されている。『日本の珈琲』の原著の出版は1973年、長崎貿易の研究者たちの指南は大いに仰いだとは言うものの、筆者がこまめにテキストを熟読玩味してようやく拾われた用例である。

 もちろんネット上のデータベースの活用など思いもしない時代のことである。もっとも、今日においてすらも、検索ソートはコーヒーの読み方をめぐる多少のバリエーションくらいは拾ってくれるかもしれないが、「都兒格〔トルコ〕国の豆」、「山牛蒡の実」、「和蘭豆」なんていう名詞を果たしてどこまでコーヒーと同定してくれるものか。逆に、「豆の湯」、「唐茶」、「可否」などという用例から網を広げ過ぎた末に、とめどなく拾いすぎてしまいかえって役に立たない、大方そんなところかもしれない。

 奇しくも作中、オート・ドリップのコーヒー・メーカーをめぐってこんなことを言う。

「何とも味気ない限りだと私などは思う人の手と心が関与する所がどこにもない。いや、心などというものが立入るスキ間がない。

 近代日本には、心が流行らなくなった。私が若く貧しい時代には、物の代りに心が役に立った。しかし今は心の代りに物ですますようになった。だから人手の代りにマシンが代用して心なんか不要の時代になっているのではないか」。

 人間は半世紀前にも既にこんなことを言っていたし、その50年前を遡っても少なからぬ誰かしらがたぶん似たようなことを言っているだろうし、さらにそれ以前を振り返っても、絶えずこんなことを愚痴り続けているには違いない。

 しかし、こと本書が示すその積み重ねを鑑みるに、少なからぬ説得力を認めずにはいられない。誰がどんな書き方でその飲み物を指し示そうとも、彼らはそのいずれもが何かしらの仕方で記述せずにはいられないだけの「心」を一杯に見たのだろう。シーボルト福沢諭吉から新聞広告に至るまで、「心」を汲み取りたいと「心」をもって応じた。

 コーヒーに憑かれることもないAIは、そんな魔力を決して知らない。

 

 その中でも、ここ日本では「珈琲」の表記が定着して久しい。

 奇遇にも、この文字は単に音を似せたという以上の意味を宿してしまった。

 曰く、「珈」とは「笄の飾り玉などを垂れ下げたもので婦人の髪飾りのことであ」り、そして「琲」は「玉の緒、即ち球を貫くヒモのことである」。

「珈琲樹は一本の枝の長さ一メートルから一メートル五十あり、栗の葉のような光沢ある葉が対生して、葉の長さ二寸ばかり、枝の元の方から対生の葉の間に白色の可憐な花が群がり咲きつつ順次に枝の先へ先へ咲き進む。……花散れば実となる。実は初め緑色で、次いで黄色から橙色となり、真紅となりついに濃紫色となる。これが枝の元から尖端まで葉間に紫、橙、黄、緑色の実が鈴なりとなり、尖端には白い花がむらがり咲いているありさまは、まこと、この枝一本の姿は花かんざしに例えることができる。この文字の作者は心あってこの熟字を当てたのか、それは判らない。しかしこの人は学者というよりむしろ、詩人で画家の魂をもった人だと思う」。

 ちなみに、「詩人で画家」のこの人物、宇田川榕菴なる蘭学者だという。wikipediaによれば1846年に没している彼が、コーヒーの実る姿をその目で弁えていたことはまずない。

 こうした文字がはめられたのは九分九厘その場のアドリブ芸、だがしかしそこに「心」を読み解きたくもなるのが、ついついカフェインに依存せずにはいられない「心」というものの習癖なのかもしれない。

 

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com