……ヴァンス[捜査官]がスマートフォンを指でなぞる。チェルノブイリの事故は1986年だ。
「その年に、森に入りました」とナイトは言う。27年前だ。当時は高校を出て間もなかったのに、いまや中年男になっている。テント暮らしをしています、と彼は告げる。……
ヴァンスはさらに、ナイトが別荘、住居、キャンプに盗みに入ったおよその回数を問う。どうやら計算しているのだろう、長々とした沈黙があった。「年に40回です」ようやく返事がある。この27年間、毎年このくらいだったという。
今度は、ヴァンスが計算する番だ。総計で、1000回以上――正確には1080回だ。盗みの1回、1回が重罪に当たる。まずまちがいなく、メイン州史上最大の住居侵入窃盗罪だ。ひょっとして、侵入回数という観点では、この国最大になるかもしれない。いや、世界最大だろうか。……
ヴァンスの経験からすると、ナイトはじきに法制度にのみこまれて、たぶん二度と自由に発言できないだろう。彼女は説明を求めたが――なぜ世界に背を向けたのか、について――ナイトははっきりした理由はないのだと告げる。……
「最後にほかの人間と接触したのは、いつかしら」
身体的な接触はないが、1990年代のどこかの時点で、森を散歩中にハイカーひとりに出会った。
「あなたはなんと言ったの?」ヴァンスは尋ねる。
「こんにちは、と言いました」この一語のほかは、だれとも話していないし、ほかの人間に触れたこともない、と彼は断言する。今夜まで、27年間ずっと。
推定1080回の盗みのすべてが申告されていたわけではない。しかしもちろん、メイン州ノースポンドの別荘住人たちが、被害にまるで気づいていなかったはずはない。とはいえ、「いつ侵入されても、被害は最小限だった――ガラスは壊されておらず、部屋も荒らされていない。侵入者は泥棒であって、破壊者ではないのだ。仮にドアをはずしたなら、わざわざ時間をかけてつけなおす。高価な品物には、彼は関心を示さない。いや彼女か。それとも彼らなのか。だれにもわからなかった」。そうしてこの正体不明の彼/彼女は、いつしか「隠者hermit」とあだ名されるようになった。
結局は2013年のテクノロジーをもって、ようやく隠者ことクリストファー・ナイトの身柄は確保される運びとなった。がしかし、監視カメラやセンサーをもってしても、彼の秘めたるミステリアスな性質を暴くには到底至らない。ある大工は、ナイトが壊した家屋の修繕に無償で手を挙げた。過去に一面識もないのに公開プロポーズに打って出た女性も現れた。釈放の暁には、と住まうための土地を提供したいとの打診もあれば、中には保釈金を拘置所まで持参する者も現れた。いたくインスピレーションを刺激された歌手たちは次々に曲を発表し、ドキュメンタリーの取材班もこのローカル・エリアに殺到した。
しかしその狂騒曲の最中になってすらも、彼はひたすら沈黙にふけった。各種の申し出も受け付けようとはしなかった。だからこそなおいっそう、SNSのこの時代に27年間にもわたって誰とも接続しなかった現代のリップ・ヴァン・ウィンクルに人々は魅了された。
拘置所に面会を求めたところで、手紙のやりとりをオファーしたところで、ことごとく黙殺を貫いたナイトが、ところが筆者に限りそのコンタクトを認めた。囚人同士で何の会話が成り立つこともない、看守に向けて発するのも「イエス、ノー、プリーズ、サンキューだけ」、彼は間もなく、「自衛手段として、沈黙に逃げこ」むようになる。
ナイトが筆者の中に何を見出して、曲がりなりにも口を開いているのかについてはよく分からない。これが全き創作であったとしても、そこにさしたる驚きはない。
ただしこの段階でも、はっきりと断言して差し支えなかろうことがある。27年前の彼にも同じことが起きた。決定的な何かしらのターニングポイントがあったわけではない、その日の彼も漠然と「自衛手段として、沈黙に逃げこん」だ、そのために車を走らせた場所がたまたま森だった。「自分以外の世界に向けて存在するのをやめた」というほどの自意識すら実際にはきっとなくて、はじめようとしたわけではなく、気づいたらはじまっていて、そして27年の「沈黙」に入った。妨害さえ入らなければ、おそらく彼は死のそのときまで「沈黙」のままあり続けた。
たぶん筆者は、他の者とは何かしら異なって、「沈黙」の中の微かな声を聴き分けることができた、そしてその能力をおそらくナイトは嗅ぎつけた。
アリストテレスは『政治学』において、人間を「ポリス的動物」と定義した。彼において、最高善を実現させるための場所とはポリスにほかならず、人間とはすべからく最高善を志向する存在なのだから、必然的にポリスの中にあらねばならないことになる。
しかし少なくともその男、クリストファー・ナイトにとってシュムポジオンの騒々しさはさぞや耐えがたきものだった。彼は「沈黙」を選んだわけではない、その己が自然に従ってさえいれば、何か発したいことばを持たない彼は、傍目には「沈黙」の隠者として現れることとなる。彼が「沈黙」しているのではない、他者が彼に「沈黙」を見るのだ、そして彼には何よりもその視線こそが狂おしい。
森の生活においてすらも、ただし彼はラジオを聴いた、テレビも見た、そして何より本を読んだ。空腹を満たせるでもない、暖を取れるでもない、けれども、彼は盗まずにはいられなかった。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』は「裏切りと暴力の繰り返しがいい」、エミリー・ディキンソンは「まさに同好の士という感があって、心を打たれた」、ただし同じメインの森を描き続けた『ウォールデン』のH.D.ソローには「自然への深い洞察がいっさいない」と手厳しく、そんな中で「作者が時を超えてじかに語りかけてくるという、希有で薄気味悪い感情をけた外れに引き起こす一冊」がドストエフスキー『地下室の手記』だった。
具体的な誰かにはひとつとして恋しさなど覚えない、ただしテキストの中にのみ束の間浮かび上がる抽象的な誰かへの愛しさは抑え切れない、ノースポンドの森はそんな彼を隠者としてこの世に繋ぎ留めるに唯一にして最高の場所だった。
そんな彼がポリスに引き渡されて、ポリスの法をもって裁かれる。彼に下った判決は、刑務所への収監ではなく、約2000ドルの罰金といわば心神耗弱認定に基づく回復プログラムへの参加だった。彼は粛々と一連の手続きを受け入れた。その進捗状況のモニタリングのために、1年間にわたり毎週法廷へと出向き、やがて判事をして「ふたたび社会の一員になるにはどうしたらいいのか、懸命に理解しようとしています」と唸らしめた。
しかしその裏側で、彼は筆者にふと打ち明けた、“森の貴婦人”に会いたくてたまらない、と。彼はかつて彼女にまみえたことがあった。「食べ物が尽き、プロパンガスも切れて、外は容赦ない寒さ。テント内のベッドで、彼は飢え、凍え、死にかけていた。そこに貴婦人が現れた。フードつきのニットをまとった、女の死神が」。
「僕を自由にしてくれるのは、これしかない」。
その希死念慮を告白しながら、彼は涙を流した、という。
彼はこのとき、いわゆるサード・マンに出会う。極限状況の中でこれが現れるか否かが生死を分けるという、我でも汝でもない、第三の誰か。もっともその実証には対照群としての死者にヒアリングのしようがないという決定的な欠陥が横たわるわけだが、何はともあれ、九死に一生を得た冒険家や登山家がこぞって証言を寄せる。そして、ナイトも必ずやこの奇跡の目撃者の列に連なるひとりとなった。ノースポンドで幻視した彼女は、彼を生の明るみに引き戻した。サード・マンという呼称の由来は、T.S.エリオットが「荒地」の中に謳ったことからはじまったという。奇しくも、紙の中にしか現れることのない誰かを27年の孤独にあってすら求めずにはいられなかったように、“森の貴婦人”はこの高貴な野蛮人にとってエロスの淵源だった。
しかし人々が礼賛するポリスに包囲される中で、その意味は反転する。彼が郷愁に駆られた“森の貴婦人”はタナトスの象徴と堕して書き換えられた。
この悲願が成就したのか、その結末を知りたい衝動が抑えられず、たぶん叶うことはなかろうとは思いつつも、つい検索をかけてしまう。
便りがないのがよい便り、その慣用句を果たして彼のケースに用いるべきか。死なり失踪なりがあれば必ずや報道されているだろうから、たぶん彼は今日もメインの片隅に何かしらの仕方で存在している、そうして消息を推定する。精神科への強制入院等の措置が講じられた様子も、少なくともネット上では窺い知ることができない。
その日々の中で仮にもし太宰治のこの遺書に巡り合ったなら、彼はそこに何を見るだろう。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。