Bad Day

 

 19743月。ユリ・ゲラーが初めて来日してテレビのスペシャル番組でスプーン曲げを披露したとき、僕は17歳の高校生だった。

 番組が放送されたその夜、自宅でテレビを見ていた当時のクラスメートのたぶん半分以上は、あわてて台所から持ってきたスプーンを握りしめながら、テレビの画面に釘付けになっていたはずだ。……

 1993年、僕はひとつのドキュメンタリー企画を思いついた。19年前のあの夜、スプーンを手にしたり夜空に奇妙な光を見たりして、以後は「超能力者であること」を職業に選択してきた男たちを被写体にしたドキュメンタリーだ。……

 超能力という未知の能力が実在してるのかどうか、未だに僕にはわからない。現象は何度も目撃している。でも、「あなたは信じますか?」という問いをもし発せられたら、答えようとしてたぶん僕は口ごもる。

 求められる答えはイエスかノーなのだ。しかし、「信じる」あるいは「信じない」という相反する二つの述語に共通する過剰なほどの主体性に、発音しようとするたびにどうしても、奇妙な後ろめたさと戸惑いがまとわりつく。ずっとそうだ。過去も、そして現在も、これに代わる言語をどうしても獲得できずにいる。

 

 秋山眞人

 堤裕司。

 清田益章

 

 この3人が、8年前に僕が選んだ超能力者だ。もちろん自称超能力者は他にも多数いる。しかし僕はこの3人に固執した。3人以外は視界に入らなかったと言ってもいい。理由はわからない。正確には簡略な言語化ができない。でも自分の選択に自信はある。理由は言えないが自信はある。

 たぶん、この「曖昧な確信」という矛盾した情感に、「超能力」という現象の本質と、見守る僕らの実相とが隠されている。

 

 カメラは嘘をつかない。

 そんな素朴なメディア観をひけらかすつもりもないが、それでもなお、「超能力」という素材とこの媒体のマッチングの良さは、どうにも否定しようがない。

 文字でなら何とでも書ける、声でならば何とでも言える。「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた」だの、「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまちらい病は去った」だの、567000万年後に弥勒菩薩が舞い降りて世界を救う、だのと。「地球に今来ている宇宙人は3種類なんです」や、「主観的には」テレポーテーションで火星に行ったことがある、と言われても、「狂人と超能力者との区別は僕らにはつきません」。

 しかしスプーン曲げのその瞬間が現にフィルムに記録されたとなれば話は一気に変わってくる。動体視力の限界や視線誘導に惑わされることなく、映像を微に入り細に入り検証して、あるいはトリックのその瞬間を暴き出すことができる。それは懐疑派にとっての素材であることのみを意味しない。「実際に見たり体験したりすることもしないままに信じる人がもしいたら、やっぱりそれは不健全」で、テレビという装置がこのセンス・オブ・ワンダーの疑似体験を与えてくれた幸福な時代があった。

 しかし筆者は、とあるタイミングでそのもどかしさを当人たちに向けて思わずぶつけてしまう。

「どうして皆、肝心の瞬間にカメラを避けるんだ?」

 視聴者の関心はともかくも、筆者個人としてはスプーン曲げのその刹那がどうしても欲しいわけではない、しかし「人の目を避ける」というその特性はどうにも気になって仕方がない。「彼らの無意識の領域に、この能力に光を浴びせたくないという衝動が間違いなく存在している」、この「曖昧な確信」をカメラ越しに確かめずにはいられない。

 

 そしてかつて、カメラは現に決定的な瞬間を捉えた。

 1984年のこと、超能力少年として鳴らした清田益章のトリックを隠しカメラははっきりと映し出した。テーブルの下でスプーンをこっそりとへし折り、ポラロイドのフィルムの包みを予め破って感光させて念写を偽装するその姿が、全国に向けて放送された。

 清田が反論することには、スランプに陥っていた彼に対して、もしできなければ制作費2300万円を弁償しろと番組スタッフがすごみ、そしてやむなく手を染めた、と。

 そしてここにカメラというもののもうひとつの特性があらわれる。

 すなわち、映っていないものはなかったことにできる。

 そしてテレビの特性として、映ったものすらなかったことにできる。

 

 ドキュメンタリー『職業欄はエスパー』を受けての、あるバラエティ特番を担当した際のこと。

 心霊スポットを訪れた筆者は、ロケバスに揺られながら突然の体調不良に襲われる。強烈な悪寒とともにはじまったのは、「これまで経験したことがないほどの激しい嘔吐」。

 この異変を唯一察したのが、出演者である秋山眞人だった。彼が言うことには、「今、森さんにとり憑いていたのが出てゆきました」。そうして彼は「とりあえずの応急処置」と吐き気が収まった後も数分間、筆者の背中に手を這わせ続けた。

 秋山の目に本当に「肩のあたりに何かが見え」ていたかどうかは定かではない、しかし、彼は確かに筆者の様子を見ていた。他の関係者が誰ひとりとしてまるで気づかなかった、気づこうともしなかった森の変調をはっきりと見抜いた、そして寄り添った。

 私たちはプラシーボというひどく便利な語をもってこのリカバリーの何もかもに説明を与えることはできる。そして事実、この配慮というプラシーボは、今日の薬学医学の最前線すらも認めざるを得ないほどに効いてしまう。作用機序が言語化されているでもない、しかし誰しもがそこに「曖昧な確信」を見ずにはいない。イタイノイタイノトンデイケ、こんなママによるおはらいが泣き喚く子どもには毒にも薬にもならないどころか、飲み下すこと自体が苦しみをもたらすたいていの鎮痛剤よりもはるかに効いてしまうし、大麻ごときの比でなく身体と精神を蝕んでやまないアルコールというハード・ドラッグが、ところがこと気の合う誰かと囲む酒宴となれば、百薬の長とすら化してしまう。

 もちろん、一連のやり取りをカメラは抑えてなどいない。ここでもまた、「どうして皆、肝心の瞬間にカメラを避けるんだ?」テキストならではのマジック、なんとでも書ける、その共犯関係の産物でしかないのかもしれない。

 霊を見据えるその眼差しは、あるいはフェイクなのかもしれない、しかし、森と秋山を互いに結ぶ、見る‐見られるの権力性、この幸福な視線の政治学に嘘はない、おそらく。

 スマホのカメラ越しに世界を見た気になる前に、液晶の中のインスタやティックトックのその前に、この肉眼でそばにいる誰かの顔を見てみる。「肝心」なその瞬間は、すべて「カメラを避け」ていく。

 実に、「人の目を避ける」この秘術は、「人の目を避け」ぬ人を通じてはじめて行使される。

 

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