That’s Not Me

 

『ペット・サウンズ』が登場するまでは、ポップ・ミュージックというのはただ単にかっこよく愉しいものに――少なくとも僕の若い心にとってかっこよく愉しいものに――過ぎなかった。歌の中に何か意味が見いだせるかもしれないなんて、考えたこともなかった。

 そこに突如としてブライアン・ウィルソンが登場し、僕は彼と同じような周波数の上に立ったのだ。彼の若者としての憂愁や、確信が持てないつらさ(我々はそれをしっかり共有していた)は、その高い、淋しげな声を通して、歌詞を通して、そしてまたサブリミナルなレベルにおいてその精緻な音楽を通して、僕に語りかけてきた。ブライアンが語っているのは「自分は十代であることを好む人間である」ということだった。僕は子供であることを好んでいるティーンエージャーだった。僕らは二人とも、どこかよその場所に移ることを求めていた。僕がそのとき知らなかったのは、僕や、僕のような人間にとって、このアルバムは文字通りの生命維持装置であったというのに、『ペット・サウンズ』は一般には不満の声をもって迎えられたという事実だった。

 

「もしあなたがビートルズ・ファンに向かって、とりわけ若いビートルズ・ファンに向かって、ジョン・レノンポール・マッカートニーが当時ビーチ・ボーイズを手強いライバルだと見なしており、ブライアンに敬意を抱いており、彼の達成したことにインスパイアされてもいたんだと言っても、おそらく信じてはもらえまい」。

 おそらく、というか絶対に。

 ラブ・アンド・ピースやヒッピー、ニュー・エイジといった同時代性のことごとくを捉え、果てはダコタ・ハイツでの殉死をもって、ポップなるカルチャーにおいて可能な最高到達点を極めてしまったビートルズとは対照的に、ビーチ・ボーイズが現代において割り振られたポジションといえば、例えばBS民放の深夜帯を何となく埋める洋楽懐メロコンピレーション・アルバム枠。ニュース映像的な時代を象徴することはかなわずとも、各人各人のごくパーソナルなメモリーと深く結びついたBGMとして折にふれて聴かれ続ける、それもまた、ポップというモデルにおける立派な機能には違いない。

 しかし、所詮は時代文脈に固有の消費物でしかないと見なされていたこのバンドのアルバムが、当のポールによって「時代を画したレコード」との称賛を与えられ、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』にも深いインスピレーションをもたらしていたのだとしたら――

 

 そのアルバム、『ペット・サウンズ』誕生をめぐる画期からして、既に悲劇の匂いは立ち込めていた。

 人気絶頂のグループが西海岸サウンド――あまりに記号的な――を引っ提げて世界を回る、はずだった。しかし、「何かが折れてしまった」リーダーが、そのワールド・ツアーに出ることはかなわなかった。

 ブライアンは間もなくメンバーに向けて宣言する。ついてはここカリフォルニアに残り、「バンドのために新しい曲を書き、それをアレンジし、プロデュースすることに、自分は力を集中したいのだ。音楽のもっとも核心をなす作業に専念したい」、と。

 筆者はそのリリックのことごとくにブライアンの私小説を読み解かずにはいられない。そしてもちろん、己の姿を投影せずにはいられない。

「間違った時代に生まれた I Just Wasn't Made for These Times」は、仲間や家族に囲まれ愛され、それでもなお「彼の眼には何も映らなかった。彼はただ苦悩の中に沈み込んでいった」。周りの誰とも何かしらがずれている、そんな感傷的な「彼の心の中に僕らは存在していた」。

「神さましか知らない God Only Knows」が歌うのは、「愛とは、生命よりも価値のあるもの」だと言うメッセージ。「もし我々がすべてを奪い尽くすような愛に身を委ねたなら、その先それなしに生きていくのは不可能になってしまうことだろう。なのに、それだけのリスクに見合う報償が与えられるかどうか確証がないにもかかわらず、そこに身を委ねたいと我々は切に望むのである」。

「君の長い髪はどこに行ってしまったんだ? Where did your long hair go?」は、「ブライアンにとって……過ぎ去った時間への悔恨を意味している」。この曲に現れる理想化されたカリフォルニア・ガールは、「しかしやがてほとんど唐突に……『ガール』ではなくなってしまう。彼女は移動し続ける。彼女は既に移動してしまった。……彼女のあの『幸福な輝き』は既にどこかに消えてしまっている」。この詩の「彼女はもうどこかに去ってしまったのだということを、彼はまだ認識できていないらしい」。「彼」とはもちろん、歌の中で「彼女」を眼差す「彼」だし、ブライアンだし、そして何よりもそれを聴く「僕」でもある。

 

 本書において、「僕」の主観とブライアンをめぐる史実がないまぜにされていることなど、さして重要な事柄ではない。なぜならば、いかなる仕方で伝記が編まれ語り継がれようとも、リスナー各人がどれほど熱狂的に思いを寄せようとも、「間違った時代に生まれた」彼自身にしてみれば知ったことではないのだから。

 孤独の中から『ペット・サウンズ』は生まれ、孤独な者により聴き伝えられる。筆者が空回りを強めれば強めるほどに、それは必ずや『ペット・サウンズ』なる現象をあらわす。

「まもなく少年は知ることになる。自分はひとりぼっちではないのだ、と。そして世界は再びまわり始める」。そう、いつだってブライアンを置き去りにして。

 

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com