適正手続の保障

 

 昔も今も変わらない、維新とはすなわちならず者の別言を越えない。

 時は明治20年、藩閥政治の暴虐に揺れる東京でひとつの条例が発布、そして即日施行される。その言わんとするところは、「皇居または天皇のお出まし先から三里以内に住むものが、内乱を謀ったりそそのかしたり、治安を侵す恐れがあると疑われるときには、警視総監または地方長官、内務大臣の認可により期限つきで退去を命じ、3年間は同距離内への立ち入りを禁止することができる」。

 時の警視総監三島通庸によって主導された、この島流し立法の意図は明白だった。治安の二字を錦の御旗に、明治憲法帝国議会の前夜にあって、「再燃し始めた自由民権運動の息の根を止め」る、その宣誓だった。

 かくして即日退去を言い渡されたひとりが、仮名文字新聞の探訪記者、筑波新十郎だった。条例が定める三里を超えて横浜にたどり着きはしたものの、警察の監視が依然離れることはない。彼が目的地に定めたのは大阪、そこは「愛国社や社会期成同盟の結成、自由党の解党決議が行われた」地であり、そして何よりあの中江兆民の根拠地でもあった。

 そうして東雲新聞に新たに席を得た新十郎は間もなく、一件の凄惨な殺人事件に出くわす。質屋が何者かに襲われ、辛うじて少年と赤子は蔵に隠れて難を逃れたものの、家族や使用人の計6名が斬り殺される。

 ところでこの事件には、ひとつ特異な点があった。赤ん坊の泣き声をもって異変を知った警察によってこじ開けられるまで、「戸という戸、扉という扉、窓という窓は、全て内側から施錠されていた」。なにせ舞台は質屋である、ゆえに預かった質草を厳重に管理すべく堅牢に築かれねばならない必然がある。

 エドガー・アラン・ポーアメリカとは違う、巷に語られるところでは、日本家屋の開放的な構造上、密室トリックの輸入は横溝正史の『本陣殺人事件』を待たねばならない。それにはるか遡って埋め込まれた本事件の謎など、しかし警察は取り合おうとはしない。なにせ彼らは、「被害者と加害者を取り違え、暴行を加えたばかりか、その過ちをわびるどころか自慢話か笑いものに」して憚らぬ連中である。裁判所も裁判所で、「逮捕拘留され、法廷まで引きずり出されたからには罪があるに決まっており、それをまずは無罪と推定するような発想はどこにもな」い、所詮「司法改革は不平等条約解消のため近代国家の体裁をとる方便であって、内心は少しも変わっていない」。

 やがて物的証拠も何もなく単に憶測のみをもって差し出された被告人の無辜を証明すべく、新十郎は弁護士(代言人)の迫丸孝平とコンビを組んで、真相の究明にあたる。

 

 しばしば本邦の探偵小説の父として紹介される黒岩涙香にはもうひとつの顔がある、すなわち、「萬朝報」のファウンダーとしての。新聞記者として名声を博した彼にとっては、海外作品を翻案して本邦向けにリライトした探偵小説もまた、完全に同一線上の仕事だった、つまり、「理詰めに次ぐ理詰め」をもって、社会の闇を明るみに出し「善人を助けて悪人を挫ひしぎ王侯貴族も手の中に弄ぶ」という、その共通点において。

 

 涙香においては、いずれもが啓蒙思想の体現に他ならなかった。そして『明治殺人法廷』は、その延長線上において書かれた。

 本テキストのプロットは、もとより専らウェルメイドな密室ミステリーのみを志向するものではない。その狙いは、涙香にもましてあからさまである。

 例えば「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」との条文が、例えば「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」との条文が、例えば「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」との条文が、あるいは例えば「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」との条文がまともに発動しないときに、法の支配という前提が共有されないときに何が起き得るだろうか、というひとつの思考実験である。そしてその試みは当然に、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」ことも、「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」ことも貫徹されている様子を持たない現代司法を逆照射せずにはいない。

 少なくとも表向きの体裁として、こうした条文の少なからぬ部分は、大日本帝国憲法においてすら、既にパッケージングされてはいた。しかしあくまで本書の舞台は、薩長の嵐吹き荒ぶその前夜のことである。

 そうでありつつも、この法廷が辛うじて理性の法廷たり得たのは、言い換えれば探偵小説として首の皮一枚成立可能であったのは、ひとえに「日本近代法の父」、ムシュお雇い外国人、ギュスターヴ・ボワソナードの貢献に負う。彼が刑法に刻んだ証拠主義や推定無罪といった原則がもし欠けていたならば、あるいは報道の自由がもし失われていたならば――それは限りなく現在進行形のこの国に似ている。

 

 ルールがクソならばルールを新たに自分たちで作ってしまえばいい、そうして革命フランスはボワソナードを育んだ。翻って彼が送り込まれた極東の田吾作においては――なにせ衰退を来してなお幕府に260年もしがみつき続けた量産型茹でガエルである――ルールがいかにクソであってもただひたすらに泣き寝入る、自称現実主義者の彼らにできるのは己の尊厳なんて投げ捨ててお上に媚びへつらってせいぜいが名君の降臨を待ちわびることだけ、もちろんそんなカレー味のウンコ程度の代物ですらも『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』といった、みすぼらしいフィクション空間にしか登場しない。有史以来変わることのないこの勧悪懲善の前近代的な後進性をもって、劣等民族は唯一その所以をあらわす。

 

 長州の無法者をのさばらせた先に広がる地獄絵図、すなわちこれは明治と寸分違うところを持たない令和のリアル・ドキュメントである。

 

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com