鷺とり

 

想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)

 

 この想像ラジオ、スポンサーはないし、それどころかラジオ局もスタジオもない。僕はマイクの前にいるわけでもなし、実のところしゃべってもいない。なのになんであなたの耳にこの僕の声が聴こえるかって言えば、冒頭にお伝えした通り想像力なんですよ。あなたの想像力が電波であり、マイクであり、スタジオであり、電波塔であり、つまり僕の声そのものなんです。

  246分、といってそれは深夜のこと、海沿いの郷里の街へとUターンした「僕」ことDJアークは、ふと気づくとスギの高木に吊るされていた。枝に引っかかったまま語りはじめる「僕」、その声をキャッチするリスナー、『想像ラジオ』にクロスが生まれる。

 

 落語「鷺とり」は、横着な男が野鳥を捕えて売り捌いて小銭稼ぎを企てるところからはじまる。眠りこけたサギを片っ端から腰に結いつけたまではいいが、目を覚ました鳥たちが一斉に羽ばたいて見せた末、四天王寺五重塔の頂に取り残された、という上方の演目。本書との共通点と言って、主人公が高く吊り上げられる、というくらいのことでしかない、「想像力」としてはひどく稚拙。

 その舞台はむかし、といってとりあえず今ここならざるどこかという以上の含意はない。語りに細密なディテールが散らされることもない。聴衆一同に共有されうる了解事項と言えば、そんなことは起きるわけがない、という身も蓋もないファクトをおそらくは超えない。

 それなのに、同じポイントで一斉に笑う。時代考証もリアリティ・ラインもない、シェアしようもないはずのフィクションなのに、その語りに誘われて笑う。つられて反応しているに過ぎないと言って、その連鎖を誘発するだけの何かはそこに共有されているに違いない。こんな底の抜け切った滑稽話ですらも分かち合える人間が、現実に起きた出来事に対して何らの「想像力」も発揮できないと考えるのだとすれば、それこそ字面そのまま「想像力」が足りていない、のかもしれない。

 

「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」

「そうだね」

「木村宙太が言ってた東京大空襲の時も、ガメさんが話していた広島への原爆投下の時も、長崎の時も、他の数多くの災害の折も、僕らは死者と手を携えて前に進んできたんじゃないだろうか? しかし、いつからかこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?」

「なぜか?」

「声を聴かなくなったんだと思う」

「……」

「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

 あまりにあからさまに主題を開示してみせた本書のこのハイライト・シーンと深くシンクロする一節を引用してみる。藤本和子『ブルースだってただの唄』より。

「おまえらはあるとき、かくも偉大であった、と語る者を持てれば、過去を眺望し、未来へのヴィジョンを持つこともできる。でもそれがなければ、生はすべて〈いま〉と〈ここ〉といく視角からしか眺められない。そしてその〈いま〉も〈ここ〉も惨めなだけのものなら、人間はあきらめるよりほかないでしょう」

 いつしか「声を聴かなくなった」人々は、必然「惨めな」〈いま〉と〈ここ〉に縛られるよりほかない。被災者にせよ、黒人差別にせよ、ステレオタイプなみすぼらしい「想像力」に基づく安い同情に棹差せなどとは勧めない。しかし、「想像力」の拒絶は断じて配慮にはあらず。敬意といえばいかにも耳障りはいい、といってそこに腫れ物を腫れ物として直視しない態度の自己正当化という以上の意味が付されることなどない、それは例えば皇室に対する尊崇という名の敬遠の態度と同様に。

 いみじくも本書の指摘と歩を合わせるようにその意を変えた語を想起する。汲み得るものとしての御意を前提とした配慮を示しただろう麗しきその語はいつしか、見て見ぬふりをあたかも大人の嗜みとして強弁するためのパワー・ワードへと変質を遂げた。劣化と退廃を凝縮したその単語、忖度という。

 後ろを知らなければ、「前」を規定することすらできない。「声を聴かなくなった」、その結果残るものといって、〈いま〉〈ここ〉における即時的、即物的なポジション・ゲームを決して超えない。損得勘定に基づく縮小再生産を繰り返すしかない〈いま〉〈ここ〉で生じるものなど、早晩必ずや訪れる破綻をせめて多少なりとも引き延ばすためのあがきに過ぎない。 

ブルースだってただの唄 (ちくま文庫)

ブルースだってただの唄 (ちくま文庫)

  • 作者:藤本 和子
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 文庫
 

 

 先に引いた、卒倒しそうなほどに露骨なやりとりが象徴する。「想像力」を説くはずのその作品が、「想像力」を要さずとも読み解けるほどに直截なメッセージを刻んでしまう、というこの狂おしさ。物語に何かを仮託することを手放した作家の姿勢は、もはや「声を聴かなくなった」読者たちの「想像力」の欠乏への敗北宣言なのかもしれない。