ストーリー・オブ・マイライフ

 

メディア論の名著30 (ちくま新書)

メディア論の名著30 (ちくま新書)

 

 

本書はメディア史家である私が、自らの研究で本当に役に立った書物を読者に開示することを目的としている。世間一般の人気投票的な選書ではなく、かなりわがままな選書である。それにもかかわらず、選書には苦労した。「メディア論」の対象範囲よりも、「名著」の定義と「30」という冊数に絞り込むのが難しかった。何を「メディア論」と呼ぶかも人それぞれだろうが、私の基準ははっきりしていた。

一、メディア論とは比較メディウム論である。つまり、狭義な新聞論、テレビ論など個別メディウムに関する書物は除く。

二、メディア論とはメディア史である。つまり、純粋な理論研究、フィールド研究は除く。

三、メディア論は長い射程の文明論である。つまり、選挙分析など短期的な調査研究は除く。

 この3つの条件でかなり絞り込めたが、そもそも何を「名著」と呼ぶべきか、その定義ははっきりしない。

 

「なぜ私はメディア史家になったのだろうか。中学と高校での2つの出来事が思い起こされる」。

「私が大学に入った1980年当時、まだ『左翼』はほどほどにカッコよかった。少なくとも知的に見えた」。

ミュンヘン大学留学時代、雨の降る日が楽しみだった」。

 各章の書き出しからいくつかを抜粋、そこにあるのは「私」と「私」とあと「私」、『メディア論の名著30』との表題からすれば、いかにも当惑を誘うような記述が連なる。この手のテキストにおいて通常展開されていくものといえば定説的、総花的な内容紹介、それらとはあまりに趣の違う筆致に少なからず面食らわずにはいられない。

「私」をめぐるこの語り、軽やかなイントロダクションを演出するために用いられているわけでもない。そこに託された意図の一端は間もなく明らかにされる。

「卒論執筆で一番困ったのは、新聞や雑誌の研究方法が皆目わからなかったことである。京都大学にはメディア研究の講座も教員も存在しなかった」。

 そもそもにおいて、少なくとも筆者の周辺に「メディア論」なるものがその輪郭すら持たなかった時代、そしてそれはまたニュー・アカデミズム華やかなりし時代、もし漠と思い描くその対象が未だ存在しないのならば、「私」が「自分で考えSelbstdenken」ればいい、考えるしかない。散り散りに書庫に眠れるテキストが、「私」という読者を通じて、「メディア論」として結ばれていく、その過程が「名著」たる資格を規定する以上、必然このテキストは「私」について語るほかない。

 読む―読まれる、双方向性への開きが「名著」を「名著」たらしめる、「私」を「私」たらしめる。本作の何が圧巻といって、『輿論と世論』や『815日の神話』を物した「私」への個的関心をはるか凌駕して、書物なるメディアが必ずや宿すだろう相互作用への自己言及構造をなしている点にある。

 W.リップマンに言わせれば、「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」。こうして確立される「ステレオタイプ」が「権力による情報操作やプロパガンダを容易に」してしまう民主主義の黄昏に際して、それに抗う術として「ステレオタイプ」を逃れる作法としての読書の存在が示唆されるのは、ほとんど必然的な進行ともいえる。テキストを開くその都度、「名著」が「名著」であることの自明性、「メディア論」が「メディア論」であることの自明性、「私」が「私」であることの自明性が揺さぶられる。「ステレオタイプ」に操縦されない「公共性」の中心に「読書する公衆」を据えたJ.ハーバーマスの議論への応答として、この「私」ほどに見事な作法を寡聞にして知らない。

「読書のパラドックスは、自分自身に至るまでには書物を経由しなければならないが、書物はあくまで通過点でなければならないという点にある。良い読者が実践するのは、さまざまな書物を横断することなのである。良い読者は、書物の各々が自分自身の一部をかかえもっており、もし書物そのものに足を止めてしまわない賢明さをもち合わせていれば、その自分自身に道を開いてくれるということを知っているのだ」。

 この引用元であるP.バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』についてはあいにく私のあずかり知るところではない、従って、このことばがいかなる文脈から紡ぎ出されたものなのかについては何らの想定も持たない。しかし、この『メディア論の名著30』の議論をくぐり抜けてきたその総括にあたってこの言明が引かれる必然は十二分に了承される。

「『本との出会い』はなによりも読者が『自伝』を書くためのプロセスだからである」。

 そしてその「私」とテキストをめぐる「プロセス」は決して終わりを持たない、それはちょうど「メディア論」が「『メディアの理解』としては不可能であり、『メディアの歴史』としてのみ成立する」ように。