野火

 

勇気の赤い勲章 (光文社古典新訳文庫)
 

 

「戦争とは、生死をかけた争いが次々に起き、その合間にわずかなばかりの食事と睡眠があるものと信じていた。ところが、ここに到着してからの連隊は、じっとして暖を取る以外のことはろくにしていない」。

 その宿営地にある噂が駆け巡る。待機すること数ヵ月、ついに前線に向かう号令がかかる、という。

「若者は茫然とした心持ちだった。ついに戦闘が始まるのか。明日にでも始まれば、おれはそこに、身を置くことになる。しばらく、どうにかそれを信じようとした。だが、地上でのその大いなる営みに加わるのだという兆しを、はっきりと噛みしめることはできなかった。

 もちろん、小さなころからずっと戦闘のことを夢見てきた。一気に押し寄せて火を噴く、血にまみれた争いをぼんやりと思い、胸を躍らせていた。戦いに次々と身を投じる自分の姿を思い描いた。鷲のように鋭い目をした自分の戦いぶりが、人々を守るのだと。だが、冷静なときは、戦闘は過去の書物にある深紅の染みでしかなかった。ずしりとした王冠やそびえ立つ城といった想像ともども、もう過ぎ去ったものなのだと思っていた。世界の歴史には戦乱の時代だと思えるときもあったが、それはもはや地平線のかなたに消えてしまい、夢物語でしかなくなったのだ、と」。

 

 その局面、若者の目にはもはや北軍の劣勢は明らかだった。彼は部隊を離れてひたすら逃げる。間もなく味方が何とか凌ぎ切ったことを知る。

「彼は唖然とし、いらだって顔をそむけた。騙されたような気分だった。

 あのままだと全滅だったからおれは逃げたんだ、と自分に言い聞かせた。軍のほんの小さなかけらである自分を守るために、すべきことをしただけだ。……あれが賢明な行動だった。隅々まで計算されていた。巧みな足さばきだった」。

 そんな自己正当化の試みも虚しく、やがて行列へと戻った彼は罪悪感に苛まれる。

「ちらちらと、傷ついた兵士たちに羨望の眼差しを向けた。深い傷を負った男たちはさぞかし幸せなのだろう。おれにも傷があればいいのに、と願った。つまりは、勇気の赤い勲章が」。

 この刹那、逃げ出した若者と読者が、彩色あふれる描写を通じて、観察者という一点で共犯性へと結ばれる。レッド・バッジによって持つ者と持たざる者が引き裂かれる、ましてや祖国の未来のために命を投げ出した者とは。今なお拭い難き血の歴史にあって、戦死者、戦傷者に対して抱かざるを得ない負い目が、若者というレンズを通して生ける者、読む者へと突きつけられる。読んでいること、生きていること、命を賭した者を前にしたその疚しさが作品世界を飛び越えて襲い来る。

 

 戦地の若者の自己像は止めどなく膨張と収縮を繰り返す。

「一度、まわりの兵士たちが撃ち終えていても、彼ひとりが激しい憎しみをこめて銃撃を続けていることもあった。……彼が隊の前のほうに向き直ってみると、煙は晴れていて、人のいない地面が見えた」。錯乱のうち、虚空をひたすら撃っていた。ところがベースに戻ると上官からは激賞を受ける、戦友からは畏敬の眼差しを注がれる。

 あるいは別の場面、「元の配置に戻ると、彼らは振り返り、自分たちが突撃した土地を見つめていた。/あらためて眺めた若者は愕然とした。連隊が進んだ距離は、心のなかでは輝かしい長さに思えていたのだが、見てみればばかばかしいほど短かった。あれほどの出来事があった、ぼんやりとした木々は、ほんのすぐ近くにある。今になってみれば時間もさして経っていない。ほんのわずかなすきまに、どれほどの感情と出来事が詰め込まれていたことか。ちっぽけな思いがすべてを大げさにしてしまったにちがいない」。

 前線で乱高下を繰り返すマインドを精細な筆致が捉える。そして知らされる、すべて英雄など常軌を逸したインフレーションのもたらす幻覚に過ぎないことを、翻って、実像といえば「箒」と同等に代えの利く「ちっぽけな存在」でしかないことを。何のために死すわけでもない、ただいたずらに死んでいく、死なされる。だからこそ、帰路につく若者の目に映る、平坦な日常の尊さを説得される。