ブルースだってただの唄

 

 終戦から間もなくの有楽町、「私」こと笑子は進駐軍の黒人専用キャバレーでクロークとして働く。やがて彼女は支配人のトムと恋に落ちる。はじめて招いた自宅にて、彼は家族を前に朗々と説く。

「ここには平和がある。そして何より素晴らしいものがあります。それは平等です。平等があるから、だから日本が大好きです。アメリカに帰りたくない。日本に一生住みたいと思っています」

 しかしその願いはかなわず、彼に帰国命令と除隊宣告が下る。必ずアメリカに呼び寄せる、との彼のことばを聞き流しながら、これで事実上の離婚だ、と彼女は思う。父の肌の色を引いた娘とふたり、日本で生きていくのだ、と。

 別れて数年、心変わりは突然に訪れる。いじめに報復する娘の姿を目にした彼女は一転、渡米を決意する。

「日本は美しい国だった。日本はいい国だった。ただ私にとっては運悪く住み難い国になってしまっただけなのだ」。

 トムと暮らしていた日々を思い出す。軍から与えられていた日本人から見れば破格のサラリーとPXからの横流しで営まれていたあの潤沢な生活までは望めなくとも、なんといっても華のニューヨーク、それに近い暮らしは待っているに違いない、そう信じていた。

 しかし、長い船旅の末、たどり着いたのは「貧民窟! 言ってしまえば、それであった」。

1949年前後のトムは、東京にいてUSアーミーの制服を着、颯爽とジープを乗り回していた。家の中の彼は陽気で溌溂としていた。……だが1954年に私がニューヨークに来て再会したトムは、もう別人のようだった。彼は寡黙になり、無気力で、家では眠ってばかりいた。夢を語ることはもうなかった。……東京とニューヨークで、トムに変っていないものがあるとすれば、それは彼の黒い肌だけである。/そう。黒い肌だけなのだ、変らないのは。その他は全部変ってしまった。東京ではUSドルを闇で売って日本金を使いきれないほど持っていた彼が、今では一週間くたくたになるほど働いて32ドル持って帰ってくる。東京では充分以上に妻子を養えて、普通の日本人にはできない贅沢をさせることのできた彼が、ニューヨークでは私の働きでようやく家庭生活を維持している。日本では黒くても戦勝国の兵隊だったが、ハアレムのニグロとなった今は威張ることのできる相手はプエルトリコ人だけなのだ」。

 

 19世紀のヨーロッパである学術論争が巻き起こる。逸脱行動、わけても犯罪を惹起するのは果たして生まれか、育ちか。

 口火を切ったのは、イタリアが誇る「犯罪学の父」、C.ロンブローゾだった。時はダーウィニズム勃興期、彼はその原因を先祖返りに求めた。

 対してフランスでは、A.ラカサーニュをはじめとするグループが、各人にあてがわれた社会環境にその淵源を主張していた。

 この衝突をいち早くフィクションの世界に持ち込んだのが、エミール・ゾラだった。血統、階級、所得、時代といった関数を操作することで人格の形成を思考実験するこの壮大極まるプロジェクト、『ルーゴン・マッカール叢書』の完成に、彼は実に四半世紀の時を費やした。いやむしろ、その程度で収めたと言うべきか。

 

 そして有吉佐和子なる稀代の名手は、紛れもなくこの末裔に鎮座する。自然主義と呼ぶのをためらわせるほど見事に、海を渡った「戦争花嫁」のそれぞれへと対立軸を割り振ることで、1964年の日本作品として画期的なドキュメンタリーを形成する。

 そして笑子は千々に乱れる。

 あるときはブルックリンの路地裏にカルチャー・ショックを受ける。「馬跳びをしたり、鬼ごっこをしたり、西部劇の真似事をして遊び狂っているのは、金髪で碧い眼をした雀斑だらけの子供もいれば、縮れ毛が頭にびっしり貼りついているニグロの少年、鳶色の毛に茶色い眼をしたユダヤ人の少女、髪が黒く肌の色は小麦色をした混血の少女と、その人種は驚くほど多様なのだ。/……ここには厳然とした『平等』がある。それは貧乏というものだ。……ここでは貧乏の下に無差別だった。いや、貧乏は、白人にもニグロにも無差別に、彼らの生活にのしかかっているのだ」。

 またあるとき導く結論は、「ニグロは、やっぱりニグロなのだ。/……無教養で魯鈍な黒ン坊――彼らが疎外されるのは当たり前だ、そんな考えも固めていた」。

 ところが数ページ後には一転、「私は今こそはっきり言うことができる。この世の中には使う人間と使われる人間という二つの人種しかないのではないか、と。それは皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なものではないだろうか。……肌が黒いとか白いとかいうのは偶然のことで、たまたまニグロはより多く使われる側に属しているだけではないのか」。思い返せば、日本にいた頃のトムを輝かせていたのは、おそらくは「平等」ではなかった。「使う人間」としての戦勝国民の優位が、彼を束の間「ゼントルマン」にしていたに過ぎない。

 アラバマを離れ家に転がり込んできた叔父を娘は見下して言う。「あれは文明国アメリカのニグロではないわ。アフリカの土人だわ。未開国の非文明人よ!」。

 そして結末、色に非ず、そのフレーズに笑子はもうひとつの意味を見出す。

 

 あらを指摘することはたぶんそう難しいことではない。黄色人種であることがもはや透明とすら映るほどに無化されている感は否めない。その中でも、日本人固有の文脈としての戦敗国というテーマ軸も、渡米後はまるで浮上してくる気配がない。とりわけアメリカのマイノリティにおいては、差別ということがまず何よりも教育や司法その他の制度設計の問題であるのに、各人のマインドへと矮小化されているようにも映る。彼らがニュースにすら触れられないという情報弱者性を示唆しているとも取れないことはないが、黒人を取り巻く時事性や固有名詞がほぼ反映されていないことも、あるいは欠点とすべきなのかもしれない。

 それなのに、この小説、圧倒的に新しい。

 これだけの濃度を訳もなく読ませてしまうスピード感みなぎるこの文体が、時にかえって錯覚を引き起こす。50余年前の史料としての読解を遠ざけて、ひたすらの没入へと誘われる。それゆえ、1964年の小説に現代的な問題意識の反映が盛り込まれていないことに不満すら催す始末である。

 中でも特筆すべきは会話文だろう、そこから脳裏に起こされる声色に、同時代のモノクロ映画を見た際に受けるような古色蒼然たる印象は感じ取れない。友人が用いるコテコテにもほどがある大阪弁すらも、コメディ・リリーフとしてのウィットへと吸収されていく。

 レヴューのためにざっと読み返してつくづく構成の巧みに目を奪われる。情報量が多いがために、通常ならば鼻につくだろう伏線の数々が見事に埋没して、そして気づいて膝を打つ。それでいて、重くない。さりとて、それは軽いということを意味しない。絶妙としか言いようがない。

 後の例えば『恍惚の人』にも通うだろう、問題意識とおかしみの高次元でのハイブリッド、これほどに読ませる書き手はそういない。