Over The Sun

 

 わたしは、イタリアかインドかインドネシアかで迷うのをやめて、どの国も訪れたいのだと認めることにした。それぞれの土地に4ヵ月、合わせて1年。もちろんこれは、新しいペンケースを買いたいというよりも大それた夢だ。でも、そうしたかった。加えて、この旅を文章にまとめたいという思いもあった。土地そのものを探究したいというのではない。そういうことはこれまでもやってきた。そうではなくて、なにかひとつのことに伝統的に秀でた土地に身を置いて、自分自身の内面を探究したかった。イタリアでは喜びの奥義を、インドでは信仰の奥義を、インドネシアではその両者のあいだでバランスをとる奥義を探りたい。

 

食べて、祈って、恋をして』。

 混ぜるな危険、なんてこのタイトルひとつからして分かっている。元夫とのストレスフルな日々の末にやつれ果てた女が、イタリアで美食を貪りイケメン拝んでニヤニヤし短期間で体重を10キロも増量し、次いで訪れたインドではヨガを通じてスピリチュアルに開眼する――

 こんな戯言、喫茶店の近くのテーブルで喚き散らされたら3秒でドリンク飲み干し席を立つ。生身の人間にやられたら即座に発狂、ただしテキストというワンクッションがあれば、年1くらいはどうしたわけか欲しくなる、止まらない鼻笑いを求めてというよりも、たぶんある種の自傷癖なのだろう。

 ある面では、その期待を裏切らない。

「わたしは虫食い穴のような時空のトンネルに引きずり込まれた。その激しい移動のさなか、唐突に、万物の営みが完璧に理解できたような気がした。わたしは自分の肉体から離れて、それまでいた部屋から離れて、地球から離れて、時の流れも超えて、宇宙の無の空間にいた。わたしは虚空のなかにあり、虚空そのものであり、同時に虚空を見つめていた。虚空は限りない平和と叡智の場所だった。虚空には意識があり知性があった。虚空は神。つまり、わたしは神のなかにいた」。

 写してるだけで見事に目が死ぬ、きっとこの眼差しを指して「虚空」と言う。

 

 とはいえ、基本的には精神リスカをこれといって発動させることもなく、それが果たして良いのか悪いのか、案外とさくさく読めてしまう。シンプルに、なんだかんだ言って、構成がうまい。たぶんこれが一介の自分探し系SNSならば、共通前提をおよそ欠いた語り口に、ああ、確かに自分を見失ってらっしゃいますね、ご愁傷さま、となるだろうところ、本書は対照的に、きちんと読み手側の目線を踏まえて話が組み立てられており、しばしばその実在を怪しんでしまうほどに印象的なキャラが現れてはトリックスターとしてテキストを盛り上げていく。

 なんなら終盤、うっかりとカタルシスすら覚えてしまう瞬間が訪れる。バリ島で意気投合した友人のワヤンが、賃料の値上げにより自宅兼仕事場を追われるという。離婚によって頼るべき親類のネットワークを断たれたシングルマザーの彼女は、自身の娘ばかりか、二人の家なき子の面倒までも見ている。友人の窮地に際して、筆者はついに覚醒する。考えるな、感じろ。ネット・カフェに駆け込んだ彼女は、一気呵成に文面を書き上げ、友人知人に募金を求めるメールを送る。他人に助けを乞うだけではない、集まった額と同額を彼女が自腹で補填する。そして寄付はついに18000ドルにも到達する。知人からメールで指摘を受ける。

「つまりこれは、最後のレッスンじゃないかな? きみは、自分を助けるために世界へ旅に出た。そして旅は最後に……みんなを助けることで終わるんだ」。

 

 あらららら、とぬるいことを思っていたその刹那、「しかし、いいことばかりはつづかない。昼も夜も愛の行為に没頭する数週間のあと、肉体は重い膀胱炎というしっぺ返しをわたしに食らわした」。

 この程度で終わってくれれば、まあ、お大事に、という程度。ところが、薬草を用いた民間療法を生業とするワヤンのもとに駆け込んだ筆者との、素敵すぎるガールズ・トークがここから炸裂する。

「『リズ、わたしはヒーラーよ。あらゆる不調を治す。女性のヴァギナの不調も、男性のバナナの不調も。ときには女性のために偽物バナナもつくる』(中略)男のバナナを硬くする方法は飲み薬だけでなく、マッサージでもそれができる――。それを聞いたわたしたちのあからさまな好奇心を見てとったのか、彼女は男性のだいじなバナナに施すマッサージについて説明してくれた。(中略)ワヤンが言うには、赤ん坊が欲しい男性は『本当に本当に激しく』妻と交わらなければならず、『彼のバナナから妻のヴァギナに向かって、本当に本当にすばやく、噴きこぼれるように』射精しなければならないという」。

 これが全世界で1500万部を売ったベストセラーのその秘訣。他人様を前にしてはもはや口走ることなどできない、ただし自宅でぼっちならばBBAとシャウトしながら、閉じたテキストを壁に擦りつけヘッドバットをためらいなく繰り返せちゃう、この感じ。

 痺れ、耳鳴り、見上げる「虚空」とLED、別名をエクスタシーともいう。

 ecstacy、その語源はギリシャ語で、あるべき場所から抜け出すことを指す。

 

 少しだけ真面目な話もしてみる。

 実のところ、彼女は旅に出るその2年も前から自身のゴールを知っていた。

「わたしのこころ(ハート)は、あの浜辺の闇の静寂のなかでわたしの心(マインド)に言った。『あなたを愛してる。あなたをぜったいに見捨てない。あなたのことは、わたしがいつも引き受ける』/(中略)これが、わたしの個人的なノートに最初に記した言葉になった」。

 彼女はこのノートと幾度となく対話を交わす。「心」が「精神的危機に陥りそうになるたびに」、彼女は「こころ」の声を求めた。「その声と接触する最も確実な方法は、思いを文字に書き記すことだと気づいた」。時に“憂うつ”や“寂しさ”に磔にされる、永遠の現在へと足止めされた小文字のmeを超えて、大文字のMEの声を聴く。「あなたは、わたしの愛がどんなに強いか、なああんにも、わかってない!!!!

 彼女が訪ねたイタリア、インド、インドネシアの共通点、Iではじまること。

 異国をめぐり、Iを訪ねる、愛を訪ねる、自分を愛せるように。

 ぼくらが旅に出る理由、つまり、死ぬ練習。