見ろ! 人がゴミのようだ!

 

 本書は、多種多様な国際政治上のデータのなかでも、戦争のデータについて考える。

 戦争は、国際政治上の現象のなかでも最悪のもののひとつだ。それゆえ、戦争全体を把握するために、データの収集がどうしても必要になる。では、戦争のデータは、どこまで実際の現象を反映しているのか。つまり、世界のどこかで誰かが戦火に苦しむなか、そのデータは誰かが体験している戦争をどこまで正確に表象しているのか。そもそも、その戦争のデータは、誰がどのような目的で、どのような方法でつくっているのか。戦争のなかでも、データに変換される事象と変換されない事象があるとして、それらはどのように選択されているのか。わたしたちはデータから本当に戦争の実像を知ることはできるのだろうか。

 これらが本書の問いである。本書はこれらの問いに答えるために記した。

 

 読みはじめて早々に虚を突かれる。

 戦死者のデータはいかなる主体によって取りまとめられてきたのか。戦死者の特定はいかなる主体によって行われてきたのか。

 そんなものは、国家なり軍隊によって主導されてきたものと思ってきた。というよりも、他の可能性など想定しようともしなかった。作戦、戦術の執行のために、被害の状況わけても死亡者を逐一把握しておくことは基礎の基礎としか思われないし、特定の任務を割り振られて送り出された隊員個々の生死も今後の針路を決するにおいては不可欠の情報に違いない。ひと、すなわち課税対象の生き死にという統計の要を牛耳る宗教者が政治と癒合することをもって世界各地に堅固たる前近代的な封建体制が築かれたそのひそみにならえば、戦場における統計もまた、当然のように国家によって主導されてきたのだろう、本書の副題からのインプレッションとしてその程度に見積もっていた。

 

 ところが現実はまるで違った。

「戦争犠牲者に関するデータの生成は、この戦死者保護規範の発展から始まった。……/戦死者保護はどのように国際規範化したのか。戦死者保護は国際人道法の一部として提唱され、浸透してきた。……/国際人道法の発展を支えたのは赤十字であり、その始祖こそアンリ・デュナンである」。

 それまでの死体処理のプライオリティといえば、いかにして感染症の蔓延を防止するかにあった。言い換えれば、どれほど速やかに死体を地中に葬ることができるかにあった。

 一実業家であったデュナンは、ナポレオン三世への陳情のために出向いた旅先にて奇しくもイタリア独立戦争の前線に立ち会うことになる。村人たちとともに戦傷者を救護する中で彼は、名もなき一兵卒が名もなき一兵卒として埋められていくその光景を目の当たりにする。

 これが赤十字社のはじまり、ジュネーブ条約のはじまりだった。

「当時、戦闘が終わると、死者や生存者の区別なく、兵士の装具を略奪する人々がいた。そのため、生存者の身の危険がふりかかるだけでなく、遺留品を失い、遺体の身元がわからなくなることがしばしばだった。時には遺体が損壊されることさえあった。それゆえ、生存者だけでなく、戦死者を保護するために、戦闘後に戦場で法と秩序を維持する必要があった。また、より実効的に身元を明らかにするために、兵士の身元情報を明記した認識票の導入が重要だった。さらに行方不明者の安否調査のためには、捕虜や死亡者などの名簿の交換が不可欠で、それも戦死者データの生成に深く関連した」。

 そして早速1870年、その試金石が訪れる。普仏戦争だった。

 宣戦布告をしたはずのフランスには、「救護社が存在したものの、……大規模戦争に対応する準備が整っていなかった。戦時中の救護計画も必要な資金もなく、軍との協力関係も構築できていなかった」。対して「プロイセンの救護社は中立を掲げながらも、普墺戦争での教訓に学び、救護活動のためにプロイセン軍との一体化を進めていた。これによって、戦場で軍隊と協調しながら救護活動ができる仕組みが整った」。

 兵士のアイデンティファイにおいても雲泥の差があった。かたや「認識票を供給するなく、大量発生した死者の身元確認で、大きな問題を抱えることにな」ったのに対し、一方は「兵士に金属板の認識票の装着を義務付け、身元の確認を可能にする努力を行った」。

 そして結果、「約10ヵ月間の戦争のなかで、軍人のみで、ドイツ側の死者数は総計44781人、他方、フランス側は総計138871人にのぼった」。

 現代のニュース用語において、遺体と死体の区別とは、身元の特定がなされているか否かにある、という。この使い分けに従えば、ジュネーブ条約以前の戦場には、一兵卒の死体はあっても遺体はなかった。

 一兵卒を遺体とするか、死体とするか、つまり犠牲をどれほど尊べるか、人間をどれほど尊べるか、法の支配をどれほど尊べるか。アンリ・デュナンがこの戦争の雌雄を決した、そう評することに私はいかなるためらいも覚えない。

 

 本書で触れられることはないが、1904年の日露戦争に際して、日本サイドでは救護社が中心となって、敵国の捕虜たちに手厚いケアが担保されていたという。西洋列強に一流国として認められたい、そんな邪な動機によるものでしかなかったのだとしても、事実として予めの制度設計に基づいて日本は彼らに対してフェアなおもてなしを示してみせた。

 たとえそれがモスクワからはるか遠い極東の片隅の局地的な戦闘に過ぎなかったにせよ、ジュネーヴ条約を遵守せんとするその志向性が、日露戦争の勝利をいざなっていたとして、何の不思議があるだろう。

 

 時は流れて現代、国連をはじめとした各種公的機関も戦争条約もそれなりに整備はされた。戦争をめぐるデータにおいて、一個人が機能を果たし得る余地は既に政治へと、あるいは時にAIへとその座を譲ったかにも見える。

 そんなことはない。その一例はシリア紛争に観察される。

 この内戦の「レッドライン」のひとつは、シリア政府による化学兵器の使用にあった。国連は調査チームを編成して、シリアもやがて受け入れるに至る。かくしてまとめられたリポートは、サリンの使用を結論づけた。ただし、「使用者や法的責任の所在は管轄の範囲外であるため、明示しなかった」。

 読む人が読めば「シリア政府の責任を示唆しているようにも解釈できた」、しかし奇々怪々な国際政治はあえてその行間を埋めようとはしない、このあいまい戦略がまもなく騒動を呼ぶ。

 とある著名なジャーナリストが、トルコの支援を受けた反政府勢力による自作自演と主張したのである。さらに一部専門家がこれに乗ずるかたちで、にわかに騒々しさを増した。

 かくしてファクトがプロパガンダの具になりゆく中、「これに対して再反論を展開したのが、ヒューマンライツウォッチでもOPCW化学兵器禁止機関]でもなく、ベリングキャットという非政府組織だった。……/彼らはインターネット上にある動画サイト、SNS、地図などの無数の情報を駆使し、反政府組織が使用している武器の来歴など、紛争に関して報道されていない事実を次々に確定していった」。

 

 データを尊べる者に、言い換えれば死者を尊べる者に戦争の女神は微笑みを送ってきた。

 近未来の戦争においても、アンリ・デュナンによって規定されたこの図式はたぶん変わらない。ウィズダム・オブ・クラウズを味方につけられない輩は、必ずや戦争に敗れる。硬直化した専門家神話に溺れる輩は、必ずや戦争に敗れる。上級国民が上級国民としてふんぞり返る国には、従順なすなわち無能な臣民しかいない国には、一兵卒に顔も名前も与えようとしない国には、いかなる希望の未来もない。

 

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