華氏119

 

「私は60代の法病理学者(法医学者)だ。これまでに行った検死と解剖の数は、2万件を超える」。

 しかし、本書ではもはやこのステートメントすらも過去形をもって表されなければならないのかもしれない。

 というのも、イギリスの法医学もまた、サッチャー以降の制度改革の波に完全に飲み込まれてしまったから。

「大学の医学部はずっと、法病理学の講義をする私たちに給料を払ってくれていたが、彼らは――ほぼすべての大学が、一校また一校と――決断していった。今後は法病理学には資金を提供しない、もしくは、法病理学の講義をやめる、と」。論文発表などの学術的パフォーマンス・レートもそう高くはない。診療報酬が見込めるジャンルでもない。経済学者やコンサルタントの設定するインセンティヴによる審査は、どうあがいても彼らの労に高評価を認めることはない。

「つまるところ、私たちは民営化されたのだ。今後は、教えている大学から給料をもらって法病理学的なサービスを無償で提供するのではなく、自分で直接警察や検死官や弁護側の弁護士に請求書を送らなくてはならない。

 自覚したのは、給料がもらえなくなれば、今後は『必要だが無償の仕事』は続けにくくなること。ずっと続けてきた、当局に安全な拘束方法を教える、といった公的な仕事のことだ。それに、災害対策に参画することもだ」。

 かくして彼ら法病理学者は「死を調べるために前ほど呼ばれなくなっ」た。「検死官の中には、死因審問を開く費用や手続きを省こうと、不審な点に目をつぶる者もいるようだ。自然死の『可能性』があり、医師が書類に快くサインしてくれる『可能性』があるなら、多くの検視官は、あまりよく調べずにそれを受け入れてしまうだろう。悲しいことに警察も、法病理学者に標準料金――実は数千ポンドかかる――を支払わなくてはならないせいで、納得してしまうのだろう。この死は(とくに、年度末の死だったりすると)結局それほど不審じゃないから、内務省に登録している40人ほどの専門医でなくても、法病理学者ではなく地元の病理学者でも対応できるだろう、と」。

 

 筆者が映し出す世界は、『CSI』や『科捜研の女』とはあまりに違う。ドラマの出来事ならば、その死因や真犯人の特定をもって事件はあたかもハッピーエンドのごとき一話完結クライマックスを迎えるだろう。しかし、法病理学者によって行われる真相の究明は、単に一件のクライム・ケースに留まらない波及効果を持たずにいない。

「ある冬の日、呼び出されて高齢の女性の家に向かうと、彼女は裸のままテーブルの下で身体を丸めるように横たわっていた。警察は犯罪現場として扱っていたし、確かに誰かが金目の物を探したあとのように見える。食器棚もタンスも開けっ放しで、中身はあたり一面にぶちまけられている。軽めの家具の中には横倒しにされているものもあった」。

 すわ強盗殺人か、と疑う捜査陣をよそに筆者が出した結論はシンプルなものだった。

「低体温症で亡くなったはずです」。

 雪山の遭難者でもしばしば見られる、むしろ暑さを感じるらしい彼らは、往々にして衣服を脱ぎ捨て、狭い場所に身を縮める。「隠れて死ぬ症候群hide and die syndrome」なるカテゴライズすら与えられているという。

 かくして難事件は快刀乱麻に落着した、とはならなかった、少なくとも筆者にとっては。

 この女性は「ネグレクトで亡くなったようなものだ。自分自身によるネグレクトと言えそうだが、やはり――友人や家族やコミュニティから――気にかけてもらえなかったことが、こんな事態を招いたのだ。(中略)このとき初めて思った。遺族に会いたい、と。この女性の子どもたちに、母親がどのように亡くなったのか、正確に説明したかった。でも彼らは、私に連絡を取ろうとしなかった。死因審問にも、姿を見せなかった」。

 認知症を来し、無気力に冒され、暖を取ることもままならず、やがて打ち震えてひとり天へと召された。彼女は死へと向かう一連のプロセスにおいて極めて特異な事例を表してはいない。この一件の向こうには、数知れぬ孤独死待ちの予備軍たちが控えている。法医学者はそんな社会の姿を透かす。

 

 プリンセス・ダイアナの事故死の再調査にも携わる。今なおうごめく陰謀論をよそに、真相は至って明快なものだった。

 飲酒運転はやめましょう。

 シートベルトは締めましょう。

 もし「シートベルトでしばられていたら、おそらく事故の2日後には、目の周りに青痣をつくって、肋骨骨折で少し息を切らしながら、折れた腕を包帯で吊って、公の場に姿を見せていただろう」。

 400万ポンドの調査費、900ページの報告書の果ての、ただこれだけの法医学者による退屈なまでに鼻白む真実でも、あるいは数千、数万の交通事故犠牲者の命を未然に助けているのかもしれない。

 

 その女性は、ジャマイカからの不法滞在者だった。ある朝のこと、出入国審査官が警察官を伴って彼女を強制送還すべくアパートを訪れる。必死に抵抗する彼女に警官たちは拘束ベルトを巻きつけ、噛みつかれないように顔をテープで覆った。呼吸できるように鼻を空けてはいた。それで十分だと彼らは思っていた。

 しかし、口をふさがれていたことは興奮状態の彼女にとってそのテープは致命的だった。彼女は「絞殺されたわけではない。外傷性の脳損傷もないし、嘔吐物を吸い込んでもいない。口を粘着テープで覆われたことで、窒息したのだ」。

 それにしても「警察官に拘束されて亡くなる人が多すぎるのだ。警察官たちはもちろん『職務を果たしているだけだ』と思っているし、誰かを殺すつもりなど毛頭ない。それでも人が死んでいく」。悪意の問題ではなく、要するに、「人を『安全』に拘束する方法を知らない人たちがいるのだ」。

 このケースを受けて、筆者は「複数の団体の積極的かつ熱心なメンバーとなり、時には扇動者にもなった。そうした団体は、拘束の手順を見直すだけでなく、仕事で他人を拘束しなくてはならない人たち――主に警察官、刑務官、出入国審査官――を正しく訓練するために設立された。(中略)ほとんどの警察官は、苦痛を最小限に抑える正しい拘束方法をとても熱心に学んでくれた。彼らは他の誰より、自分たちのやり方がよくないことに気づいていた。そして、他の誰より理解していた。苦しむのは犠牲者の家族や友人だけではなく、警察官自身の人生もキャリアも、ほんの数分の出来事でがらりと変わってしまうことを」。

 

 法医学者としての仕事を通じて、いわゆる「乳幼児突然死症候群SIDS」にも数多遭遇する。統計的に減少傾向は顕著である。うつぶせや受動喫煙といったリスクが周知されるようになったことが寄与しているには違いない。基準の厳格化により、虐待を含む他の死因へと振り分けられるようになったことも大きかろう。しかしそれでもなお現状、死因をSIDSとしか説明できないケースは事実として存在している。

 あるケースについて、筆者はその診断を見落としと糾弾される。論拠はつまるところ、捜査官によって撮影された粗末極まる写真でしかなく、しかし、「仕事人生を通して、ずっと事件の調査をしてきた。なのに今や、私が事件だ。私が調査されている」。そのパニックの果て、彼はPTSDを患った。

「私のPTSDは、これまでに検死・解剖した23000人の遺体の、どれかによるものではない。そのすべてによるものでもない。これまで後片づけに関わった災害のどれかによるものではないし、そのすべてによるものでもない。生涯をかけて、すべての人たち――裁判所、遺族、市民、社会――を代表して、人間の人間に対する残酷さを、じかに証言してきたことで発症したのだ。

 この診断の結果、どうなったのかって?

 2016年の夏、仕事を休んだ。

 二つの治療法は、話すことと薬。

 そして、この本を書いた」。

 書くこと、語ること、ことばにすること、すなわち真実が筆者を癒す、人間を癒す。

 ネオリベラリズムの先端を行ったイギリスは、法医学者による解明なるこの真実という回路を自ら嬉々として閉ざしてみせた。

「すべてを最初に正しくやるほうが、ずっとずっといい結果を生むし、ずっとずっと安くすむのだ」。

 ベーシック・サービスを剥ぎ取ること、真実を剥ぎ取ることが、いかにして人間を蝕んでいくかをこのテキストは必ずや教える。

「戦争の最初の犠牲者は真実である」との古代ギリシャアイスキュロスの格言が本書に引かれる。

 あれも無駄、これも無駄、それも無駄――「真実」を二の次にコストを優先する社会による破壊衝動は、やがて「戦争」へと至らずにはいない。

 

 ただし本書は同時に告げる、人間を前進させるのはやはり真実であることを。

「ある朝、姉が15歳の妹の寝室に行くと、夜のうちに亡くなっていたことがわかった(中略)両親もきょうだいも大いに戸惑い、ショックを受け、打ちのめされている」。彼女の死因は今日においては「てんかん患者の突然死(SUDEP)」と呼ばれるものだった。遺族を前に筆者はこう強調した。

「あなたにできることはなかった」。

 この「言葉は魔法のように罪悪感を消してはくれないが、少し早く消し去ってくれる。私はそう願っている」。そしてこの「面談をきっかけに考えるようになった。法病理学と遺族との接触を、もっと頻繁に用意すべきだ。確かな情報は、事実を明らかにしてくれるだけでなく、支えと安心、そして遺族がいずれ前に進むための健全なよりどころをくれる」。

「確かな情報」よりも感情、そんな「不自然」なポスト・トゥルースは束の間の痛み止めや興奮剤くらいにはなるかもしれない、しかし決して「よりどころ」を与えてはくれない。彼らビリーヴァーはいかなる問題解決能力をも示し得ない、なぜならばそれを発見するためのリソースを割くことを彼らは決してしないから。

 筆者曰く、法医学者の特性として、「ほかの医者とちがって患者は全員死んでいる」。

 いや違う、彼らの仕事は、真実は、生ける者へと一貫して向けられている。

 

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