Esse quam videri

 

〈ザ・グレーヴス〉はたんに“金ぴか時代”の黄金の玩具というだけではない。そもそも時計の歴史において、複数の複雑機構を搭載したグランド・コンプリケーションのなかでも、高級時計製作の最高峰をきわめ、“スーパー・コンプリケーション”の称号を獲得した時計は数えるほどしかない。たとえば、ブレゲの伝説的な〈マリー・アントワネット〉がそれだ。これは悲劇のフランス王妃のために製作された透明な文字盤を備える懐中時計だが、24の複雑機構を持つ〈ザ・グレーヴス〉は、ほかのあらゆるスーパー・コンプリケーションをも凌いでいた。どれだけ歳月が流れ、技術が進歩しても、この時計が技術的な最高到達点に位置していることに変わりはない。すべてが計算しつくされ、職人の手で仕上げられたスーパー・コンプリケーションは、コンピューターの登場以前から存在していた高性能な計時コンピューターなのだ。

 この大胆なパテックフィリップの傑作時計は人々の驚きと熱狂を呼んだ。

 時計コレクターはみな、〈ザ・グレーヴス〉を時計の歴史における大きな存在として位置づけてきた。しかし、この時計に駆使されている見事な技術というものは、この時計が放つ輝きのうちのかすかなきらめきにすぎない。これは、内気な社交界の大公〔ヘンリー・〕グレーヴスと、彼のライバルであった自動車王ジェームズ・ウォード・パッカードが、20世紀初頭に繰り広げた奇妙な戦いの勝者でもあるのだ。

 

 その「自動車王」が、時計の持つクラフトマンシップに魅せられた必然を理解するのはおそらくそう難しいことではない。ウォードにとって「完璧に機能する機械は同時にすぐれた芸術品」であらねばならなかった。「ナンバーワンの自動車」を探求する者が、当時の機械工学の最先端を行く時計にどうして魅せられずにいられようか。モータリゼーションが何を変えた? 時間を変えた、空間を変えた、その黎明期を牽引した彼が時計に惹かれる蓋然性は、あるいはそんな要素からも説明できるかもしれない。

 エンジニアとしての機知をもって一世を風靡したアントレプレナーがまさか、霊感商法まがいのブランディングに引っかかるはずもない。この完璧主義者は、本業ならざる趣味においてすらも、その水準を求めずにはいられなかった。

 例えば彼の所有したパテックフィリップ、ムーヴメント・ナンバー174623は、パーペチュアル・カレンダームーンフェイズを備えているにとどまらない。「愛する故郷であり、彼にとっての世界の中心であるオハイオ州ウォーレンの日の出と日の入りの時刻を表示する機能を搭載していたのだ」。緯度経度のデータが手軽に揃う時代ではない、PCに入力さえすればあとはオートマティカルに弾き出してくれるなんてこともない、手計算で、手仕事で、金属部品の組み合わせをもって、この機能は表された。もちろんこんなピンポイントなエディションが企画されるはずもない、ウォードがオーダーメイドで一から注文し、そしてパテックやヴァシュロン・コンスタンタンの職人集団は無理難題に見事応えてみせた。ひとつミッションを克服すれば、また新たなる課題が与えられ、そして再びブレイクスルーが果たされる。

 

 本書のダブル・キャストのもう一方、ヘンリー・グレーヴス2世に「ウォードのような才能や機械の知識はなかった」。しかし銀行創業者一族の彼には、むき出しの有閑階級の理論があった。直接に面と向かって雌雄を決するシーンなどついぞ現れることはなく、そしてもちろん顧客情報を垂れ流すほどにメーカーは愚かでもなく、しかし、ヘンリーの所有欲は頂を目指さずにはいられなかった。ウォードのような工学上の具体的なアイディアはなくとも、既成の先行作品に対して何かしらのプラス・ワンがあればいい、幸か不幸か、狂乱のギルデッド・エイジにあって、糸目をつける必要もないほどの富が彼にはあった。

 彼らはかくして時計業界のゲーム・チェンジャーとなった。「ふたりの目利きは、突飛な思いつきに基づいた完全オーダーメイドの時計を、しかも自分ひとりが使うために作らせたが、そんな時計収集家は彼ら以前には皆無に等しかったのだ」。

 そうしてあるときヘンリーは言った。「『最も多くの複雑機構を搭載し、想像を絶するほど精巧な時計を作っていただきたい」。明快きわまる指示を語るなかで、彼は注文の核心とも言うべきポイントを、こう言い添えて念押しした。『とにかく、確実にミスター・パッカードの時計を上回るものを!』」。

 構想から製作に費やされることざっと8年、かくして彼のファミリーネームを冠された宿願の最高傑作〈ザ・グレーヴス〉は完成する。

「エナメルの文字盤はサファイアの硬度を持つクリスタルで守られており、ダイアモンドでしか貫くことができない。時計師たちがまだ部品を自作していた頃の作品で、使われている部品の数は900点以上にもおよぶ。部品のほとんどは米粒なみに小さく、その厚みは髪の毛ほどしかない。そして430本のネジ、110個の車、120個以上のさまざまな可動部品、70の宝石が24の複雑機構を生み出している。この膨大な数の複雑機構には、1時間ごとに作動するさまざまな時計機能、西暦2100年に一度だけ調整が必要なパーペチュアル・カレンダー2本の秒針を備えるスプリットセコンド式クロノグラフ機能などが含まれている。小文字盤にはニューヨークの日の出と日の入りの正確な時刻が表示され、また別の小文字盤には月の相が表示されている。ミニッツ・リピーターはロンドンのウェストミニスター宮殿にそびえる大時計塔ビッグ・ベンの鐘と同じメロディを奏でる。しかし、これらの機能はこの時計の見所のほんの一部にすぎない。いちばんの目玉はなんと言っても、マンハッタンの夜空を彩る星々――それも、正確な等級で示された星々――と天の川が浮かぶミッドナイト・ブルーの天球図が、実際の天の運行に合わせて回転する機構だ」。

 

 この時計、1999年のサザビーズにて11002500ドル(手数料込み)で落札された。さらに本書上梓後の2014年に再上場され、なんと2320スイスフラン(同上)で競り落とされた、という。

 オタクの無償の愛が世紀を隔てて青天井な報われ方をした、そんな主旨をもってあるいはこのレヴューをまとめることもできるのかもしれない。

 しかし本書には、どうしようもなくバカバカしさを覚えずにはいられない事実が記載されもする。これらグレート・コンプリケーションをめぐる一連のオークションには、実はとんでもないキー・プレイヤーが君臨している。それはつまり、パテックフィリップ本体に他ならない。株式市場における自社株買いの価格操作と何ら異なる点を持たない。

 かつて自分たちが製造した時計を、数十年の時を超えて自ら買い戻しブランディングの素材にする。当主に言わせれば、「時計は人類の文明発展の一部」であり、その歩みをアーカイヴスとして残すのは彼ら自身の使命だ、とでも社会的意義とやらを説明してみせるのだろう。

 しかし私たちはそこにウォードやヘンリーにおけるような、まさしく採算度外視の気配をただの1ミリたりとも感知することができない。現代において例えばパテックフィリップを買い求めるとは、そのマッチポンプのコストを負担させられる試みに他ならない。そしてその行為をもって市場価格の下支えになっているとみなせる者が顧客たる地位を引き受ける。

 ふたりが変えた時計市場のゲームのルールは今やすっかり逆戻り、コレクターとはすなわちメーカーが差し出す既製品をただ買い集めるだけの――それも専ら投機のために――存在へとめでたく回収された。彼らは決してその精密な機械仕掛けにときめきなどしない、ヴィトンやエルメスやグッチと同じ、記号に対して脊髄反射を示すに過ぎない、彼らが唯一高鳴ることができるのは値動きだけ。

 そもそもこの産業が精密機械工学の先端を走っていたのも遠い昔、身も蓋もないことを言えば、複雑機構のその結果などスマホの液晶でいとも簡単にディスプレイできてしまうこの時代に、仮によほどのマニアが現れて並外れた一点ものがオーダーされ、なおかつそれを体現する技術力の貯えがあったとしても、それが金になるとわかれば、早晩メーカーはマイナーチェンジのレプリカに限定数点を謳って大々的に売り出すだろう。そして投資家とやらの手に渡ったそれらは、他の美術品と全く同様に、誰の目に触れることもなくどこぞのポートに移されて、ただひたすらに寝かされる。ベンチャーと同じ、9件がポシャっても、1件が跳ねれば、トータルをプラスで回せる。生じた不良在庫なんて一刻も早く損切るに限る。かつてウォードを刺激しただろうクラフトマンシップはそこにない、まともな人間が触発されるべきイノヴェーションの余地が市場のどこにあるというのか。

「そのよさは持ち主に訊けAsk the Man Who Owns One」とは、ウォードがかつて自社に与えたキャッチコピーだという。自らが愛した時計をめぐるこの行く末を草葉の陰でどう思う。

 

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