地獄の黙示録

 

 この国には四つの政府があるようだ。内閣と、将軍たちと、仏教徒と、ベトコンである。四つのうち内閣と将軍たちはネコの眼よりいそがしく変るからお話にならぬ。仏教徒とベトコンだけが統一力を持っている。農村に浸透しているのもよく似ている。教祖的な、象徴的な一人の指導者をつくらず、何かしら集団指導制とでもいうべき態度をとっているのもよく似ている。仏教徒はベトコンに反対している。いや、コミュニズムに反対している。しかしベトコンは坊さんを殺さない。どんなベトコン地区でも坊さんだけは丸腰で平気でのこのこ入ってゆく。だいたいベトコン兵士にしてから根は仏教徒なのである。つまり大半の農民は熱心な仏教徒なのである。前線基地にいってみてわかったことだが、政府軍の兵士も床板一つないような貧しいバラックに暮らしながらも壁にはちゃんと粗末ながら仏壇をつくり、線香やお燈明を灯しているのである。

 

「この戦争は政府側の負けだ。

 ハッキリ、そうきまった」。

 このテキストが著されたのは1965年のこと、つまりトンキン湾事変から間もなく、アメリカの本格参戦のごく初期にあたる。

 その本を半世紀越しにめくる営みは必然、歴史の答え合わせとしての性質を帯びずにいない。そして驚愕する、記述の何もかもがベトナム戦争の行く末を見通していることに。

 この透視術に何かからくりがあるわけでもない。大作家の霊感などという都市伝説を持ち出すまでもない。ただ単に、戦地をめぐり歩き、話に耳を傾けて、それをその通りにルポルタージュにした、ジャーナリズムの常道と呼ぶべき、ただそれだけのことをしたに過ぎない。当たり前のことを当たり前に行った、ただそれだけで、アームチェアに腰かけてこの開戦のトリガーを引いたケネディ政権、ジョンソン政権が誇るどのベスト・アンド・ブライテストにもはるか勝って、戦場の正鵠を射貫いてみせる。

 彼は《見る》、ひたすらに《見る》、そしてやがて《見る》という行為の暴力性を自ら見る。

 

「この国の政治的論法によると、政府に反対して分裂を画策するものはすべてベトコンに通ずるものだということになるのである」。

 軍部の中から独裁者が現れては、ク・デタをもって突然に政権は転覆し、そして程なく新たな独裁者が台頭しては寝首をかかれる。もちろん彼らは一様に何の未来像を持つでもない。今だけ、金だけ、自分だけ。「将軍たちは権力を貪ります。政治家たちは金力を貪ります。だから兵隊たちは戦争の目的を知りません」。

 もっともこの地にあって、これしきのことは昨日今日にはじまったことではない。「陰謀好きで蓄財術に長けた将軍や政治家連中」は、「1000年の中国と80年のフランスの占領期間中にありとあらゆる詐偽の技巧をおぼえこんだ」、代わる代わる顔をすげ替えてみたところで起きるできごとの何が変わることもない、そんな帝国主義の歴史に培われた果実に過ぎない。

 植民地の時代は一見終わりを迎え、そしてパクス・アメリカーナが幕を開ける。順当にも、と言うべきか、アメリカはこの血まみれの政権を全面的に支持をした。彼らのバックアップを取りつけるに、「反共」スキーム以上のものは何もいらなかった。サダム・フセインを支持したときと同じ、エルサルバドルの内戦時と同じ、グアテマラでも同じ、あるいは戦後日本の「逆コース」と同じ、沖縄と同じ。マッカーシズムを馬鹿の一つ覚えで連呼してさえいれば、彼ら「“自由”の闘士」をサポートすべく「二分ごとにアメリカのお金が降」ってくる、ミサイルという名の。

 そしてアンクル・サムは途方に暮れる、なぜ彼らのために戦っているのに市民たちはむしろ反発心をますます煽られてしまうのだろうか、と。導出される答えはいつだってシンプル、そうだ、共産主義陣営の洗脳の結果に他ならない、と。「ベトナム国内からの外国勢力の撤退、貧農の解放、いかなる外国のヒモもつかない連合政権の樹立……“ベトナム人による、ベトナム人のための、ベトナム人の政府”」を希求するその声に、彼らはいつも「“コミュニズム”が内容する“一党独裁”や“国家計画経済”」を幻聴して、そして武力を振りかざす。国民の大多数を占める仏教徒が「反共」であるというベーシカルなファクトには彼らは耳を貸そうともしない。自らが支持する政権を支持しない輩は、すなわち共産主義者でありベトコンである、彼らはそんな現地民の蒙を啓くべくやむなく軍隊を送り、上空から爆薬を叩き込み、そんな偉大なる犠牲を払ってやっているというのに、一向に何の尊敬も得られないことが不可思議でならない。

 筆者は漏らさずにはいられない。

「バカなこというなよ。ジャングルを枯らしてしもたら全ベトナムが反米主義に走るやないか。そんなことしてもベトコンはなくなれへんよ」。

 

 アメリカ大使館前でのデモ行進を取材する。「約200人の坊さんと尼さん……は、ことごとく黄衣をまとっていた。熱帯の白昼の日光のなかでは眼にしみるくらいあざやかな色彩の氾濫であった」。掲げられたプラカードのメッセージはシンプルだった。

「宗教的平等と自由と民主主義をわれらに与えよ」

「われらは心と精神とベトナムの統一を求める。いかなる分断政策も反人民、反仏教的である」

 そんな丸腰の彼らに武装部隊は催涙弾を投げ込む。

「彼ら彼女らは、一言も抗議の声をあげることなく、ひたすら“非暴力”の教義を死守して、ただ黙々とうなだれて大地に伏した。……このデモは“暴力”ではない。たしかに彼らのつぶやくごとく、“積極的な《非暴力》行動”であった。その寡黙な従順さに私は感動した。信頼しようと思った」。

 

「ほんとにこれは家畜小屋なのだ」。

 筆者はその姿に愕然とする。

ベトナム兵の小屋には何もない。……床板もなければ、入口も戸もない。トイレもなければシャワーもない。塹壕のうしろに155ミリの薬莢の殻がグイと土にさしこんであって、そこへオシッコをするのである。蚊帳もなければ、マットレスもなく、本もない。本なんかいらないのだ。電気がないから本があったところで読めやしない。……物置なのだ。自動銃や鉄兜やカートリッジなどがあるきりの、戦争道具と人体を詰め込んだだけの物置なのだ」。

 これが政府軍最前線の風景だった。これが、アメリカから援助を受け取っている「反共」部隊に割り当てられたリソースのすべてだった。

 その少し前、サイゴン旧正月を目撃していた。

「奇妙な国だ。1200万ドルをアメリカにつぎこんでもらって郊外の木と泥のなかでは毎夜毎夜死闘がくりかえされているのに、この都の、まあ、輝かしいこと、繁栄ぶり、戦争があってはじめて豊富になる都、ネオンと香りの閃き、何がどうなってこうなったやら!」

 そんな前線にまさか士気のひとかけらもあろうはずもない。「戦意もなく、使命感もなく、情熱もな」い「兵士としては地上最低の彼ら」に、しかし筆者はふと感動を催さずにはいられない。

「あたりはぼろぎれと血の氾濫であった。彼らは肩をぬかれ、腿に穴があき、鼻を削られ、尻をそがれ、顎を砕かれていた。しかし、誰一人として呻くものもなく、悶えるものもなかった。……そしてひっそりと死んだ。ピンに刺されたイナゴのようにひっそりと死んでいった。……

 兵士としては地上最低の彼らなのに肉の苦痛に対するこの忍耐力と平静は聖者もしのぐかと思われた。……信念なき政府軍兵士も信念だけのベトコン兵士もこの点だけはまったくおなじであるらしい。普遍的なベトナム人の特性であるらしいのだ。……貧困のどん底に生れたベトナムの農民たちはいったいどんな育てられかたをしてこの純粋の真空状態に達するのだろうか。異民族による搾取が彼らにこの沈黙をあたえたのだろうか。儒教の倫理が教えたのだろうか。仏教が肉と現世を徹底的に侮蔑して最大の苦痛の瞬間に復仇をとげよと教えたのだろうか。貧困が彼らから苦しみ、表現する力を殺してしまったのだろうか」。

「怠けもので、だらしなくて、鉄砲さかさまにかついで歩き、何かといえば洗面器のまわりにしゃがみこみたがる……単純で、優しくて、深」い彼らの、それが最期の光景だった。

 

「兵。銃。密林。空。風。背後からおそう弾音。まわりではすべてのものがうごいていた。私は《見る》と同時に走らねばならなかった。体力と精神力はことごとく自分一人を防衛することに消費されたのだ」。

 幾人もの死者を送るこの経験の中で、あるいは自分自身もまた送られるやもしれぬこの経験の中で、彼はどうしたわけか、「決して汗もなかなければ、吐気も起こさなかった」。

 ところが一件の死を通じて、「私のなかの何かが粉砕された。膝がふるえ、熱い汗が全身を浸し、むかむかと吐き気がこみあげた」。

 それは未明の公開処刑、少年ひとり目がけて10人の憲兵が一斉にライフルを打ち込み、そしてとどめに将校がこめかみを撃ち抜く。

 開高が打ち砕かれたのは、単にその残酷な手口ゆえではなかった。

「この広場では、私は《見る》ことを強制された。私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。……私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。安堵が私を粉砕したのだ。私の感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生れたのだ」。

「死は《死》となった。セルロイドにつめられた劇となった」。

 ただ《見る》というこの経験が、「死」を「《死》」に変換するこの経験が、「安堵」する側に回るこの経験が、開高を破壊した。

 

「それでも人間は大脳の退化した二足獣なのだろうか?」

「チョーヨーイ」な世界の中で、自ら立てたこの問いに、開高は否と答える論拠をしばしば《見る》。

 そうしてこのとき彼は同時に失望に駆られずにはいられない、《見る》という経験がまさしく彼をこの問い立てに押しやったのだ、ということに、人間を《危機》へと押しやったのだ、ということに。

 

 

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