みんなのうた

 

201510月、僕はフィリピン人女性のミカと結婚した。

 ミカと出会ったのは2011年。当時大学院生だった僕は、フィリピンパブを研究しようと、調査の一環で訪れたフィリピンパブで、ホステスとして働いていたミカと出会い、交際を始めた。……

 結婚した後も、僕は定職には就かず、日雇いの仕事や、友人の家族が経営する町工場、母校の大学でのアルバイト生活だった。……

 一方、ミカはフィリピンパブの仕事で月40万円稼ぐ時もあり、僕たち夫婦の稼ぎ頭になってくれていた。……

 フィリピンでは親兄弟や親戚が一緒に住むことは珍しくない。仕事がない大人の男性が昼間からビールを飲み、気持ちよさそうに昼寝をして、子供たちと遊んだり、近所の人たちと外でギャンブルをして盛り上がったりする姿を良く目にする。

 あの頃の僕も、そんなフィリピンでよく見た大人たちと同じだった。

 一般的な日本の家庭であれば「早く就職しろ」「働かないなら出て行け」などと言われそうだが、家で自分だけゴロゴロしているときも、ミカやミカの姉からそんなことを言われることもなく、僕自身も「まぁ何とかなるだろう」と危機感なくのんびりと過ごしていた。

 子どもができるまでは。

 

「すごい。さすが日本。フィリピンだとありえない」。

 かくして妊娠届を提出しに市役所に出向いたミカは、思わず感嘆の声をあげずにはいられない。母子手帳タガログ語バージョンならば、本国では到底望めない補助制度も提供されている。

 もっともその恩恵に彼女は十分にあずかることができない。

 最大の障壁は言語だった。彼女が体得していたのは、パブの接客現場でのいわばOJTによるブロークン・ジャパニーズ。単に問診票の漢字が理解できないだけではない。筆者が読み上げるタイチョウやスイミン程度のヴォキャブラリーすらも、これまでに触れてきていないのだから、容易に呑み込むことができない。どれほどハードが整備されていようとも、「それを知らなければ利用することは出来ない。そうした情報の多くは日本語で書かれている」。産後にホスピタリティあふれる保健師が自宅に訪問してくれても、手渡された冊子をいざトラブルの際に「読んで連絡することは難し」い。そして実際、度々ミカに付き添う義母によれば、「広報誌に書いてある子育てイベントとか、氏の無料で使える施設で、外国人を見たことない」。

 もちろん、行政にしてもこの状況にただ手をこまねいて傍観しているわけではない。「無料日本語教室、多言語での就職相談、多言語での案内表示、市役所での通訳」など「お互いにより住みやすくなるよう努力している」。とはいえ、しばしば外国人から相談を持ち込まれる筆者の目には、「多くの日本人、行政側も、外国人が日本でどういう生活をして、どういうことで困っているかを知らない」ように映る。

 それでも彼女は言う。「日本で子育てできてありがたいよ。フィリピンと違って安全だし、食べ物も安心。子供の病院もお金かからないでしょ。公園も沢山ある。しかも無料。フィリピンだったら子供を安心して遊ばせるところ少ないよ。どこでもお金かかる」。

 

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 前著『フィリピンパブ嬢の社会学』から数年、誰しもが「新たな環境に身を置けば、新たな人生が始まる」。本書が浮上させるのは母国で「生活するのはもう無理」と断言し、「子供は日本で育てたい。だからずっと日本で住むよ」と決意したミカの変わりゆく姿。

 あまりに象徴的なコントラストが描かれる。あるとき血液検査で妊娠糖尿病の診断が下る。「フィリピン料理は脂っこいものが多い。食事中の飲み物も、コーラなど甘いものが主で、生野菜やお茶などはあまり出てこない」。原因は明白で、そうした食生活の蓄積に由来していた。

 日本国内で医師の指導等を受けて食習慣を改善していった彼女とは対照的に、ルーツでは「僕がミカと結婚してから、今までに4人、ミカのおじとおばが亡くなった。/大方は脳梗塞心筋梗塞、糖尿病が原因だ。脂っこい食べ物と甘い飲み物を毎日とるから、生活習慣病を抱えている人が驚くほど多い。体の調子が悪い人も珍しくなく、50代を超えた頃から亡くなる人も出てくる」。

 WHOのデータによれば、フィリピンでの平均余命は、男性で67.4歳、女性で73.6歳。対して日本におけるそれは、それぞれ81.4歳、87.5歳となる。

 このギャップをめぐって、もちろん食生活や医療のみを単一の説明関数とすることはできない。しかしミカは、日本式の生活様式を取り入れることによって、おそらくはより長い命の時間を手に入れることに成功する。

「新たな環境に身を置けば、新たな人生が始まる」、そんな彼女に果たしてどこのバカが嫌なら帰れなどと罵声を浴びせることができるだろうか。

 

 他方で、両国の血を引くハーフであっても、いやだからこそ、「泥水を飲んで生きている」ような針のむしろを日本で味わう者もある。

 その中でも、ひときわ強烈な履歴を持った人物が登場する。

 筆者とは知人を介して知り合ったハーフの彼は、日本語で話しかけても「あ、ごめん、わからない」としか答えることができなかった。ところが驚くことにこの彼はれっきとした日本国籍保有者で、生まれ育ったフィリピンからはオーバーステイで追放されているという。そんなある日、筆者は新聞で彼が逮捕されたことを知る。容疑は覚せい剤取締法違反、大麻取締法違反、関税法違反。

 書類上の母国というだけでことばの通じない環境に放り込まれる、親類や同郷のセーフティ・ネットも作動しない、その孤独の中で薬物に手を染める、あまりに類型的な像がそこにあった。しかもここには、分配をめぐるある種の自由主義的競争原理が強力に作用する。

「外国人が多く増えた今、行政は無料日本語学習や外国人向けの生活相談、就職支援など様々な支援活動を行っているが、行政のそうした努力よりも、彼らを労働力として必要としている企業や、薬物の売人の方が、日本語の出来ない外国人に合わせるスピードが速い」。

 ユーザーは必ずしもシャブを欲しているわけではない、ただし決まって人間関係に飢えている、そのウォンツを巧みにすくい取る。クスリごときに世の中が妄想するほどの効能など含まれてはいない、ただ単に売人の他に誰も話しかけてすらくれないから、そのコミュニケーションを彼らは買う。孤独な彼らに行政の真摯な声は届かない、しかし中毒的に新規顧客を探してやまない商人の嗅覚はリーチする、行政が無能なのではない、市場原理が優秀すぎるのだ、見事としか言いようがない社会資源をめぐるイノヴェーションがここに観察される。

 

 そして今や、「アドボやシニガン、ニラガなどのフィリピン料理が出る時もあれば、焼き魚や鍋、お好み焼き、焼きそば、味噌汁など日本の家庭料理もある」、そんな四人家族の食卓からクライマックスは展開していく。

 あるとき彼女は「外国人から見た日本での生活」をテーマにした発表会で登壇する。おそらくは本書で描かれるような子育てのあれこれを15分にもわたってスピーチしたという。

 そうして大役を果たした彼女を出迎えて、

「子供たちが『ママすごーい!』とミカに言う。

『パパ! ママ頑張ったから昼はしゃぶしゃぶにしてよ!』と娘が言う。頑張ったミカを労うために、その日はしゃぶしゃぶを食べに行った」。

 晴れのごちそうにひとつの鍋を囲む、日本に住まうそんな平凡な家族の平凡な光景がそこにあった。

「新たな環境に身を置けば、新たな人生が始まる」。これからも続いていくだろうつつがなき日々の、そのひとまずの大団円として、これほどまでにふさわしいメニューが他にあるだろうか。

 

 

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