コロンブスの卵

 

 千利休天正十九年(1591年)228日に切腹して果てた、と400年を超える年月言い続けられましたが、本書では、それを否定しています。これはなかなか勇気のいることです。しかし、豊臣秀吉の茶堂として有名な利休の死が謎であることは誰も主張して来ませんでした。問題にされてきたのは、なぜ理由は切腹させられたのか、という原因追及でした。そこでは、利休の切腹は確定事項なのです。ところが、これほど有名な人の死に関して一次史料がないことに気づいたのは私にしても2013年のことでした。もちろん、江戸時代に作られた史料には、利休が秀吉に処刑されたことを書いている史料はいくつもあります。しかし、それらは表千家紀伊徳川家に提出した「千利休由緒書」をもとにした説の繰り返しと考えられます。

 利休切腹を示す一次史料はないのです。……

 これませ利休の存在は大きすぎて、なにもかもが、利休が始めたものになるほどでした。そして利休は茶聖と祭り上げられ、実態は見えてきませんでした。もし、利休が切腹していなければ、茶の湯はどう解釈されるのでしょうか。堺の商人の利休が、茶の湯の芸術至上主義者でなければ、茶の湯は存在しないのでしょうか。そんなことはありません。利休の偉大さはそのままとして、その偉大さの実態を知ることをせずに今日まで至ったのではないかという、反省もあります。

 

 あれも嘘、これも嘘、それも嘘――

 とひとまず言ってはてはみたものの、嘘との表現がはらむどこか過激な響きを本書に対して適用させるのは、さすがに気が引ける。史実が故意にでっち上げられた、そんな義憤の匂いが本書から漂うことは終始ない。歴史のイエスと信仰のキリストの関係にいささか似て、共同幻想のインフレーションを等身大に戻してみたら、とささやかに試みたというに過ぎない。

 ところがその実相に迫る謎解き、どんなミステリーよりもスリリングと来ている。

 

 現代の日本史教科書さえも当然のように巻き込まれている都市伝説、それは例えば、わび茶の大成者としての千利休

 この掴みからして相当なインパクトである。わびさび、という広く人口に膾炙して今なおしばしば利休と紐づけられるこの概念が、必ずしも彼に由来するものではなかった、ですと?

 しかしどうやらそうらしい。時は元禄、江戸版バブル、贅の限りを尽くした茶の湯へのカウンターカルチャーとして持ち出されたのがわび茶で、その精神的指導者として担ぎ上げられたのが遡ること1世紀前の千利休

 そして実際、彼の催した茶席の記録にあたってみると、むしろ浮上してくるのは大坂商人丸出しの「旺盛な営利観念とあぶらぎった俗物根性の持主」としての素顔。

 その傍証を与えるのが例えば、利休の名による茶杓Less is moreな工房で一品一品丹精込めて作り上げる、などというわびさびから想像される光景とはおよそ対照的に、下請けにアウト・ソーシングしたグッズを検品してプロデューサーのネームで売りに出す、という現代的なライセンス・ビジネス構造そのものをはるか先取りする。ましてやその広告塔が時の天下人豊臣秀吉と来ている、なるほど、これだけ的確なブランディングを施して売れない方がどうかしている。

 

 わび茶のエッセンスが凝縮された、その最高峰としてしばしば語られるのが国宝待庵。一般には山崎の戦いに際して、秀吉の命のもと利休のデザインにより今日のプレハブ工法を思わせる仕方で組まれた、と語り継がれている。

「ところが、利休が待庵を作ったという史料は存在しません」。

 うおっ、マジか。

 そればかりか、別に利休は割腹自殺によりこの世を去ってもいなければ、その後の史料にも彼がごく平然と秀吉に付き従っていた、と読む方が順当と取れる記述が登場する、と言うではないか。

 逆張り極まれり、と思いきや、なるほど本書の論にこそむしろ説得力を認めずにはいられない。

 例えば文禄元年(1592年)の書簡にあらわれるのは、伏見城は「りきうにこのませ」て作るように、との厳命。ところが後の歴史家たちは概ねこのくだりについて、彼の自裁を前提に、亡き利休ならばこうしただろうとの想定で、とアクロバティックな現代語訳を披露せずにはいられない。

 ひょっとして、と発想を切り替えてみる。この手紙を利休の死を踏まえてを読み解こうとするのではなく、秀吉というキーパーソンによる生存証明として捉え直してみると――

 論理パズルがほどけた刹那のあの快感に、目からはらりと鱗が落ちる。

 

 もしかすると、お歴々が茶に求めた機能も、そんなコロンブスの卵を産む転機としてのティー・ブレイクだったのかもしれない。

 コーヒーもチョコレートもエナジー・ドリンクもない時代に、貴重な貴重なカフェインの刺激に天啓を乞う。文化人類学のフィールド・ワークが教えるに、ドラッグをめぐるイニシエーションがしばしば強迫的な儀式性を伴うように、今日となってはたかが茶としか思えない何かにすら、格式張ったセレモニーを展開せずにはいられなかった、のかもしれない。そうして束の間降臨する神に、たまたま利休という名前が宛がわれた、のかもしれない。

 虚構のインフレーションに振り回される、それはあるいは茶につきまとう宿命なのかもしれない。

 

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