マイスモールランド

 

 ずっと昔に起きた戦争の最中に誰がアンネ・フランクを密告したかを調べたところで、なんの役に立つのか、と疑問に思う人がいるかもしれない。その答えはこうだ――戦争が終わって80年近くなった現在、わたしたちは平和に慣れてしまい、かつてのオランダの人々と同じように、ここでそんなことが起きるなんてありえないと思っている。しかし、現代社会はイデオロギーの対立と権威主義の誘惑にますます弱くなっているように思われるし、ファシズムの芽を野放しにしておくと世間に広がっていくという単純な教訓を、人々は忘れてしまっている。

 アンネ・フランクの世界がこのことをはっきり教えてくれる。戦争に使われる本当の武器は何か? 肉体的な暴力だけでなく、言葉の暴力も武器になる。ヒトラーがいかにして権力を掌握したかを解明しようとして、1943年に合衆国戦略情報局がヒトラーの戦略を説明する報告書作成を指示したことがあった。“過失や罪はけっして認めるな。責任はけっして負うな。一度にひとつの敵に集中せよ。悪いことはすべてその敵のせいにせよ。あらゆる機会を利用して政治的な嵐を起こせ”。ほどなく、誇張、極論、誹謗、抽象が日常茶飯事となり、権力側の意に沿う媒体となっていく。

 占領下に置かれたアムステルダムのような街の変貌を見ていくのは、日和見主義か、自己欺瞞か、金銭欲か、臆病さからナチスを支持した人々がいたし、ナチスに抵抗した人々もいたけれど、大多数は目立たないようにしていたという事実を理解することである。

 自分たちを保護してくれるはずの社会制度を人々が信用できなくなったとき、何が起きるのか? 正しき行動の根本をなし、それを保護するはずの基本的な法律が崩壊したとき、何が起きるのか? 1940年代のオランダはペトリ皿のようなもので、大惨事に見舞われたときに自由のなかで育った人々がどう反応するかを観察することができる。それはいまなお、問いかける価値のある問題である。

 

 確かに、科学のアシストは今般の調査を大いに後押ししただろう。ITはデータベースの構築や照合の精度を飛躍的に高めた。本書の結論を導出するに際しての決定打となったとある物的証拠の吟味にしても、半世紀前にはおそらくかなわなかっただろう。

 しかし、この事件を解く最大の糸口は、実のところ、ただひとり生き残ったアンネの父、オットーの変化にあった。1948年にも対独協力者を暴き出すための試みとして、密告者をめぐる調査は行われた。『アンネの日記』のセンセーションを受けて、1960年代にも公的機関による再検討が重ねられた。幾人もの人物が捜査線に浮上こそするものの、その特定には至らなかった。

 この二度の調査において異なる点といえば――「たいした違いはない。オットー・フランクの行動を別にすれば」。我が身を脅かされ家族の命を奪われた彼の中でいつしか、「密告者の正体が“未解決の謎ではなくなり、厳重に守られてきた秘密に変わってしまった”」。

 もちろんこのレビューにおいて、コールドケース捜査班が辿り着いた真犯人の名を明かすようなまねをするつもりはない。しかし、オットーを襲ったこの変心について多少の言及を行うことは許されよう。

 考えてもみてほしい、もし仮に相手が単なる反ユダヤに憑かれたどうしようもない風見鶏であったとするならば、彼には何の庇い立てをしてやる筋合いもない。悔悛の涙一滴にほだされて墓場まで“秘密”を持ち越した、とするのもいささか苦しいものがある。

 彼は、密告者の中に自らに近しい何かをおそらくは見た。“ユダヤ人狩り部隊”の貪婪がたまさかその場に残していったダイアリーの中の愛娘をよすがに辛うじて正気を繋ぎ止めていた父は、一脈ならず互いに通うチーターに裏切り者ならざる像を重ねずにはいられなかった。

 

《隠れ家》での25カ月にも及ぶ日々の中、物音ひとつ立てられぬ緊張に苛まれて、陽光すらも知らぬアンネはひたすらの自己省察に入る、いや、余儀なくされたと言わねばならない。

 収容所をアンネとともに過ごし、そして戦後にオットーとの面談を果たした女性は証言した。

「アンネは“顔を保っていた”……これは収容所のスラングで、非人間的な環境に完全に打ちのめされていない者を意味している。夫人が言うには、アンネの美しさは大きな目に凝縮され、その目はいまなお哀れみ湛えてほかの者たちの苦悩を見つめていたという。顔を失った者たちはとっくに感情を持つことをやめている。……“周囲で何が起きているかを最後まで見届けようとする少女”だった」。

 幽閉空間の中で、日記の中で、自らの肉体を直視したのとまるで同じその眼差しで、彼女はこの世の地獄を見た。

 今さら真実を掘り起こしたところで何になる? 誰が得をする? おそらくは本書をめぐって少なからず投げかけられるだろうそんな問いへの答えをアンネは明確に示している。

 愚かしい過去に向き合わぬことはすなわち、“顔を保っている”その状態を放棄すること、それこそがアンネに対する最悪の裏切りに他ならないのだ、と。

 

 そして世界は、アンネを包囲した憎悪の炎を再来させた。ユダヤ人がユダヤ人だというただそれだけで、黒人が黒人だというただそれだけで、LGBTQLGBTQだというただそれだけで、難民が難民だというただそれだけで、ヘイト・クライムにさらされる。“顔を保”たぬ者どもは、他者にも“顔”を認めない。

 昨今、入管法をめぐって杉原千畝の記憶が呼び覚まされずにはいない。もっとも、“顔”なしの日本すごいビリーバーズは、すっかり忘れてしまったらしい。戦後、「命のビザ」をめぐって、杉原は謙遜とともに振り返ったという。

「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」。

 それでもなお、人々はここに英雄的な行為を見ずにはいられない。誰しもができるわけではない例外にすぎぬことを現に世界は身をもって経験し続けているのだから。

「逮捕と移送の恐怖につねにさらされて生きていたら、正常な倫理観をどうやって保てるだろう? そんな人はごく稀で、ほとんどは無理だ」。

 もし自分がこのケースに立たされたらどう振る舞えるだろう、との問いは意味をなさない。歴史の教訓として、密告者が立たされただろうこんな極限状況に置かれないためにこそ、ホロコーストを作らないためにこそ、政治はあるし、社会制度はあるし、憲法はあるし、ことばはあるし、“顔”はある。

 ところが既に私たちはそのヒューマン・セキュリティが崩壊した奈落に叩き込まれている、いや、自らを叩き込んだ。彼らに言わせれば、「顔を失った者たちはとっくに感情を持つことをやめている」この自殺行為こそが現実主義的な対応なのだと誇って憚らない。こうして彼らは、peopleの訳語であることすら満足に理解できない知能をもって、図らずも自らに人民たる資質を認めることすらも放棄した。

 狂気の嵐のただ中で、“顔を保”ちたければ――書くしかない、読むしかない、現実をこの目に刻むしかない、まさにアンネがそうしたように。

 

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com