坑夫

 

 本書は、まもなく21世紀をむかえようとしていたころ、大学卒業後の1年間を、就職することなく、その日暮らしをおくっていたところから話がはじまります。……

 私が身を置いたのは、アルバイトで生活費を捻出しながら「神保町」をウロウロする日々でした。「社会」との直接対決を軽やかに回避しながら本の世界に没頭する、とは当時の言い分ですが、内実は、ドロップアウトをしたようでしていない、モラトリアムを享受しているようでしていない、中途半端なポジションにいました。

 本書の内容は、「就職しないで生きたい」と考えていた自分が、ウロついた先の神保町の古本屋で就職し、その後古本屋として独立をし、つまりは現実社会にどっぷり浸かっていく様子です。20世紀が終わりを告げようとするころからおよそ15年の間に、私の身の上におこったことです。

 

「『坑夫』という単語は、いまではほとんど使われないけれども、私の人生のなかでは幾度となく目の前に現れた。現れるべくして現れたといえよう」。

 はじまりは中学生の時分に入れ上げていた切手収集。戦後間もなく発行された産業図案切手というシリーズの一枚が、赤茶色の「坑夫」だった。

 次いで現れたのは、22歳で住まった、中野駅から程近くにして家賃3万円のアパート。戦前に建てられたロフトつきの物件。その下段は扉つきの収納、不動産屋曰く、「昔は石炭置場として使っていました」。

 最初の就職先にすら、この「坑夫」はついてきた。やはり1930年代に建てられたその古書店の「地下室は昔ボイラー室になっていた、石炭が積んであった」。

 独立して一国一城の主となる、その決意を固めさせたのも「坑夫」だった。昭和2年築のその趣に一目惚れた筆者は、思わず尋ねずにはいられなかった。「このビルに石炭置場は残っていませんか」、と。そして案の定、あった。重いものを運び入れるためのレールが延びるその先は、いかにも厳めしい鉄製の扉だった。

 

「これからはユニクロルイ・ヴィトンのどちらかで、その中間はない」。高級路線か、コモディティか、その二極化の狭間に立たされるのは、古本屋とて例外ではなかった。

 特定ジャンルの知識や仕入れルートに卓越することでブランディングを既に確立している先行業者を新規参入組が凌駕するというのはあまり現実的な話ではない。スケール・メリットがもたらすコスト・パフォーマンスを求めるならば、個人商店がブックオフやネットに太刀打ちできようはずもない。そうした背景から写真集に特化した路線を打ち出し、チェコにまで出向いて品揃えを図り店を開いてはみたものの、その程度の差別化では顧客層に訴求しない。

 その突破口となったのは、やはりここでも「坑夫」だった。

 扱われている品物それ自体にあるいはさしたる個性はなかったかもしれない、しかし、「坑夫」でつながるその建物は今となってはワン・アンド・オンリーとなっていた。「感度の高い本を販売し、ギャラリーで空間にあった展覧会を催す」、森岡書店はモノを売らない、トポスを売る。石炭という旧式のエネルギー産業の、現代にわずかに残された痕跡から、筆者は見事に鉱脈を掘り当てる。

 奇しくも本書内で、村上春樹海辺のカフカ』からの引用がある。

「ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつける――少なくともある種の人間の心を強く引きつける」。

 これらの設計が構想していたのは、ポスト関東大震災の堅牢さに囲われて、50年先も100年先も石炭で暖を取り続ける、おそらくはそんな未来だった。ただし大空襲を生き延びたその未来は、イノヴェーションに置き去りにされ頓挫した。

 もはや収納すべき何かを失った無用の扉を持つ建物が、再開発の波からも免れて、ところが「ある種の人間の心を強く引きつけ」てしまった、彼らにとってはエモくて映えた。

 奥深くへと沈潜する、当人曰く「地下二階」のこのモチーフは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も同じ、『ねじまき鳥クロニクル』も同じ、『カフカ』以前から度々繰り出される、村上一流の作家性だった。『カフカ』の中で、やはり主人公は漱石『坑夫』をひもときながらささやく。

「そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ」。

 掘ったところで何が出てくることもない、しかし、掘るという営みそれ自体が「少なくともある種の人間の心を強く引きつける」。

 古本が欲しければネットで最安値を探せばいい、今ならば海外にその検索を拡げることもたやすい。しかしトポスを踏みしめたというその記憶は、relentless.comでは現状取り扱いがない。

 

 モノ消費からコト消費へ。

 ヨハネス・グーテンベルクの革命から600年、大量生産可能な活版印刷を媒介とした森岡書店というひとつの到達点は、なるほど確かに少なからぬ「ある種の人間の心を強く引きつけ」たものらしい。

 さりとて、彼らがそのコピー・アンド・ペースト銀河系の重力圏から何ら逃れているわけではない。それどころか、テキストというモノが表現する知の汎用性に抗って、このセグメントが消費を通じてせっせと暴露したのは、この世の一切のコトこそが、まさに活版から押し当てられたかのごときスクリプト的量産品でしかない、というそのみすぼらしい事態だった。

 この世のすべてのコトなんて、タッチパネルで置換可能、置換不要。

「地下二階」なんてどこにもない。テキストという二次元空間よりももっとずっと、世界は呆れるほどに平板にできている。

 

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