むかしむかしあるところに

 

「悪」はしばしば魅力的に語られる。これが問題とされるのは映画で魅力的に描かれた悪が、観客に、特に未成年者に悪い影響を与えると一般に言われているからだが、この本では逆に、だからこそ、何ゆえに悪は魅力的なのか、その魅力の本質は何かという根源的な疑問を、われわれが青少年時代に俘虜になったあの「悪い映画」たちによって解き明かしたいと思うのである。……つまりは、映画そのものが悪と看做されることもあったわが少年時代からの、映画における悪とされるものの魅力の源、本質は、ただその映画を語るだけでそれがどんなものかを解明してくれる筈なのである。

 

 あれ、何を読まされているのだろう。

 テキストをめくりながら、そんな困惑にひたすら駆られる。振り返ってみれば確かに、まえがきで既に「ただその映画を語る」だけの本だ、とマニフェストしてあったのだが、ある面馬鹿正直なまでに、ひたすら「活劇映画」のあらすじをなぞり続けるのである。あとはせいぜいが、この俳優は他の作品ではこんな役柄を演じていたとか、あの作品でアカデミー賞を獲ったとか、それくらい。

 あとがきで筒井が本書を振り返って言っている。

「なんと言っても自分は評論家ではなく小説家なのだと思い知らされたりもした。小説家にとって自分の書いたもの以外の作品に対しては、分析なんかよりもストーリイが大事なのであり、自他のその場面その場面への思い入れは本来ストーリイの中で語らなければならない」。

 なるほど、書き手はこの言の通りの仕事を忠実に果たしている。

 

 本書を読みながら、はたと思い当たる。

 むかしむかしあるところに、と幼児が口頭伝承の昔話を祖父母から聞かされてきた、というその営み自体が既に言い伝えと化している過去の習いをこのテキストは「ストーリイ」を通じて再現しているのではなかろうか、と。

 1981年生まれの私が生まれた頃には、既にその習慣は消えていた。それらはとうに印刷媒体やあるいはテレビを経由して接するものとなっていた。中央集権的なメディアが可能となったことが方言を事実上消し去ったのと同じ仕方で、少なくとも私の周辺からは、とうにローカルなおとぎ話は消滅して、うろ覚えの帳尻合わせなんてものが入り込む余地も奪われて、最大公約数的な規格品として取引される産物に姿を変えていた。

 テレビの黎明期にはアニメを指して電子紙芝居などということがあったらしい。そんな顰に倣うように、このおじいちゃんの長話に触れるにつけ、古い映画を鑑賞する、あるいは回顧するという行為それ自体が、既に昔話的な何かを獲得しているのではなかろうか、そんな気分に苛まれる。

 むかしという仕方でここではないどこかへと連れ出す。ある時代においては、それは語りをもって、後にそれは絵本をもって、そしてもしかしたら現代においては、それは動画作品をもって行われる。ただ単にメディアが変わっただけで、ひょっとしたらメッセージそのものはさして変わっていない。

 

 その中で、あっと思い出したように時に「悪い映画」の中の「疑似家族」を語りはじめる。

「ハタリ!」を紹介する、そのひとくだり。「またしても全員がラウンジにいる団欒のシーン。……疑似家族の疑似家庭というこんなシーンを〔ハワード・〕ホークスは好んだようだ。それはスタッフの一部も含めたキャスト全員が参加する仕事のあとの打ち上げを思わせたりもする。つまりわれわれから見ればこの金のかかった、道楽仕事とも言える贅沢な大作を作り上げる過程で、奇妙に映画作りのプロセスに酷似した描き方がなされているのだ」。

 おじいちゃん、おばあちゃんの膝の上という家族の中で、昔話へと連れ出される。映画が観客をここではないどこかに招き入れるように、子供をいざなうそのサークルは、その場その時限りの疑似家族的な営みに果てしなく似る。

「悪い」をめぐって別なる道徳の世界線を有する輪の中に溶け込む、「ストーリイ」という時をかける試みはすべからく「疑似家族」の言い換えにすぎない、のかもしれない。

 

 そして再び筆者は現実に引き戻される。

「と、ここまで書いて困ったことが起こってしまった。……この原稿を推敲し、DVDもチェックしてくれていた嫁の筒井智子が、気になったのでこの映画をロシアの無料動画のサイトで見たところ、そんな場面がないと判明したのである。つまり参考にしていた〔ジョン・〕ヒューストンの自伝『王になろうとした男』の記述がでたらめであることがわかったのだ。現在『パナマの死角』というタイトルで売られているこの映画のDVDを取り寄せて確認したところ、やはりそんな場面はない」。

 夢か現か、まるで「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスを地で行くような、そんな「疑似家族」の「ストーリイ」のはざまから筒井を連れ帰ったのは、リアルな家族、リアルの義娘だった。

 彼にはそんな昔話に延々と耳を澄ましてくれる家族があった。

 

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