「  」

 

 5年生になった頃、塾の先生が家に電話をかけてきた。

「お母さん、潤君のノートをご覧になったことはありますか?」

 なんのことだか理解できなかった母さんは、ぼくのノートを見て絶句した。

「えっ……」

 ぼくのノートは、最初の見開き、つまり2ページ目と3ページ目が真っ黒だった。

 黒い墨やマジックで塗りつぶしたのではなく、鉛筆の文字で埋め尽くされて真っ黒になっている。

 ぼくはなぜかページをめくれなくなっていたのだ。(中略)

 だから仕方なく、文字を書いていない余白に続きを写していく。余白がなくなったら、今度は文字の上に文字を書いていく。読めなくなっても、ひたすら最初の見開きに鉛筆を走らせる。結果的に、ぼくは真っ黒いノートを作っていた。

 これは、最初にぼくが発したSOSのサインだったのだと思う。

 

 自分は周りから臭いと思われている。そう思い込んでしまう精神疾患を「自己臭恐怖症」という。今も通院している病院で知ることになるのだが、中学2年のぼくはそんな専門用語など知る由もない。ましてや自分の心が病気に侵され始めているなんて思いもよらなかった。

 幻聴も同じで、ぼくはずっと、本当に聞こえている声だと思い込んでいた。

 みんながぼくのことを「臭い」と言っている、それだけが、ぼくにとっての真実だった。

 

 人前に出ることによって、確かにぼくの症状は良くなっていった。幻聴や幻覚も出ず、自分で認識できるほど、頭がクリアになっていく。

 そこに、油断があった。ぼくが病気であることを知っていた友人たちが、ぼくを励まそうとして言ってくれた。

「そんなにたくさん薬を飲まなくても大丈夫だよ」

「薬なんか、早く止められるように頑張れよ」

 うれしくなったぼくは、先生にも告げず、自分一人の判断で飲むべき薬の量を減らしていった。(中略)

 外からどんなふうに見られていたか知らないけれど、自信はあった。薬に頼らなくても、ぼくは普通にやれるんだ、と。ただの過信だったのに、ぼくは間違った方向に舵を切っていた。

 

 ぼくは引っ越した新しい住まいで、新たな恐怖に襲われる。

 高校時代、学校の廊下が波打ってぼくを吞み込もうとしてきたことがあったけれど、今度は別の種類だ。いまだに、本当に見えたと思えるほどのリアルな映像を、ぼくはいつも見るようになる。(中略)

 南の窓に現れた幻は、キックさんやモンチ[友人の名前]ではない。ライフルの銃口がぼくに向けられている。スナイパーだ。

「やばい!」

 反射的にのけぞり、壁に頭を強く打った。(中略)

 スナイパーは、いろんなところからぼくを狙ってきた。キックさんやモンチが見えた看板、マンション下の電柱の影、向かいの建物に隣接した駐車場、時には駐車場に停めてある軽トラックの荷台の上から銃口を向けてきた。

 スナイパーが、ぼくにもっとも接近した場所は、玄関だった。気配を感じ、恐る恐る見に行くと、ドアの郵便受けが内側にパカッと開いた。

「あ、罠だ!」

 思うが早いや、郵便受けから銃口がヌーっと現れてぼくを狙った。

「アサシンだ! 暗殺者だ!」

 部屋の中の物をなぎ倒しながら、ぼくは奥へ逃げていた。殺される。逃げなきゃ。ぼくはわめきながら、玄関から一番遠い風呂場に逃げ込み、ドアを閉めた。

 体は恐怖にガタガタと震え、歯はガチガチと音を立てる。震えを抑えるため、両腕で強く自分を抱きしめるようにする。指先に力が入り、爪が上腕にめり込んでいく。痛みなどなかった。怖くて、恐ろしくて、「助けてくれ、助けてくれ」と、誰もいないのに泣きながらお願いした。

 

 次から次へとたたみかけてくるその体験に、幾度本を伏せたことだろう。

 しかし、こうしたセンセーショナルな記述は、加賀谷が味わった症例の、ほんの氷山の一角でしかない。というのも、こうしたいかにも特徴的なかたちで描き出される「幻覚(幻視・幻聴など)や妄想という、統合失調症の『陽性症状』」にさらされる数百倍、数千倍の時間を、彼は「感情の鈍麻、集中力や気力の低下、どんよりした気持ちの状態」の「陰性症状」とともに過ごしていたのだろうから。「そもそも思い出せるだけの感情が、なかったのかもしれない」、だからこそことばにしようもない、なりようもない。このテキストはそんな「ぬけがら」の空白で満たされる。

 象徴的なシーンがある。

 外泊許可が出たので、両親と彼女とぼくの4人で、ファミリーレストランに行った時のことだ。(中略)

 ほどなくカレーが運ばれてきて、ぼくは、「いただきます」とスプーンを手にした。目の前の御馳走を食べようと、カレーをすくい上げる。だが、口までもう5センチのところで動作を停止させるしかない。舌の不随意運動〔薬の副反応に由来する遅発性ジスキネジア〕が始まってしまったからだ。このまま食べれば、間違いなく、口からカレーを撒き散らかしてしまう。

「動くな! 動くな!」と命令しても、舌はぼくの言うことなど聞いてくれない。止まっているスプーンに顔を近づけてみたが、やっぱり食べることはできない。悔しくて涙が流れた。ぼくはその姿勢のまま30分間固まっていた。

 ただ単に目で追うだけならば、ものの数十秒で足りてしまうほどの文字数にすぎない、しかし実際にはここに30分もの凍りついた時間が凝縮されている。

「あれ? 何か忘れてるな。あれあれ? なんだっけ?」

 忘れ物がなくても、気になって考えてしまう。なんだろう、なんだろうと、同じことをぐるぐる考えてしまう。ふと我に返り、時計を見ると、一時間半が経っている。

 このタイムスケールの倍率が、読み解かれねばならない行間を暗示する。

 毒親ものとして読むこともできよう。閉鎖病棟の非人道的な医療システムをめぐる告発と捉えることもできよう。今一度世界に向けて歩み出す、その軌跡に胸を熱くすることもできよう。しかし、このテキストのポイントはもはや、それら書かれた文字の中にはない。

 文字にすらなることのできなかった何かが、密やかに滲み出る。彼から失われた時間が。

 

 入院後、経過観察のために放り込まれた、ひとりきりのある日の保護室

 午後を過ぎてゆくと、窓から西日が入ってきた。1日の中で部屋が一番明るくなる時間帯。が、その明るさは逆に暗さへの序曲でもある。日暮れになると、明るい日差しはだんだんとオレンジ色を帯びてきて夕日となっていく。また、一日が何も変わらず終わってしまう。

 窓から差し込むオレンジ色の自然光は、ぼくを不安にさせた。

 このままでいいのだろうか。

 ぼくは閉鎖病棟保護室で時間を捨てているのではないか。

 外の世界はどんどん進んでいるのに、ぼく一人取り残されて……。心がザワザワする。何者かがぼくの臓器の中で拳を押し付け、グワァーっと圧力をかけてくる。

 

 ムダダヨ

 オマエナンテ ナニヤッテモ ムリダヨ

 モウ オシマイナンダヨ

 

 ぼくは追われていた。自分自身に追われていた。

 日が沈み暗くなると、保護室は蛍光灯の白い明かりに守られた。窓はカーテンが引かれ、ぼくのザワザワした心は落ち着きを取り戻した。消灯後も、小さなオレンジ色の灯りは点いたが、さほど気になることはなかった。窓から忍び込む夕日だけが、ぼくの心を掻き乱した。

 そのせいか、いまだにぼくは、夕日を見ると、心がザワザワしてしまう。どんなに具合がよくなろうとも、夕日によるザワザワは、一生治まることはないような気がする。

 

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