誰がために教誨師はいる

 

 拘置所という施設は、被告人が裁判の判決が確定するまでの間に拘留される場所だ。ほとんどの者は実刑判決確定後、すぐに刑務所へと送られる。しかし、「死刑」判決を受けた者だけは処遇が異なる。彼らは死刑執行の日まで、そのまま拘置所に留め置かれる。死刑判決が確定すると、死刑囚は面会や手紙など外部とのやりとりを厳しく制限され、死刑が執行されるまでの日々のほとんどを拘置所の独房でひとり過ごす。教誨師は、そんな死刑囚たちと唯一、自由に面会することを許された民間人だ。

 間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会うという役回り。それも一銭の報酬も支払われないボランティアだという。渡邉〔普相〕ほど長いキャリアを持つ死刑囚の教誨師は全国どこを探しても見当たらないし、恐らく今後も現れないだろう。理由は、その任務の過酷さである。身体よりも心がもたなくなる者が多いという。

 そんな務めをなぜ半世紀も続けているのか、いや続けることが出来たのか。

 死刑囚との面接、そして死刑執行の現場という社会から完全に隔絶された空間で、彼がその目で見てきたこと、宗教者としてやってきたこと、そして半世紀を経て自身の職務についてどう考えているのか、本音を聞いてみたいと思った。

 

 人は二度死ぬ。すなわち一度は肉体的な死をもって、そして一度は他者の記憶からの忘却をもって。

 もしかしたら殺人者においては、さらに一度の死が付け加わるのかもしれない。

 教誨師・渡邉普相は、対話を重ねていく中で否応なしに気づかされる。とある死刑囚は、「実母に二度も捨てられたという現実に耐え切れず、いっそ死んでしまおうと何度も手首を切り、自殺未遂を繰り返した。渡邉は、死刑囚の多くが殺人を犯す前に自殺を試みているのは本当に共通しているなと思った。絶望の果てにその手に握った刃が、自分か相手のどちらに向くかなのだ」。

 自分を殺す経験と、相手を殺す経験は限りなく似ている。

 あるとき彼は見出す。「死刑囚には、(中略)被害者的な恨みに捉われている者があまりに多く見受けられた。幼い頃から家や社会で虐げられ、謂れのない差別や人一倍の不運に晒されて生きてきた者が圧倒的に多い。そして成長するにつれ、自己防衛のために自己中心の価値観しか持てなくなっていく。(中略)/殺人者の話に耳を傾けようとする者などいない」。そうしたことばを聴いてくれる者のひとりでも仮にあったら、あるいは彼らはその道を選ばずとも済んだかもしれない。誰の記憶に焼きつくことすらなかったという仕方で既に社会的な死を強いられていた透明な存在が、聞き手を持つことでここに命を吹き込まれる。

 渡邉が帰依する浄土真宗の教えでは、「尽きることのない現生の苦しみを解決する道を浄土、そして阿弥陀仏に求めた。自分ひとりの力でなし得ることの限界を認め、“人を救う”という己の力を過大視した『自力』の発想を否定した。そして、どんな人間のことも赦し受け止めてくれる絶対的な存在である阿弥陀仏にすべてを委ねた」。教誨師に向けて自分の人生のことばを紡ぎ出す試みは、「阿弥陀仏にすべてを委ね」る経験と果てしなく近しい。そもそも“人を救う”ことなどできない、「自分ひとりの力でなし得ることの限界を認め」る渡邉には、死刑囚たちの声にただ耳を澄ませることしかできない。しかし、彼らにとっては聞き手を持つということは、壁や虚空に向けて声をぶつける内攻とは決定的に異なる意味を有する。彼らの目には、聞き手は「どんな人間のことも赦し受け止めてくれる絶対的な存在である阿弥陀仏」のいわば分身として降臨する。

 

 エリザベス・キューブラー=ロスの不朽の名著『死ぬ瞬間On Death and Dying』は、余命を告げられた当事者がたどる「否認」から「受容」へと至る5つのプロセスを明らめたことをもって広く読み継がれている。

 しかし、今日においては時にいささか異なる観点をもって論じられることがある。すなわち、それまで往々にして忌避されがちだった末期患者に彼女が耳を傾けたそのヒアリング行為こそが、「自力」の限界としての「受容」を導いたのではなかろうか、と。聞き手を持つことこそが、死を前にした彼らを変えたのではなかろうか、と。

 

 そうはいっても死刑とは、「だって人殺しじゃないですか。良いことをやっているわけじゃないでしょう? みんな仕方なしに……(※力を込めすぎて声がかすれる)……やっているんです。私たちも喜んで立ち会いしているわけじゃありません。だけども、死刑というものがある限り、誰かが、誰かがやらないといけない」。

 そうして絞首刑の現場に面し続けた渡邉がたどった運命は、少なからぬPTSD患者が逃れる先と同じく、「否認の病気」、つまりアルコール依存症だった。

 ついには精神病院から教誨へと通うに至った渡邉を救ったのは、高飛車な医師でもカウンセラーでもなく、他ならぬ死刑囚たちだった。あるときそのうちのひとりに病状を打ち明けると、噂はあっという間に広まって、「酒や女の話など自分の方から経験を打ち明けてきた。(中略)『先生、大丈夫だったか』と抱きついてくる者まで現れた。死刑囚が教誨師に走り寄って抱きつくのだから、付き添いの刑務官は目を白黒させていた」。

 皮肉にも依存症が、当の渡邉を「自力」の否定の境地へと誘った。

「ただ相手の話に真摯に耳をかたむけ、『聴く』。少しでも穏やかな時間を作る。偏見を持たず、ひとりの人間として向き合い、会話を重ね、時を重ね、同じ空間に寄り添う。出来ることは、それだけ」。

 互いに互いの声を聴くことで、依存症の淵にある者同士が支え合う、そんなアルコホーリクス・アノニマスの現場で長年にわたりモットーとして掲げられていることばがある。それは20世紀屈指のアメリ神学者の名からニーバーの祈りと専ら呼ばれ、他にもさまざまな場面で引き合いに出されることばでもある。

「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」。

 依存症も同じ、死刑囚も同じ、そして娑婆も同じ。

 

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