夢の中へ

 

「人間五十年という時代には起きなかった悲劇かもしれないな、これは。食生活の向上で平均寿命が延びたとはきいてたが、実態がこれだということに気がついているのかな、世の中は」。

 十余年ぶりに本書を再読する。

 事前に絵としてはっきりと覚えていたことといえば、「暴走老人」の語にはるか先行するように、老人が遮二無二杉並の街を爆進していくシーンと、途中から登場する離れを借りた若いカップルが夏の最中に家の中をビキニ姿で過ごす、世代間のギャップを表徴するシーン。

 読みながら、あれ、そうだっけ、と気づかされる。原著の出版は1972年、唐突な仕方で「恍惚の人」茂造の介護問題に直面させられる息子夫婦、昭子と信利は紛れもなく戦争経験世代として設定されているのである。

 血は水より濃い、が死語と化したのは昨日今日にはじまった話ではない。本書で有吉が描き出す通り、そもそものはじめからそうだった。仮に違いがあるとすれば、その事実に直面せずにいられたか、否か、言い換えれば、甲斐甲斐しいケアを施すまでもなく、姥捨て山を演じるまでもなく、「文明病」としての痴呆を待たずしてあの世に召されていたか、否か、でしかない。乳幼児死亡率の低下のみで平均余命の上昇は決して説明されない。

 日中の茂造を預けるべく、地域の敬老会館を訪ねた昭子は告げられる。

「珍しいですね、私この仕事し始めてからお嫁さんが下見に来たり挨拶しに見えたりっていうの、今日が初めてです。何かあってこちらで連絡しても、いつもお世話さまですなんて言うお嫁さんも少ないくらいで」、50年前の読者たちはこの証言にさしたる違和感を持たなかった、だからこそベストセラーへと押し上げられた。

 アメリカにおいてすら、専業主婦crafty wifeなる概念が人口に膾炙するようになるには実のところ、第二次世界大戦の終了を待たねばならない。そんなものは、労働のパイの拡張期に、束の間逆説的に現れた蜃気楼に過ぎない。家父長制がより堅牢に支配していた時代ですらも、よほどの上位カーストを別にすれば、既婚女性もまた、何かしらの従事へと動員されていた。老人介護など、家単位でも社会単位でもその想定すらなかった。家屋などのインフラを見れば、一目瞭然にその事実は了承されよう。

 それを象徴するような数字を有吉は突きつける。

「表になっている定員数を合計してみると、軽費老人ホームで、ざっと、700名の収容力しかないことが分った。有料老人ホームに到っては200名足らずの収容能力しかない。昭子は溜息が出た。老人福祉課とか、老人福祉指導主事とか、役所には立派な役職や係員がいるけれど、施設がこんなに少なくては実際には何も解決しないではないか。老人を抱えたら誰かが犠牲になることは、どうも仕方がないですね。と、たった今、主事さんが言ったばかりの言葉が思い出された」。

 

 なるほど確かに、いかにもインパクトに富んだ存在として茂造は描き出される。しかし本書にその内面のナレーションが刻まれることはない。食べて寝て排泄をして時に徘徊、実子を闖入した暴漢と取り違える、体感で「56歳児の知能」、そして後に3歳レベルまで子ども返りする茂造はあくまでトリックスターに過ぎない。いくら取材や資料を積み重ねたところで、ロジックの境界を越えたこの絶対的な他者は他者であることをやめない。主観の牢獄のメタファーとしての認知症を設定したに過ぎないアンソニー・ホプキンス扮する『ファーザー』とは異なり、あくまでこのアウトサイダーに振り回される存在としての昭子を設定することでしか、物語として成立させることはできない。変わり果てた実父を前に夫にできることといえば、ただおろおろと逃げ回り、時に逆ギレをかますことだけ。

 この『恍惚の人』、単に社会問題をフィクションに落とし込みました、というだけではない、やはり小説として圧倒的にうまい。

 物語中盤に差しかかる頃、「外へ出て、信号の青を見ながら通りを渡る途中で、昭子は立ちすくんだ。デパートへ出かけてきた当初の目的は、茂造のおむつを買うことではなかったはずだ。……昭子がデパートへ来た目的は、昭子の検眼にあった。それを忘れるというのは、まあなんということだろう。クラクションが鳴っている。信号は赤に変っていた。昭子は銀座通りの中央で立往生し、疾走する自動車の波を左右にして呆然としていた。どう考えてみても、おむつだけ買って出てきた自分が分らない」。

 昭子はわが身にも老いの影がちらつくことを否応なしに知らされる。この小説は単に老人性痴呆という他者の観察に終わらせない、自らの中に住まう操縦不能な他者を不意に突きつける。例えばこのシーンひとつで、昭子と「恍惚の人」、テキストと読者という自他のボーダーが瞬間、消失する。

 

 そして彼らは泰山木の花(マグノリア)に出会う。

 

「お爺ちゃん、どうしたんです」

 小柄な昭子が茂造の視線を辿って見上げると、道の向うの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていて、その緑の中でしとどに濡れた泰山木の花が、目のさめるような白さで咲いていた。

 雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのだろう。昭子は、胸を衝かれていた。泰山木の花は、美しかった。大きな花びらが、恐れずに雨を享けて咲いている。車が走り交う小径の上で、その白さは堂々としていた。昭子もしばらく黙って梅雨に濡れる花を眺め、そして花と茂造を較べ見て、この美しさに足を止めるところをみると茂造には美醜の感覚は失われていないのだと思った。

 

 あるいはこの瞬間、はじめて昭子は茂造に人格を認める。

 往年の茂造といえば、マンスプレイニング剝き出しで嫁をいびる、明治の男性主義の権化。実の娘が評することには、「考えてみるとお父さんの一生って不幸なものだったわね。ぶつぶつ小言ばかり言ってたんだもの。若い頃からよ。今日は好かったとか、何が嬉しかったとか、良いことは何もなかったみたい。……お父さんって、自分で自分を不幸せにしていたのよ。意地悪だし、不親切だったから友だちも無かったしね。なんのために生きてたんだか、若い頃から楽しみなんて何も無かったんだから」。

 そんな救いなき輩が老いに蝕まれすべてを失う、そして昭子はその奥底に辛うじてこびりつく「美醜の感覚」を見る、人間の尊厳を発見する。

 あるいはなくてもいい街の一隅に佇む樹木、マグノリアを媒介にはじめて彼らは通う。少なくとも、昭子は茂造に何かを見つける。

 それは例えば明治神宮の杜を刈る匪賊、あるいは大阪の街路樹の首を跳ね回る蛮族、つまりは茂造と全く同じ精神構造をリアルにおいて体現する彼らには決して横たわることのない何か、言い換えれば、茂造が所詮フィクショナルな存在でしかないことを知らしめる何か。

 

 クルド自治区の洞窟奥深く、シャニダール遺跡にて、ネアンデルタール人の遺骨が発掘される。墓地と思しきその場所で同時に採取されたのは、風のいたずらでは説明がつかない大量の花粉。あるいはそれは単に他の動物がエサやフンとして持ち込んだに過ぎないのかもしれない。しかし探査に携わった研究者たちは、その花に数万年前の祖先の原人が宿した心の痕跡を見た、その花は故人に向けて同輩が手向けたものなのだ、と。

 

恍惚の人』をはじめて読み終えてから間もなくの母の実家での出来事、窓を開けるためとかそんな理由で、その傍らにあった書棚になんとはなしに目が向かう。学生の頃のまま放置したきりなのだろう、当時においてすら既に陽射しに焼け果てほこりをかぶったそれら茶色の物体群をそれまでこれといって気にしたこともなかった。

 瞬時に私の目は釘付けになる。書店のカバーの横表紙に母が書いたと分かる文字で確かに「恍惚の人」と記されていた。

 

 そんな奇縁から時が流れ、ゆえあってまたこの小説を読み返す気を起こす。

 あえてその古びた母のテキストで読もうと思い、同じ本棚を物色するのだが、肝心のその一冊だけが見つからない。ヘルマン・ヘッセだらけなことを別にすれば、ジグムント・フロイトだ、ウィリアム・ジェイムズだと私のライブラリーとあまり変わるところのないタイトルに囲まれて、しかし当の有吉佐和子は一向に現れようとはしない。

 あるいは何か他のテキストと記憶違いをしているのかもしれない、しかし、『夢判断』や『精神分析入門』ではそのセンセーションは得られない、『恍惚の人』ほどに私をはっとさせてくれるキャンディデートはそこになかった。

 

 数日後、たまさか神保町を通りかかる。三省堂がビルを建て替えることをニュースとしては把握していた。私自身の書棚を探せばないはずはないのだが、かれこれ四半世紀のつき合いになる建物で買うことになるおそらくは最後の一冊として、『恍惚の人』の他にふさわしいテキストなど今の私にはない。昔はフロアごとにカウンターがあったね、と味気なくも1階のセルフレジで会計を済ませて店を出る。

 ところで、この場所で買った最初の一冊の記憶は、とその帰り道考える――まるでない。

 

 そして、母が「恍惚の人」になった、もしかしたら。

 

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