Love at Goon Park

 

 生活をいっそう困難にし、悲しいことに、ときには生きていくことさえできなくなるような激しい感情の嵐に苦しむ動物は人間だけではない。このことに1世紀上も前に気づいたチャールズ・ダーウィンと同じように、わたしもまた、動物も人間が苦しむのと驚くほど似た精神疾患にかかる可能性があると信じている。……

 わたしが本書でおこなってきたのは、獣医学、薬学、心理学の研究や、動物園の飼育員、アニマルトレーナー、精神科医神経科学者、ペットの飼い主たちの話、19世紀の博物学者、現代の生物学者や野生動物学者がおこなった観察、そして奇妙な行動をする身近な動物について素朴に何かを言いたいという多くの一般人からあらゆるエビデンスを引き出すことだ。こうした糸のすべてをたぐり寄せると、人間と動物では、歪んでしまった精神状態や行動がわたしたちの多くが考えているよりもはるかに似ていることがわかる――……人間であろうとなかろうと“生きもの”として正常とされることに関わることができなくなったとき、こうした異常行動は精神疾患の領域に踏み込んでくる。これは、毛が抜けて血がにじみ出るまで自分の尻尾を舐めつづけることに一心不乱なイヌや、休むことなく何周も泳ぎつづけることに固執するアシカ、悲しみのあまり引きこもり、仲間たちと追いかけっこをして遊ぶこともできなくなったゴリラ、そして身がすくむほどエスカレーターが恐くて、デパートに行くのを避けるようになったヒトにも言えることだ。

 

 例えば筆者の飼い犬のオリバーは、シッターが留守にしている隙に、金網を引き裂いて、アパートの窓から15メートル下の地面へと飛び降りた。

 己の毛を引きちぎり、もはや飛ぶことすらできなくなっていたオウムのチャーリーは、自分の脚でも何とか登れる小枝から地面に突き出た金属の杭にダイブして、その心臓を貫いた。

 本書で報告される数多のこれらサンプルをもって、自殺と呼ぶことはあるいは安直な擬人化でしかない。オス同士のヒエラルキー争いに敗れた失意のレックスが首にチェーンを絡ませて窒息死していたとして、このライオンが死を理解した上で自ら進んでこの手段を選び取ったと本当に断言していいものかは、極めて慎重な留保を要するところだろう――ヒトの場合とは違って。

 いっそのこと本書は擬人化の誘惑に負けてしまった方が、むしろいくらかの救いの余地はあったのかもしれない。擬人化されない、人間と同様のガイドラインが適用されない、だからこそ、病める精神の肖像が赤裸々に本書には表出されてしまう。

 

 そのエクストリームなサンプルが、ミルウォーキー動物園にやってきたボノボのブライアンのケースに観察される。「スタッフはすぐに、彼の精神的ニーズはこれまで見てきたすべてのことを超越しているのに気づいた。……/自分の爪を剝がしたり、肛門から直腸に思い切り拳を入れて流血したり、尖ったもので自分の性器をこすったり、壁の方をぼうっと眺めたり、飼育員に対して極度に攻撃的になったりもした。また、見たこともない物体を怖がったので、自傷行為から気をそらせようと新しいおもちゃやパズルを与えても、彼をさらに動揺させるだけだった」。

 この自己破壊衝動を前にして、医師がまず試みたのは、ブライアンの来歴を探ることだった、奇しくも人間において施されるのと同じように。果たして病因はすぐさま露呈するところとなる。

「ブライアンはアトランタにあるエモリー大学の、ヤーキス国立霊長類研究センターで生まれ、最初の7年間、このセンターで、たったひとりの身寄りである父親からのアナルセックスと恫喝を受けながら育った。アナルセックスはボノボでも普通はやらない行為で、性的暴行はめずらしいことだ」。

 たぶん人間の児童虐待に関わるものであるならば、自傷のシーンを含めて、ここまで露骨な表現に走ろうとすれば、何かしらのガイドラインが発動する。プライヴァシーへの配慮も当然に欠かすことはできない。しかし、こうした気遣いが案件にかぶせてしまうヴェールの数々が、皮肉にもしばしば受け止める側における事態の矮小化を招いてしまうこともまた、否めない。

 ある種の過大評価でしかないのかもしれない。この書き口は単なる筆者の無頓着の産物を超えない、そう思わずにはいられない箇所もひとつやふたつではない。

 けれども、刺さる。

 人間と動物は同じではない、だからこそ、かえって刺さる。

 

 このままでは救いがないので、一応、彼のストーリーの続きも付記しておこう。

 彼にはパキシルやバリアムといった薬物療法も施された。スタッフたちは、不安とパニックに駆られる彼の「世界を安全で予測可能なものにしようと試みた。食餌はすべて毎日同じ時間、同じ場所に出した。昼食のあとは、毎日静かな時間を与えた。……新しいものを導入するときは徐々に行い、彼が自分のペースで眺め、触り、それに慣れることができるようにした。毎日のトレーニングセッションは短くし、ポジティヴなかたちで終わらせるようにした」。

 けれども、おそらくは最も決定的だったのは、「ブライアンよりずっと若い子どものボノボとチームを組ませ、遊びという行動を彼に教えることでした。23歳の子どものボノボとペアを組めば、そこから学ぶことができます。子どもが幼稚園に通うのも同じ理由だと、みな知っています。そこで社会的スキルを身につけるのです。ブライアンはずっと昔に遡って、成長に必要な適切な遊びの行動を学ばなければなりませんでした」。

 そもそも「ボノボ社会は女系である。母親と年配のメスが、若いボノボの成長には極めて重要だ。集団子育てのシステムがあり、オスの子どもが母親といっしょにいる期間はメスの子どもよりも倍も長く、オスはこれによってコミュニケーションのしかたや食べ物の共有のしかた、論争の解決方法、自分を性的にアピールする方法を学ぶ」。

 かくしてこのブライアン、ついには群れのリーダーにまで上り詰めた。

 

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